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ようやく「音楽難民」を脱出できた私の音楽遍歴〜自己紹介的なもの〜

40代後半にして、まさかのSixTONESにハマりました。
まさしく!「人生まさかの連続」byジェシー

気がついたらnote始めて1年以上経っていたので、今回はそんな私の音楽遍歴を自己紹介的なものとして書いてみようと思います!
…それにしても、自己紹介しだすのがぶっちぎりで遅い・笑



スタートはバンドブームでユニコーン派

中学生だったあたりは、いわゆる「バンドブーム」な頃でした。「イカ天」は放送時間が遅くて、オンタイムでは見れてなかったけど。

当時は「JUN SKY WALKER(S)」「UNICORN」が人気を2分していて、私は断然UNICORN派。あの独特な世界観と民生さんの抜けた感じのボーカル(と、スーツなのに半ズボンな出で立ち!)が大好き過ぎた!!

そしてなぜか西川さんが叩くドラムがとっても好きで、リズムをコピーして口ずさんだり(簡単な「口ドラム」?)、机を叩いていた記憶があります。(今思うと結構ヤバいやつだな…)

同年代の音楽好きな方には、今でも
「当時、ジュンスカ派でした?ユニコーン派でした?」
と聞くことがあります。
系統が結構違うので、音楽の趣味がわかりやすいんですよね。

EPIC SONYのアーティストにハマりがち

UNICORNが出演する音楽番組を見るうちに、松岡英明にハマりました(「NHKの「ジャストポップアップ」を見たのがきっかけだったかも)。

当時の松岡くんは
「ウェディングドレスが似合いそうなアーティストといえば?」
というアンケートを取ると、TM NETWORKの小室哲哉氏と1,2位を争う中性的なアーティストの代表格でした。

中性的な男子が全くをもって一般的ではなかった当時、友達ウケ(及び家族ウケ)は悪かったですが、松BOW(あぁ、懐かしいこの呼び方…涙)のボーイソプラノな声、たまにある全編英語詞の曲も大好きになりました。

ちなみに、松BOWのマブダチ岡村靖幸のことも、当時から全然嫌いじゃなかった。
むしろカッコイイ曲歌うなーと思っていたくらい。ファンキーな曲への入口を作ってくれたのは間違いなく岡村ちゃんだと思ってる。
でも学校で「オカムリン、いいよね!」と言うのは、当時の私にはまだまだできなかった…。←もったいないことしたねぇ。


歌詞重視のJ-POPから、洋楽もOKに〜目覚ましはEXTREME〜


実はこの頃はアニメ(や声優さん)も好きで、アニメと音楽が半々な感じの日々でした。

そんな私がより多くの音楽を聞くようになったきっかけの曲は、偶然見たアニメ「シティーハンター2」のオープニング
「Angel Night〜天使のいる場所〜」(PSY・S)

合唱となれば問答無用でアルトに配置されるほどの声の低さを誇っていた私(今もってアルト歌いだぜ!)は、チャカさんのクリスタルなハイトーンボイスにひと耳惚れ〜✨

まだYou Tubeなんてない時代。PSY・S(サイズ)の曲を聴きたくて、NEWアルバムリリースのタイミングで組まれた特集をやるラジオ番組を、新聞のラジオ・テレビ欄で探し出して聞くのがとっても楽しかったことを今でも覚えてます。

そうこうするうちにPSY・Sがゲスト出演していた、とあるラジオ番組を継続的に聞くようになりました。番組内でオンエアされるいろんな曲(主にJ-POP)も聞くようにもなりました。レンタルCDやさんが全盛期の頃です。たくさん借りました!

高校の頃はその番組のパーソナリティが所属するバンド「SING LIKE TALKING」が好きになりました。CDを買って、歌詞カードをめちゃめちゃ読み込んで曲を聴いてました(無言と書いて「しじま」と読む世界にハマった)。ひとりでライブにもよく行きました。

また、メンバーがやっていたFMヨコハマの生放送2時間番組では、彼らが音楽的なバックボーンとしていた、ブラックミュージック、ブリティッシュロック、ファンクやAORといった多くのジャンルの洋楽を流してくれていました。それらは自分が好きなバンドメンバーが曲を作るときの血肉となっている曲なわけで、それはそれは「かっけー!」な曲が多かったのです。

それまでは雑誌のインタビュー記事(「週間FM」「CDデータ」「PATi PATi」とか買ってたなぁ)見て歌詞に込められた裏の意味を知って喜んだりしてましたが
この頃を境に
「歌詞が英語でわからなくても、カッコいいものはカッコいい!!」
ってことで、洋楽への抵抗がなくなりました。

EXTREMEのギタリスト、ヌーノ様の速弾きギターをラジカセ(!)で鳴らして起床していたのもこの頃。(「He-Man Woman Hater」のイントロ、めちゃめちゃかっけーよー!
彼らはいわゆるハードロックバンドでしたが、入口は「More Than Words」というバラードの名曲でした。
「激しい曲だけじゃなく、バラードも聞かせられること」は、好きなバンド、グループに求める今も変わらない条件です。

ついに「歌詞のない曲」の世界へ

ということでJ-POPも洋楽も聞いていたけど、ボーカルなしのインストゥルメンタルの曲だけ、どーにもなかなか聞けずにいました…。シングル曲は聞けるんだけど、アルバムとなると、途端に聞けないっていう謎な壁。

それが聞けるようになったのは、大学のサークルでスウィングジャズをやるようになってからです。
サークルでは、カウント・ベイシー・オーケストラというビッグバンドのコピーで木管楽器を吹いてました。

楽器で吹く以外にも譜面の音を歌ってニュアンスとかをパート内で確認する「歌練」があって、それが歌詞がなくてもOKになったきっかけかも。
ちなみに歌うときは「ラララ〜」とかでは決してなく、ニュアンス?の認識合わせなので「ドゥダドゥダ〜」とか「ガガスッガッガ!」とかって強弱を付けて歌います。当時は気づかなかったけど、多分相当に癖が強い。気がする。

社会人になってから、とある時に同僚に
「ねー、この曲ってなんて曲だっけ?」と1フレーズを「ガガスカ歌い」して質問したらドン引きされてからは封印し、以降同じような場面になる時は「にゃーにゃにゃー」で歌うように気をつけてます(落差激しめ)。

デュークエリントンもファンキーで好きだったなぁ。
ちなみに、めちゃめちゃ心地いいスウィングジャズがBGMになってるイオン系列の店舗には、つい長居しがちになるアラフィフです←多分、スウィングジャズ好きあるあるかと!

卒業したらポルノにドハマり

大学時代はベイシーばかり聞いていたので、実はあまり流行の音楽を聴いていません。(練習に熱心だったというよりは単純に「ベイシーかっけー!」と思っていただけ。一途でしょ?)

卒業後も、しばらくはジャズとかを中心に聴いていましたが、EXTREMEのアルバムタイトルがそのままバンド名になっていた「ポルノグラフィティ」の存在を知り、ボーカル・昭仁(アキヒト)の良すぎる活舌と果てしなく真っすぐな声と広島弁に、ファンクラブに入るほどハマリました。(民生さんも広島なので、山陰地方に激弱いみたいじゃのう。)

そしてやっぱりリズムパート好きなので(これ言うの何回目?)ポルノのリズム隊担当、たまちゃんことベースのシラタマ職人ベースにぐいぐいハマっていきました。
メロディーを覚えたら、次はベースの音を拾って歌うのが超絶に楽しみでした。

平日、都内で勤務後にライブ会場のさいたまアリーナまで2日連続参戦など(eプラスでプレオーダーやったら、2日とも当選しちゃった・笑)、楽しい日々でしたが、
なななんと!!!これからというタイミングで

べースのたまちゃんが脱退…。

キャッチーなシングル曲と、挑発するかのように投げ込まれてくるたまちゃん作曲のゴリゴリにロックな曲(たまちゃん作曲の「ラック」、すんげーかっけーっす!)とのギャップもまた楽しみだったこともあり、たまちゃんの脱退とともに私の足もポルノから遠のき、ファンクラブの更新せずラバッパーを卒業したのでした。

それからは特定のバンドを追うことなく、広く浅くで雑食の生活。
一番良く聴いてたのはミッチー(道枝くんじゃないほうです!)かな。この頃は友人に及川光博のライブによく連れて行ってもらってました。多分「歌謡曲ファンク」と銘打っていた頃。
CD聴いて予習してから参戦するライブがとにかく楽しかった!!ミッチーは本当に音程を外さない。ダンスもうまい。MCすーごい長い。でも楽しい!!そしてポンポン必須でみんなで踊る名曲「死んでもいい」でやみつきに。レッツ自己解放!!


長きに渡る「音楽難民」生活に突入


そして…
結婚、子育て&育休復帰にともない、音楽をゆっくり聴いていられる時間が全く取れない状況に陥りました。

どのバンドを聞くか、にしても情報を取りにいく暇がそもそもないし
聞こうと思うと

BGMっぽくさらっと聞きたいときはかな
しっかり聴きこみたいときは、King Gnu
洋楽も聞きたいけど、現役のバンド知らん
ジャズなら…今流行りのものも聞きたい。けど、そもそもジャズ聴けるほど心に余裕がねぇわ・怒

などとジャンル分けしていかないと満足できなくて、次第にそれをすることすら面倒に。

そんなときに
ようやく辿り着いたのが!!!

なんと菅田将暉でした。(着地点が超絶に唐突)

さらっと言うたけど

ポルノから菅田くんに出会うまで14年くらい経ってますのよ(こ、怖い…長過ぎる…)

画期的な発見〜菅田将暉で安定の日々

ドラマの主題歌だった「さよならエレジー」を聴いたとき、その真っすぐな歌い方に、惚れました(アキヒトと同じ流れだ…歴史は繰り返す)。

楽曲を自作するアーティスト、バンドから離れて、初めてハマった「役者さん系」。

菅田くんは他のアーティストから楽曲提供してもらったものを多く歌うので、アルバム内の曲たちもとてもバリエーションに富んでいました。その結果「〇〇な時は、このバンド」という気分に合わせたセレクトをいちいちしなくても、菅田くんひとりでどんな時でも対応できるようになったのです。
これは本当に我ながら画期的な発見だった!

ただ、ひとつだけネックだったのは、曲によって歌い方が全く変わってしまうことでした。それは、彼が役者さんだったからかもしれないし、なんとなく、耳がとても良いからかもしれないなと思っていました。

それでも、アルバムをひたすらに聴いて
カラオケ行ったら、ただひたすらに菅田くんを歌ってました。米津玄師と歌ってた「灰色と青」とかも。
ライブ動画なども役者さんとしてじゃなくてアーティスト菅田将暉としてしっかり見られる。これならライブ参戦しに行きたいかも!と思えていたくらいだったんです。

突然訪れた悲しい結末〜「音楽難民」、再び


別れって突然やってくるんですね。

とある日、何気なくつけていた夜のニュース番組のエンディングとして流れていた曲を耳にしました。

「うーーーん???」

私にはその曲の良さがわからなくて、古き良き時代、バブルな頃の楽曲の雰囲気が逆に今の若者には受けてるのかな、なんてことを思いながら聞いていて。

で、最後にエンディング曲のクレジットを見た時に衝撃の事実が…

その曲を歌っていたのが、菅田くんだった

「この曲いいな。誰だろう?」でチェックして出会ったアーティストほど嬉しいものはないですが、
「この曲、うーーーーん???」で確認したアーティストが、実は今自分が一番好きなアーティストだった、という衝撃。

あの時は本当にショックでした。
あの一瞬で、終わりました…

曲によって「歌い方が変わる」から、菅田将暉が歌ってると気づけなかったことも悔しかったし、
「歌い方が変わる」ことを「変えられるのが彼の個性」ではなく
「デモテープ(もしくは作曲者の歌い方)に左右されているんじゃないか」
と受け取ってしまっていた自分にも気づいてしまい…それ以来、菅田くんの新譜を追うことはなくなりました。(でも菅田将暉という役者は今も大好きです!松坂桃李も好き。もう事務所ごと好き。

第二期「音楽難民」の深い闇からの脱出


そのまま再び「音楽難民」に戻ってしまった私。

一生ついていくかもしれなかった菅田将暉について行けなかった…ブンブンに振り落とされた…
「もう音楽なんて聴かないなんて言わないよ絶対」とマッキー的なことを思いながらも

また「音楽難民」になってしまったさびしさと、もうこれで私は好きな音楽に出会えないまま一生を終えるんじゃないかという強烈な焦りがありました。

現役じゃなくてもいい。
昔好きだったアーティストたちを聴きに戻るしか、もう道はないのかな。
なんてことも、考えたり。

そんなとき
長女に「今、バズってるらしいよ!」とSixTONESの「PARTY PEOPLE」のMVをYou Tubeで見るようにと、猛プッシュされたのでした。

それがSixTONESとの出会い、そして「音楽難民」からの真の卒業となったのです(なんかやたら壮大?・笑)

すべての音楽遍歴が今に繋がる〜SixTONES


「PARTY PEOPLE」を聴いてみて
踊れる曲、ファンキーな曲はやっぱり昔から好きだったし
ベース音がはっきりしている曲だったので、ベースの音を追うのも楽しかった!

そしてYou Tubeのわちゃわちゃ動画を見ていたら
京本大我の中性的な感じは松岡英明を思い出すし
田中樹の首が長いのは松坂桃李と一緒だし(首長族が好きなんだということも、田中で気がついた)

その後、You Tubeで楽曲を聴いて(順序が逆じゃね?)びっくり。
ここの事務所の人って、こんなにいろんなジャンルの曲を歌うの?!
ロックも、バラードも、EDMも、ボカロ曲も、なんでもあり!!
いろんな音楽を聴いてきた身としては、どれを聴いても「受けつけない」ことはないし、むしろ今流行りのジャンルを知れたり、飽きないし、ハーモニーも聴かせてくれるから純粋に楽曲聴くのが楽しい。

しかも、彼らの歌い方はどんなジャンルの曲でも変わらない。
SixTONESは誰から楽曲提供を受けても、自分達の色にして歌える6人組だった。

ジャンルを超えた音楽をSixTONESという6人の声、ハーモニーを通して届けてくれる彼ら。
SONYさんと共に音楽に真剣に向き合っているからこそ、
それまでどんな音楽を聞いてきた人にも、事務所からして超絶にアイドルだから苦手っていう意識を持っていた人にも「ねぇ、おいでよ!」「なぁ、聴けば?」って、招いてくれたのだと、勝手に思ってます。

SixTONESのハモりに触発されて、40も半ばを過ぎて未経験でゴスペルサークルにも参加し、アルト歌いになりました。
今は最高に音楽を聴いて、最高に音楽を楽しんでいます!
SixTONES、お招きありがとう!!


アニメが好きだった、まだ中学生の頃の私。

アニメのあのオープニング曲、チャカさんのあの声にひと耳惚れしてなかったら、今こうして音楽をこんなに聞くことも、歌ったりすることもなかったのかもしれない。

もし菅田将暉よりも先にSixTONESに出会っていても、「楽曲を自作しないのはアーティストじゃない。そんな人達の歌を今さら聴くなんて…」と聴かず嫌いで、もったいない選択をしていたかもしれません。

そう思うと、きっかけやタイミングって、どこにあるかわからないんだな、と感じます。
何歳になっても、私のように大好きな音楽に出会えてハマって、シアワセな人たちが量産されてほしいーーー!!!

自己紹介は以上です。
長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました!

最後に、大好きな言葉で終わります。

「音楽は裏切らない」byジェシー

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