見出し画像

知性の光を持ちたい。

昨日は前から気になっていた本屋にふと立ち寄ってみた。店内には海外の画集や絵本などの古書が置かれていて、気になるものをパラパラと見ていると、店内で流れるラジオの言葉が聞こえてきた。とある洋楽の歌詞を和訳して朗読していたんだけど、それが個人的にとても印象深い歌詞だったので、忘れないうちに書き留めておきたい。


入っても迷わないで

私の無限の中で

私は小さいですが、巨大でもあります

私の顔を見て

それは謎です、でも秘密ではありません

ここへ来て 

恐れてはいけません

あなたはこの水を飲むことが出来ます

入っても迷わないで

私の無限の中で

ーInfinito particular 
Marisa Monte


なんだか示唆深い。こういうものに「ふと」出会えたことが、おもしろい。

「これをしたら、こうなるはず」という決めつけや期待は私を制限するだけで、だいたいその通りにはならないし、それ以上の何かも生まないのだった。だけど、期待せずにいると、こういうことってたくさん起こるんだった、というのを思い出す。(しかもそのお店は7月は全部休みの予定らしく、昨日行かなければ8月まで入らなかった。なんという偶然か)


劇的な何かを求めるのではなく、穏やかに過ごしてみよう、何でも楽しんでみよう、先入観なく受け取ってみよう、というささやかな実験をしている。


これまでに私が何かを変えるために選ぶ行動は、「激流に飛び込め」的なものが多かったなと思う。「激流で揉まれたら変われるんですよね」的な。あるいは「激流で戦ってる自分は自分の人生を生きてるんだ!」的な。ドラマチック病だなこれは。

同じようなことを、ずっと友人から言われつづけていたことを思い出す。気づきの機会があるたびにスルーしていたことが、ツケのように雪だるま式に膨らんで大きなコントラストになってしまうんだなと思う。


「お金に問題があるのではなく、受け取りに問題があるだけだ」というのもアクセスの何かで読んだけど、本当にその通りだ、と自分を振り返りながら思う。

ゴミ滅却プログラムでも同じことを言われていたけれど、愛も、豊かさも、信頼も、アドバイスも、さまざまなものを溢れんばかりに注がれていながら、何も受け取らないのは私だった。そのくせ欲しがって、他人の幸せを羨ましがって、奪いたがっていたのも私だった。それを隠して何も問題ないフリをし続けていたい、カッコつけていたいのも私だった。実際のところ、カッコなんて最初からついてないのにね。綺麗なフリをしていたい、なんて思うから純粋さから遠ざかるんだ。私は今、真理から離れすぎだ。自分の在り方が。真理を体現した友人がそばに居たのにも関わらず、何も学んでいなかった。素直さがなさすぎた。自分に誠実に、という言い方も出来るけど。

素直になれない世界ってどこだ。際限なく続く建前と嘘と駆け引きと競争の世界だ。そんな奴隷の常識引きずって、どうやって素直になろうと言うのか。「これまでの世界の常識は何も正しくない」と言われたじゃないか。それでどうやって真理の美しさを見続けていくのか。見出していくのか。私はそれを美しいと思うし、それが本当は当たり前に身近にあるべき大事なものだということも知ってる。それが身近になかったことにずっと絶望してたのだと思う。


真理が美しいと思うことの何がおかしいんだよ。おかしくないだろ。むしろおかしいとされてるその世界そのものを疑えよ。そしてまがい物の多さを見極められない自分の目を疑えよ。「そんなことより」って言って一番大事なものを捨てていく自分の愚かさを疑えよ。どこ見てんだよ。


私は真理が身近にあるのが当たり前の世界が見たいんだ。それが必ず人を照らすと知ってるから。私にとっての光は知性なんだ。知性が人を支え、助けると知ってるからだ。

だから、私自身ももっと知性を磨いていきたいんだ。もっと尖っていきたいんだ。もっと速く、もっと軽く、もっともっと明晰にならなければ。もっと明晰にならなければ見逃すそれをすべて見たいんだ。それがしたくて生まれてきたんだから。私が自分の目的を見失ったままで、どうやって生きていくつもりなんだ。馬鹿なのか。

馬鹿を自分の中に飼ってることから疑えよ。それを人だと認識してることを疑えよ。どれほど馬鹿を真似しても一緒には居られないんだよ。そもそも誰とも一緒じゃないんだよ。そして今まだアレは人になっていないんだよ。人になれよ。人になって初めて、自分の人生を創造出来るんだよ。それは自立なんだよ。何かに隷属したままで、誰かに擬態したままで、誰かのせいにしたままで、何かに依存したままでは、人として生きることは出来ないんだよ。でも、別に世界との交流を断つことでもないんだよ。逆なんだよ。自立して初めて世界との交流が可能になるんだよ。初めて対等に学びが成立するんだよ。人にならなくては、学ぶことすら出来ないんだよ。そういう人にならなくさせるバグを全部消去していくんだよ。学ぶってのは別に苦しくないんだよ。その「苦しい」って感覚がそもそもズレてるんだよ。自分の純度を高めていくことが苦行であるはずがないんだよ。それは無限に発見が続くだけなんだよ。自分が新しい発見することは喜びしかないはずなんだよ。そういう新しさがないことを疑えよ。好奇心を失ってることを疑えよ。自分が死にかけになってることをよく見ろよ。




なんだか書き始めたら、急に独り言がとまらなくなって、一気に書いてしまった。


▽個人セッションはこちら















読んで何かいいなと感じたら、ぜひサポートお願いします。いただいたサポートは私の豊かなスタバライフに使わせていただいたり、他の方のサポートに使わせていただきます。