常に先端に立つ自分であれ。

はてさて。今日は何を書こうか。
ここ2年くらい親しくしている友人のライフステージの変化が凄くて、心から祝う気持ちと、私も私で頑張ろうという気持ちになる。襟を糺すというか。

もちろん今後も大事な友人なんだけれど、その変化の速さと軽さに、あぁもう私の囚われていた古い時代は終わっているんだな、と思う。
一応30数年生きてきてしまっているので、私の中にも古い価値観が全くない訳ではなくて。途中途中で意識して刷新しているつもりだけれど、私より若い世代の彼女たちは、もともとそういうのがずっと少ないんだろうなと思う。それを「若いから」と言って押さえつけたり「おかしい」と言うのは古い世代たる自分たちの刷新の機会を失っているだけなんじゃないだろうか。

前にも少し書いたか分からないけれど、私自身もそうして押さえつけられて育ってきた方だったので、20代はそれらに染まるように努力してみたり、あるいは耐えきれずにドロップアウトしたりしながら、どうにか戦ってきたように思う。30代になって、誰かと戦わねばというガツガツした必死さは薄れてきて。戦わないけど迎合もしない、そんな立ち位置にいるように思う。
それでも自分も先端に立ちながら、同時に誰かを気遣う気持ちを持てるようになりたかった。私より若い世代は、私より新しい分、ずっと優秀だ。だから、その可能性が奪われることがないように、と思う。私が子供の頃、近くに居て欲しい大人に、自分がなりたかった。

田舎の町の公務員家庭に生まれ、外面や体裁を重んじる家族や、エリートに育てたい家族との折り合いは付かず、ドロップアウトした。それは、私がなりたいものやしたいことではなかった。ただ、happyでいたかった。
美しいものやおもしろいものを愛し、頭を使って何かを考えたり、手を動かして何かを作ったり、自分のアイデアをカタチにしたり。人生や生き方について語り合ったり。そういうことが私にとってはhappyなことだった。それは今でもあんまり変わっていない。

今でもそういう暮らしをしたいというのはあんまり変わっていないんだけれど、(よく見ると実は既にほぼ叶っているんだけど)最近少しだけ変わってきたことがあって。それは、きちんと先端に立とう、と思えるようになったことだ。
リーダーとは、誰かを率いることではなく、たった一人でも道なき道を進む意欲を持つ人のことだという。
誰かが追随してくれるから走るのではなく、私が走るから、それに人がたまたまjoinしてくるだけなのだ。joinはあっても、なくても関係ない。ただ、自分の行きたい方向だけを見て、走る。その先端に立ちたい。未熟であろうと、格好悪かろうと、自分を外に出していく、そういう誠実さを持ちたいと思う。それに何か刺激を受ける人も居るのかも知れないし、居ないかも知れない。それが世に言う「影響力」ってことなんじゃないだろうか。

そうやって自分に集中して自分の勤めを果たすから、やっと人に何か届くんじゃないだろうか。何もしていない人のどうでもいい言葉なんて、誰のところにも響かない。勤めっていうと堅苦しいけれど、それって要は自分自身を諦めない姿勢と行動なのだと思う。自分も、自分の勤めを果たさなくては。
自分を隠しながら誰かに言葉が届いて欲しいと思うなんて変な話だ。自分こそ真っ先に、先端に躍りでなくては。

友人の門出を祝いながら、自分も頑張ろうと思った。そんな日でした。



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