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「イエス人間」の苦悩と、老婆レベルの魂の話

人の意見に流される。
人の主張に反論できない。
自分の考えに自信がない。

うすうす勘づいてはいたが
最近、やはり確信を持って感じる。
自分はイエスマンならぬ、イエス人間であると。
(ジェンダーレスを意識してちょっと今風に表現してみた。)

Aさんの話を聞いて
「本当そうだよな!」と思い、

Bさんの話を聞いて
「いや確かに、それもそうだな!」と思う。

そのあとCさんから
「Aさんの意見もBさんの意見もなんか違くない?」と言われて、
「確かにCさんの言う通りだ…」

「あれ?じゃあ結局どうすればいいんだろう…」

で「Aさんはこう言っててBさんはこうで、私としては確かにどっちもそうだよなと思っててモゴモゴ…」

みたいな、どうしようもない状態になることが少なくない。

これではいわゆる「良いディスカッション」ができないし、
良いアイデアなどもちろん生まれない。

ビジネスの場においては真っ先に負けて退場するモブである。
スーパーマリオシリーズで、ステージ冒頭にマリオと相まみえたとたん速攻で踏みつぶされるクリボーのようなもんである。

特にここ最近になって、
そんな場面が多いように感じていた。

「もう四十路を控えてるのに、なんで自分ってこうなんだろう…」
と悩んだ挙句、

とある占い師の方に聞いてみた。

「自分の意見がブレてしまうことが多くて悩んでいます」と。

すると、返ってきた答えは

「それは魂レベルの不安症です」

なんと…

魂レベルの特性だったとは…

オカルト的な話にはなるが、その方曰く、自分の魂は
ここまで幾度となく生まれ変わりを繰り返していて、
年数でいうと1,050年ほど転生の旅をしているらしい。

様々な時代の様々な国で様々な人生を経験してきていて、
もはや「老婆レベルの魂」なんだとか。

1,050年…

老婆…

ちょっと話がぶっ飛んでしまったが、

そんなベテランの魂が不安症の性格を持っているとなれば、
今世の自分がここにきて意見ブレブレのイエス人間になってしまっているのも仕方あるまい。

ただ、そんな自分の特性に、今世の自分は「これじゃアカン」と考えているのである。

では、どうすればいいのか。

その占い師の方からは今後について何点か具体的なアドバイスを頂いたが(内容は秘密)、

結論としては

人の意見に流されてしまう(自分がブレてしまう)のは、
「批判されたらどうしよう」という考えから来るもの。

もし批判されたとして、それはかつて
「自分が他人に対してやってきたことが返ってきている」だけのこと。

そういった自分の行いを認めて批判されることも受け入れられれば、気持ちが楽になって、心からの自分の考えを堂々と言えるようになる。

そうなれば、自分から滲み出る雰囲気も自然と爽やかでクリアなものになる。

だそうだ。


ぐう正論やん。

オカルトちっくな話と思いきや、意外と現実的なところに着地していて逆に妙な納得感を覚えた。

つまり因果応報ってやつね。

あいにく前世までの人生の記憶は一切ないので何とも分からないが、
今世の39年の人生だけをとってみても、
自分がやってきた行いは良いものも悪いものもいずれ自分に返ってくる、というのはなんとなく経験則で感じるところである。

色んなブーメランをくらって、過去の自分からのダメージを受けた場面が確かにたくさんある。

それを含めて、たとえ否定されたとしても
「自分だって誰かを否定して生きてきたことがあるんだ」
「全員から認めてもらえるなんてそもそも有り得ないんだ」
というのを念頭に置いていれば、他人の意見に流されることなく自分を持っていられると。

そういう心持ちが大事かなと理解しました。

少なくとも今世では一度しか過ごせない人生、
悔いの少ないように生きたいものである。

しかし『四十代は不惑』などという言葉があるが、
いざ自分が四十代を目の前にしてみると
不惑なんていう境地にはまったく程遠い。

毎日、しょうもないことで悩んでばかりなのである。

そんな今世も愛しながら、生きていこうじゃないか。
とりあえず明日のチームミーティングでは、批判を恐れずに思ったことを発言してみたいと思う。

…お酒飲みながら仕事ができればいいのにねえ。

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