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みわちゃんが反芻した打球と、ライアンの完投と 【9/19阪神戦◯】

セカンドの横を打球が抜けて行った時、みわちゃんはとても悔しそうな顔をした。こうしてとるんだよな、と、何度も何度も確認する仕草をした。もうすぐ、ユニフォームを脱ぐのだ。それでもみわちゃんは最後まで、野球選手として、野球をするその人生をまっとうしようとする。

二軍球場とは思えない立派な鎌ヶ谷スタジアムで、私はこれから育とうとしている若手たちと、そしてもうすぐユニフォームを脱ごうとしている人たちを眺めていた。

「終わり」なんてもしかしたら、区切りに過ぎないのかもしれない、と思う。みわちゃんにとって、野球をしていた人生よりも、これからの人生のほうがずっと長い。

ユニフォームを脱いだ後の人生に、セカンドの横を抜けていく打球は関係しないかもしれない。でも、今、この瞬間に目の間ををボールが飛んでいくのであれば、今その瞬間はもちろんそれを追うし、取れなかったボールを何度も反芻し省みる。そうそれは、みわちゃんが今までずっと続けてきたその姿勢は、ユニフォームを脱いだ後にもつながっていくのかもしれない。

ライアンは、8回を無失点で終え、9回のマウンドにも立つと自ら言った。そして、(いつものように)味方のエラーがあったにもかかわらず、(いつもとは違い)しっかりそのピンチも乗りきり、完封を成し遂げた。

9回のマウンドに立つライアンが目指したのは、もちろん完封勝利だろう。あの時のライアンには、しっかり目の前の「目標」が見えていた。そういう標べとなるものは、どんな時も大切なのだな、と、私は思う。

長いシーズン、もちろん最初は誰もが「優勝」を目指して戦う。仕事にしたってなんだって、長期の目標はきちんと目の前に提示されているはずだ。

だけどそれがうまくいくことなんて、なかなか、そうはない。セ・リーグの中で優勝できるチームは1チームだけだ。残り5チームはいつか、「優勝の可能性が消滅」という事実を突きつけられる。もちろん、ヤクルトにとってのその可能性は、とうの昔に消滅している。うん、とうの昔に。

でも次のシーズンだって野球が続いていくのであれば、目の前の試合においてやり遂げなきゃいけないことは山のようにある。そしてみわちゃんのように、もう次のシーズンは野球をしないと決めていてもなお、その試合でやり遂げることはたくさんあるのだ。みわちゃんは最後の最後まで、セカンドに飛んでくる打球を捕ろうとする。

ライアンも、みわちゃんも、しっかりと、「今日やるべきこと」が見えていたのだな、という感じがした。ライアンの熱投に至っては、優勝争いをしているピッチャーのようにさえ見えた。目の前の標べは、人を良き形で奮い立たせてくれる。

大きな目標や夢に向かうのはもちろん大切だけれど、目の間にある山を一つ一つ越えてゆくことは、現実的に一番大切なことかもしれない。それがいつか、目標を、大きな山を、越えていくことにつながっていく。

みわちゃんが何度も反芻していたセカンドへの打球が、ライアンの完封が、またこれからの長い道程の、大きな目標の達成につながるといいなと思う。鎌ヶ谷の試合でのあと、長い間ファンのサインに応えていたみわちゃんのこれからの人生が、素晴らしいものでありますように、きっと素晴らしいものになるよな、と、そんなこと思う。


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