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藤井風 おとんさまの教え

藤井風さんはよくお父さんの話をするように思う。

昨年秋、Fujii Kaze Free Live 2021 at NISSAN stadiumが行われた。
日産スタジアムを貸切っての無料単独生中継ライブという前代未聞ともいえるこのライブ。たいへんな注目を浴び、多くの報道番組(!)から取材が殺到した。
それら数々のインタビュー映像の中でTBS「新情報7daysニュースキャスター」のあるコメントが心に残っている。

風さんが〝自分はコロナ禍で音楽活動を開始したけれども、幸運にも色々なことをやらせてもらいとても恵まれていると思う・・・” そのようなことを話した後だった。

「おとんに今回のライブも『おめえがライブをしよんのじゃない。おめえはやらせてもらっとる』と言われました」

とコメント。それを聞いて、「決して奢り高ぶるんじゃないぞ」そんな意味にもとれる戒めを息子にしたお父さん、一体どんな方なんだろう? 
風さんにどんな教育を施したのだろう? と、興味をひかれずにはいられなかった。

お父さんらご家族は風さんが東京に出てきてからも、毎日のように連絡を取り合っているのかなぁ。
風さんが日々のあれこれをお父さんに話したり、ときに悩みがあれば相談したり、アドバイスをもらったり・・・、そんなことをいろいろ想像してしまった。

風ファンの間では、喫茶店を営みながら、風さんにピアノや英語を教えてくれたお父さんの存在、そしてお父さんが風さんに与えた影響力については広く知られているように思う。

先月発売されたMUSICA5月号 藤井風特集のライフストーリーにあたる章に、その辺りのことが詳しく記されているが、その内容には少なからず驚かされた。

お父さんの風さんへ注いだ愛のパワーの凄さが分かる、そんなエピソードを一部ご紹介。

「ほんまにちっちゃい頃はお父さんの記憶ぐらいしかないんですけど。わしのずーっと近くにおったのがお父さんだったんで。子育てはほぼお父さんみたいな感じだったんですね。」

「優しく、時に厳しくっていう感じのお父さんでした。ひたすらピアノとか英語とか勉強を教えてくれたんで、真面目な人っていう印象があります。すっごい愛が強い人だけれど、それを愛と気づけずに鬱陶しいって感じてたこともあるんですけど(笑)。今となってはあんなに愛の強い人はいないんじゃないかっていうぐらいに愛されて育ちましたね」

風さんの上には3人のご兄姉がいるとのこと。一番上のお兄さんとは13歳離れているそうだ。
お父さまにとって、風さんは孫のように可愛い、目にいれても痛くない存在だったのかなぁ。

英語は保育園の頃から教えられていたとか。英語以外の勉強に関しても簡単なことから中学高校の難しい勉強まで、ありとあらゆることをお父さんから教えてもらったという。

そして、なにより精神面について、人にとって大切なものはなにか、ということを大事に教えてもらった、と風さんはいう。

「おとんは毎日、学校で起こったことをこと細かに訊いてきて、今日しゃべった子のランキングみたいなのを毎日毎日訊かれてたんですよ。で、誰とどんな話をしたとかを話しているうちに『その人はこういうことを思っとるんじゃと思うぞ』とか『そういうことをしたら傷つくけん、しちゃいけんぞ』とか、そういう些細なことを日常的に、無意識のうちに教えられてたのかもしれない」

そのころの風少年が〝なんでこの人はこんなに訊いてくるのだろう?”と思うくらい、日々、たくさんの会話がお父さんとの間で交わされてきたようだ。

むむ、なんかスゴイ! これはまるでカウンセリングのようだなあ。

毎日毎日、その日一日の綿密な振り返りが父子の間で行われる。
人に対する思いやりや、生きていく上で大切なこと、物事の善悪などを風さんはお父さんから極めて濃密に教えられてきたのだろうか。
まるで魂の英才教育のようだ。

それにしても、私だったらどうだろう? このような濃密な父子関係…。 藤井風と自分を比べるのも変な話だが、私なら逃げ出してしまったかもしれないなぁ。思春期にでもなれば激しく反抗もしたかもしれない、などと想像してしまった。

風さんも時にお父さんを〝鬱陶しい″と思ったこともあったと言っているけれど、その天性の能力と、愛の受容力、感受性で、お父さまの教えに応えられたのかもしれないなぁ。

もちろん、お父さんも彼のそんな才能、性質を見極めての〝英才教育” だったのかなぁ、とも思うし、きっと、ふたりにしか分からない信頼と愛情で深く結びついていたのかもしれないなぁ、などと勝手な想像をしてしまった。

そして、私自身の親子関係を振り返り、風親子とは随分と違うものだなぁ、と思わずにはいられなかった。

私の場合、「人に優しく」とか、「そんなことをしたらその人が傷つくかもしれない」などと、親から言われたことはなかったように思う。

大体は、「勉強しないといい学校に入れない、そしていい職業にもつけずいい暮らしができない」といった進路的なこと、競争を勝ち抜くための叱咤(激励?)の記憶くらいしか思い出せないのだ。
いい暮らしの「いい」は「良い」、であって「善い」ではなかったような。

私の親を批判しているわけではない。実際に両親は自然界の親と子のように、子を育て、生存できる能力を身につけさせるべく、必死に私に力を注いで養育してくれた。有難いことだと思う。

ただ、「善く生きる」ということは何か、といった人としての道のようなものを教えてくれたことはあったかなぁ? と風さん親子のエピソードを読んで、ふと思ったのだった。

風さんは「わしはほんとに愛されて育ったんで」とよく言う。
愛されているという強い自覚がある。
根本的に自分は愛されている存在である。
そう思えることは、生きていくうえで大きな力となっているのだろうなぁ、と想像する。

ちょっぴり羨ましく思ったりもするけれど、親と子の関係は千差万別であり、とにもかくにも全ては人智では計り知れない不思議な縁で結びついているのかもしれないし、そうではないのかもしれないし・・・。

「与えられるものこそ 与えられたもの」
「憎み合いの果てに何が生まれるの わたし、わたしが先に 忘れよう」

いろいろあるけど、いずれ、みな宇宙の旅人。
風さんの歌を聞きながら思いはめぐる。




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