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たいしのヒットように、紙切れ一枚の向こう側にある「うまくいく時」が来るまで【6/30 巨人戦●】

うまくいく時と、いかない時の、その差はほんの小さなものだ。その間には、薄い薄い、一枚の紙切れしかはさまれていないのかもしれない。でも、うまくいくときはいくし、いかないときはいかない。

解説の真中さんはたいしの打席で、「(廣岡本人は)アベレージは気にしなくていいですからね」と言った。

そうだよな、と、私はあらためて思う。そこに映し出されるのは、1割に満たない打率かもしれない。だけどそれは、たいしの全てを示す数字じゃない。数字は嘘をつかないけれど、でも数字がすべてを表すわけじゃないのだ。

真中さんの言葉を聞いていたかのように、たいしは今期2本目となるヒットを放ち、そして次の打席で、ホームランを放った。夢があるよな、と私はまた思う。たいしには夢がある。

それは本当に、ちょっとした差だった。だけどその「うまくいく時」と「いかない時」の間にはさまれた一枚の紙切れは、いつもたいしに「うまくいかない時」の試練を与えた。

うまくいかないことが続くと、それ自体にがんじがらめになってしまう。その時間がずっと、続くような気がしてしまう。そして、「悪いところ探し」をしてしまう。決定的な原因を探してしまう。

多分、それを責めるのが一番、楽だからだ。ただ一つのプレーを、そして一人の誰かを、責めることで消化することができれば、それは一番楽だから。

だけど、うまくいかない時の原因は、きっと一つだけじゃない。たいしが打てなかったのは、スクイズ失敗があったからでも、ヒットだったはずのものが相手のエラーになったからでもない。もちろんそれが一つのきっかけにはなったかもしれないけれど、それ一つだけが、原因になることなんて、きっとない。

例えば今日、ヤクルトが負けたのは、何か一つの場面や、誰か一人のミスだけが、原因じゃない。それは複雑に絡み合った一つ一つのプレーの集大成だ。その場面や、誰かのプレーを責めてこの負けを消化することができればそれは楽かもしれないけれど、でも、一つの試合はそんなに単純に成り立つわけではきっと、ない。

たいしが打てないプレッシャーと戦う一方で、たぶん、てっぱちや村上くんは、才能を持つからこそ背負うことになった重圧と、戦っていかなきゃいけない。もちろんたいしもこの先、同じ重圧を背負うことになるかもしれない。

あらゆるものを抱えながら、プレッシャーと戦いながら、そこに立ち続けるとき、一つ大切になるのはやっぱり「力の抜き方」を知っていることだろうなと思う。

「アベレージは気にしなくていいですよ」というのもきっと、「力を抜く」ということだ。たいしが、1本のヒットやホームランを放つためには、その打率にとらわれていちゃいけない。それにとらわれて「打たなきゃ」と力めば力むほど、きっと打てなくなってしまう。

トリプル3の三回目の達成や、19歳での輝かしい成績を、この先てっぱちや村上くんはずっとずっと抱えながら生きていかなきゃいけない。それは、もちろん素晴らしいことだけれど、でも、同時にしぬほど怖いことだろうと、私は思う。

それでも、それに耐え続け、そこで戦い続ける人たちが、上手な力の抜き方を見つけて、また一枚の紙切れの向こうにある「うまくいく時」にいけるのを、そっと待ちたいなと思う。うまくいかないときだって歯を食いしばって、そこでバットを振り続けたたいしが打ったように、チームがまたうまくいくときは、きっと来ると思うから。


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