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ご婦人に癒やされた一日

いくつかの場面があった…(瞳…閉じれば…)
初めて”ひとりで”ジュリーのライブに参戦したあの日。
生ジュリーを拝めるというのにどん底気分だった私は、ある1人(ないし2人)のご婦人に笑顔を取り戻させていただいたのだった。


急遽!初・ライブ単独参戦、決定ナリ!

2023年5月。
石川県は金沢市のライブチケットを買おうか諦めようか悩む仕事中の女がいた。
日程は今週末。数日後か。ドナイショウ…
私が最後にジュリーのライブに行ったのは数年前。
ジュリーを忘れたことなど無いが、ライブ参戦はしばらくお休みしていた。
そんな中、なんとなくジュリーライブまだあったらイコッカナーと覗いたのだった。

お、まだある…そういえば、ジュリーがいつライブを辞めると言い出すかわからないんじゃないか…?彼はもう75歳になってしまわれる…!!
はたと恐怖を感じた私は、たまたま見つけた数日後のチケットを、考える暇もなく購入。そしてサンダーバードの予約をした。
こうして、初のライブ単独参戦は決定した。

どん底なサンダーバード

石川県金沢市には、1年前に彼と一緒に遊びに行ったことがあった。
この、"行ったことはある!"というだけのアドヴァンテージを活かした、参戦の決定だった。
金沢行きの自信をくれた彼だったが、ちょうどその彼と”お別れも視野のどん底な衝突”をしたのがライブの前日という、嫌な巡り合わせもセットだった。

当日、本来なら気分最高で乗るはずのサンダーバードに、今にも涙が出そうな顔で乗り込む。
どうしてジュリーを拝めるというこのよき日に、こんなに悲しい気持ちにならないといけないのか。

もう1人の初・ライブ単独参戦者

そうして席につき出発を待っていると、ちょうどジュリーと同世代くらいのご婦人が隣の席に乗り込んだ。
ホームにいる娘さんであろう方と手を振り、別れを惜しんだあと、発車と同時におもむろに缶ビールを取り出した。
「ちょっと。失礼。」
てなことを言い、缶ビールをこちらに見せてくるご婦人。
どうぞどうぞ。お昼からビールでもなんでも、飲んでくださいな。
そう思っていると、
「初めての一人旅でね。一人で電車で遠くに行くのは初めてだから、お祝いなの。」
そうですか!それはおめでたいことです。幾つになっても、恐れることなく新しいことに挑戦することはいいことです。乾杯。
話を聞くと、どうやら初めてのライブ単独参戦もするとのこと。

おやおや?これは同志か。ジュリーファンの大先輩ですかな?
「私も今日、ライブに行くんです…!」
と言いつつ、自分から"ジュリーのライブ"と発するのが、先輩相手になんだか恥ずかしい。
私も同じライブに行くんです!と言いたくて先を促すと、意外な返答。
「米津玄師のライブなの。」
おーっと!
「え!私は、ジュリーのライブです!沢田研二の…!」
これはこれは、お互い普通なら逆だよね!とひと盛り上がり。
米津世代のジュリーファンと、ジュリー世代の米津ファンが出会ったのだった。

「楽しい未来を考えて」

お互いの境遇を知り、驚きと共に一瞬引っ込みかけた涙だった。
しかし、初対面で気さくに接してくれるご婦人に触れて、その温かさでダムの決壊を許してしまった。

「あの…初対面の方にこんな話をするのも難なんですけど…っ」
と言葉を詰まらせいきなり泣き始める女を前にご婦人もびっくりしたことだろう。
だけど彼女がワクワクであればあるほど、その隣で黙って涙をこらえてシートに座り続けることは困難だった。

前日の彼との衝突。内容こそ話さないが、気分が最悪なのだ。せっかくジュリーを拝めるのに。楽しい一人旅なのに。と話し、
「男ってそんなもんだよ。あなたには勿体無いよ。可愛い顔が悲しい顔で勿体無い。楽しい未来を考えて!笑顔でいたら幸せになれるよ。」
となんとも優しいお言葉。
楽しい未来を考えて。本当にそうだ。未来に希望を持てないと生きていけないんですよね。
優しくされると余計泣くのはお約束。さらに泣いて、慰めていただいたのだった。

涙も落ち着き、大先輩の人生や、色んなご趣味、飼っているワンちゃんのことなど、たくさんお聞かせいただいた。
さらに、辛くなったらいつでも自宅に遊びにおいでとお名前と電話番号まで頂戴してしまった。
こんな風に温かな交流をしたのはいつぶりだろう。
冷え切っていた心と体が、本当に芯から温まった心地だった。

若輩者のライブ会場での振る舞い

福井県で降りるという彼女とお別れして、お互いのライブ参戦の検討を祈った。
彼女にもらった元気を胸に、私も金沢に着いた。

方向音痴なりに1年前の記憶を頼りに会場へ向かう。
時間の余裕も手伝って、意気揚々と歩いてのんびり会場へ向かった。

会場に着くと、ロビーには開場を待つ先輩たちが大勢いた。
ここは怖気付いてはいけない。かと言って、若輩者として無礼を働いてもいけない。空気のように、ジュリー並びに先輩のファンの方々にとって無害な、理解のあるファンだと証明しないといけない。

ジュリーとファンが培ってきた土壌を少しは学んでいるつもりだ。
ギャーギャーと騒ぎ立てたりしない。大人しく、私はこの目でこの耳で”ジュリーを鑑賞”させていただく。

速やかにトイレを済ませ、静かに並んで心穏やかに自分の席についた。

分身人形のご婦人

ライブは順調に進んだ。
単独参戦の寂しいところは、あらゆる感情を自分の中で小さく処理しないといけないところだ。
わぁ…!ぉお…!ヤッター!なんて小さい声でボソボソやっていた。

会場のボルテージが上がり、ジュリーもいつも通りステージを右往左往してきた頃。
ジュリーとの距離が近づいてきたときだけは、周りの音に紛れて「ジュリー!」っとさせていただく。

ふと気がつくと、隣のこれまた単独参戦らしい、私の親世代くらいのご婦人が、私が手を振れば手を振り、手を叩けば手を叩い…ている?
今までとっても大人しく鑑賞してたご婦人のテンションも上がってきたようだった。
まるでシャイなご婦人が、ジュリーへの衝動を、隣の私の動きに便乗して会場に馴染ませ、吐き出しているように感じた。

そして、気づいた。
全く同じ動きを同じタイミングでしている女2人。
ちょうど親子ほどの歳の差である。
はたから見たら、仲良し親子に見えてるのでは!?

ぜんぜん知らない者同士なのに、親子のような連帯感。
ひとりぼっちの行き場のない寂しさが、なんとなくほぐれた。
まるで棒で繋がれた分身人形のようなご婦人の動きが可笑しくて、楽しかった。

ドラマみたいな一日?

ライブも終わり、今日の大イベントは終わってしまった。
ジュリーはもちろん最高だった。これ以上の言葉など必要ない。

そして、また駅へ歩いて戻る道すがら、
出発の電車から、ライブが終わり今に至るまでの一日を母に報告した。
ことの顛末を母に電話で話すと、「なんでそんなドラマみたいなこと起こるんや!」と。
確かにドラマみたいな展開。
"真実は小説よりも奇なり"とまでは言わないでも、思いがけず素敵な人との出会いがあった。

前日から気分はどん底、涙を浮かべていたヒロインは、
道中で人との出会いを通じて笑顔を取り戻し、
大好きな人のライブで感動する。
周囲の何気ない光景に元気をもらい、また明日からも元気に生きていこうと前を向く。

客観的に見ると何かのヒロインかのような一日を過ごさせていただいた。
思い出してもニコニコとできるし、人に話しても面白がってくれる。
ただジュリーライブというだけでも特別な一日が、
より思い出深い素敵な一日になったのだ。

今年もジュリーのライブに行きたいのだが、チケットの抽選には外れてしまった。
まだチャンスはあるのだろうか。
今年は仲直りした彼や、私と一緒にジュリーを見つめてきた母も連れて行きたいんだけどな。

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