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人生で何かを選ぶ時、「選ばなかった人生」を後悔するか。

最近はすごく穏やかな日々を送っている。今年は実はnoteというか文章に力を入れていこうかと思っているので、ちょっと更新が増えるかも。

人と会って話すことは、路上での対面を通してだいぶ鍛えられたように思う。約2年半、路上やカフェやバーで占いをさせてもらって、少しずつ人と会って話すことには慣れてきた。即興でリーディングするのもある程度手馴れてきたけれど、話すことについてはいつまでも終わりがなくて、毎回セッションが終わるたびに、「もっとこうすればよかったかな」とか「あの話で伝わったかな」とか思うんだけどね。それはずっとそうなんだと思う。

路上で占いを始めた頃は自分がどういう相談に向いているのか分からなかったけど、だんだん自分が得意なことやこれをもっとやりたいなと思うような分野も見えてきて、そろそろ大きな指針が決まりそう。
私は自分自身の才能を活かしていくとか、生き方の指針を考えるとか、そういうことへの興味が強いので、その手の相談になると話が長くなりやすい。
何度も占いを受けてくれている友達にも「人生とか生き方を相談した時の言葉の方が、心に響く」と言われるので、多分そうなんだろう。


それは、私自身が過去に何度も生き方に迷ってきて、周りに手本となるような大人がいなくて、「もっとそうじゃない生き方はないのか」と探してきたからだろう。今でこそ「自分の好きに生きていい」というような言葉は価値観の一つとして認識されつつあるけど。
「自分の好きに生きるだなんて、そんな我儘、許されるはずがない」なんて思って生きていた時期は、私にもあるのですよ。だいぶ制限の多い人生だった。でもそこに留まっているのは苦しかったので「こんなことしていいのかな」といいながら自分の我儘を優先させてきたんだけど(笑)。そういう意味では、褒められた人生ではない。


前にも書いたかも知れないけど、人生で何かを選ぶ時に、「選ばなかった方」について後悔することはあるか、と言われると、実はほとんどない。まぁ人はそのように出来ているという脳機能の話でもあるんだろうけど。一か八かの勝負、ギャンブルには全賭けしてきた。その時々で迷いながらも、最終的には自分の興味を選んできたので、損をしてきた部分でもあるかもしれないけれど、得たものは膨大だ。
何かを選ぶときに、「選ばなかった方で生きている自分」が美しく思えないなら、今の道を選んでみてよかったんだと思う。

「もし結婚していたら」とか想像するけど、多分タイミングとか色々なことを考えると納得出来なかったと思うし、結婚していたら今のような自分にはなっていなかったと思うので、特に後悔はない。「あの人と付き合えてたら」とかも、別に同じことだなと思う。捨ててきた選択肢には、興味がなかったんだと思う。相変わらず欠点もあるし、未熟者ではあるけど、何だかんだ今の自分が結構好きなんだと思う。

「あのとき結婚してれば」とか人生で後悔する人って、妄想しすぎなんじゃないかな。妄想が膨らんで、その「もしも」が素敵に見えているだけで、冷静になったらきっと全然そんなことないよ。あるいは、自分自身に嘘をついてしまったから、それを後悔しているだけかも知れないよ。だったら、これからどうしたらいいのかは分かるでしょう。

そんなことより、自分が自分で無くなる努力のすべてをやめてみよう。誰かに媚びたり、相手の顔色を伺ったり、相手を試したりとかしなくていいんだよ。しないほうがいい。努力するべきは、相手に媚びを売ることではなくて、媚びを捨てることなんだ。

恋愛の最大のコツは、相手が居ても、居なくても幸せでいられることなんじゃないだろうか。もちろん相手がいるからこそ味わえる幸せってあるんだけど、それって普段の自分が、ある程度自分のことをちゃんとやっていないと純粋に楽しめないんだな、と思う。

今の自分が「まぁそんなに悪いもんでもないか」くらいに思えるようになると、生きるのってすごく楽になる。あとは、その自分のままで、すべきことをして、淡々と生きていく。変えたいところは変える。そういう暮らしでいいんじゃない
かな。そんなことを思いました。



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