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この海さえも、いつかどこかにたどり着くように 【7/20阪神戦●】

東京はいつまでたっても梅雨があけず、ずっと肌寒い日が続いていた。「神宮のビールが美味しい季節」には程遠い。いつまでも、カイロをしのばせて神宮に通った日々が続いている気がする。夏なんて幻なんじゃないか、という気すらしていた。

だけど那覇空港から出た瞬間、まとわりつく湿度と気温は確かに「夏」だった。そう、ちゃんと夏は来るのだ。季節はいつだって、巡ってゆく。

不安定な機内Wi-Fiで、試合の配信は何度も止まった。もう諦めて、本を読み始める。ヤクルトは点を取ったり取られたりしていた。雲の上からiPadの小さい画面を通してみる甲子園は、つい先週行った場所とは全く違う場所のような気がした。

ライアンは久々に、「自ら招いたピンチは自ら乗り越える」という、さすがエース!と、去年何度も思った投球をしていた。これはダメだ、と思うピンチを、何度も何度も乗り越えた。今シーズン、そういうことに慣れていない私はちょっと驚いてしまったりしていた。

だからまあ、そんな「エースライアン」に、どこまでも頼りたくなる気持ちもわからなくはない。ライアンなら、そのピンチを乗り越えてくれるかもしれない。いつまでも、どこまでも。

だけど世界は、そんなに生易しいものではやっぱり、ない。なんだって「いつまでも、どこまでも」続くものなんてないのだ。沖縄の海は、どこまでも続いているように見えるけれども、その先には見えない大陸はちゃんとあるのだ、千葉とか。

何度も何度も途切れる配信は、何度も何度も更新するうちに、気づけば1点取られたり、勝ち越したり、かと思えばまた勝ち越されたり、そう思えばまた追いついたりしていた。

「阪神との試合っていっつもこんな感じだよねえ」と息子が言う。そういえば去年から、神宮でも甲子園でも、こんなことばかりしている気がする。プロとプロの試合なのに、同じような展開が重なるっていうのはなんか、不思議だなあと思う。

那覇空港に着くと、子どもたちが、「ままおそとみて!!!はんしん!!」と言う。なんのこっちゃと窓の外を見ると、そこにはなんと、でかでかとトラッキーの絵が描かれた「タイガースジェット」がとまっていた。

「なんでやくるとじゃないんだろうねえ!」とむすめが言う。

「いや、ヤクルトでこれをやるにはさすがにいろいろ(お金とか人気とか的に)難しいんじゃないかと・・」と私は言う。

「こないだ神宮でpeachナイターやってたから、peachがやればいいんじゃない?」と息子はちょっとスポンサーたるものをわかったようなことを言う。

私は、息子と二人だけで沖縄を旅していた頃から、息子との会話が少しずつ変化してきていることに、ふと思いを巡らせる。そうだよな、1歳の誕生日に初めて二人で宮古島へ行った息子は、もう9歳になったのだ。いつだって時間はこうして、過ぎてゆく。

好投していたライアンが、いつまでもいつまでも打たれないということは、きっとない。今日打たれなくても、今度打たれる、ということだってある。ずっと私に抱っこされていた息子が、いつの間にか生意気な口を聞くようになったように。この海が、いつか何かにたどり着くように。でも、そうやって移りゆくもののおかげで、彩られてゆくものやそして、救われてゆくものがあることもまた、確かだ。

ヤクルトはまた甲子園でサヨナラ負けしている。でもそれは、今日だけの物語だ(たぶん)。いつだって時間は、前に進んでゆくのだから。


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