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3行でない日記 24/02/09「喜ぶ顔が見たいから」

今日は久しぶりに、しばらくできてなかった散歩をした。ベビーカーに息子を乗せて電車を観に線路まで歩く。

距離的にはそう遠くはないが、日が落ちかけている時分に私一人で息子を連れるのは、今となっては少し注意が必要だ。そうでなくても最近の私は身体がどんどん変化して、その対応に追われてしまっている(眠い)。

でも、ずっと黙って連れられるがままの息子は、線路が近づくとだんだん「あ!」と指を差して早く近くまで行こうと促すし、踏切の音が聞こえるだけで表情が明るくなる。
とうとう到着して、帰り際の学生や社会人が乗る、人もまばらな電車の姿が見えると、いよいよ息子のテンションも上がる。

そんな姿を見ると、しばらく連れて来られなかった間にたいそう電車が好きになっていたんだな、今は興味がどんどん湧いているんだなと数ヶ月前には見られなかった息子の成長が感じられる。
【ああ、連れてくるだけでこんなに喜んでもらえるなら、もっと連れてきてあげればよかったな、これから一人っ子ではなくなるだろう息子と、二人っきりの蜜月のような時間を楽しめるのは、今しかないのに。】

どうしようもない無念さと寂しさを感じるとともに、それでもこれまでできる限り息子と向き合ってきたし、今日も息子の喜ぶ顔が見たいからここまで来たんだと思う自分もいる。

息子が絵本よりもぬいぐるみよりも、電車や車のおもちゃで遊ぶのが好きになったことも、今じっくり息子と向き合えているからわかったことだし、その「好き」に合わせてできることをしていたと思う。

何より、こんなにごちゃごちゃ考えているのは母の私だけで、息子はこんなに純粋に電車をたのしんでいるじゃないか。それで良いのかもしれない。連れてきてくれてありがとうなんて息子は思ってないだろうし、そんなこと思ってもらわなくていいし、この時間を一緒にたのしめているだけで良いのかもしれない。

息子が喜んでいるだけでそれで良い。その顔を見られただけで今日も私は母であれて嬉しい。
なんて思った何気ない一日であった。

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