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【考察】中島みゆき『夜会』VOL.20「リトル・トーキョー」

『夜会』VOL.20「リトル・トーキョー」
2019年2月15日(金)TBS赤坂ACTシアター
みゆきさんの「夜会」、今年も行ってきた。

ここ数年、夜会の開催が続いている。通常のコンサートもやってほしいと思いつつ、やってくださるならなんでもいいと思いつつ。

たまたま「夜会」が続いているのかしら。これまでぼけっとそう思っていたが、今回鑑賞したことでみゆきさんは「夜会」を、やりたいのだろうなと感じた。

『紅灯の海』。今回この曲の登場が私の中で大きかったらしい。私は『紅灯の海』が大好きだ。この曲、6分29秒あるようだが、とても短く感じる。好きだから何度聴いてもあっという間に終わる。しかし立て続けに何度も聴くとそれはそれで野暮な気がしていつも惜しむように再生している。
みゆきさんの曲で歌詞の意味を自分なりに解釈して聴けているものは少ない。ただどうしようもなくメロディが、声が、語感が沁みて、なぜ好きなのか説明しようもない曲のほうが多い。
『紅灯の海』もそう。意味も分からず聴いているので『紅灯の海』にまつわる思い出エピソードみたいなものはないのだが、思い入れだけはものすごくある。大切な曲の一つ。

その曲が、だ。それも歌われたのが宮下文一さん。
以前ソロライブにひとりで行ったことがあるぐらい大好きな方だ。みゆきさんを通じて巡り会えたことを本当に有り難く思っている。その方が、『紅灯の海』、歌っ、、たーーー。

そういうとき何が起こるかというと、
1. 驚き、喜び、感激がぶわっと洪水のように流れ込んでくる。必死で聴く。
2. この場面で、この曲が。みゆきさんの意図を考える。
3. 文さん演ずるふうさんが歌う(=ふうさんの心情吐露)。浸る。文さんの表情と歌い方、忘れられない。
4. ただただ好きで聴いていた曲の歌詞を、今一度考えることになる。

みゆきさんが夜会で行うことは、観客がそれまで様々に思い描いていた曲の文脈を一度リセットし、再構築してもらうことなのだなあ。そういう意味で「言葉の実験劇」と銘打っていたのかもしれないと、身にしみて感じた。
あの曲にはああいう思い出が、あれはあのとき流れていた曲だった、というように観客の数だけある物語を持つ曲たちが、生み出したみゆきさんの手でまた新たな物語に変容する。そのとき人は何を思うか。楽曲の可能性を試し、あるいは可能性にかけているのか。
これは作り手として楽しいだろうなあ。一観客としても楽しいです。

夜会は、数を重ねるごとに全体の流れが理解しやすくなっていっている。何が起こっているのか分かりやすいと純粋に歌を楽しむ余裕も生まれて良い(笑)現代と思われる様子なのにアンティークな装いとドレスアップ、とても寒いらしく雪山がそびえ立っているのでトーキョーではなさそう…等といった観察ぐらいで事足りる(笑)(まっさらな状態で観たいのでパンフレットは公演終了後に読むことにしている。)
みゆきさんは色の変化で対比表現なさることを好まれるのかな?今回だとまばゆいばかりの白の衣装で登場してからは状況が変化したことが明らかに見てとれた。「夜会『24時着0時発』」も白と黒の対比が使われていたような。
石田匠さんも大好きすぎてソロライブに行ったことがある。ソロだとハスキーなお声が印象的で、夜会とはまた違った魅力だった。夜会での歌声は夜会でしか聴けないのかしら。たまらない・・・!
渡辺真知子さん、終わってから「ハーバーライトでかもめが翔んだ人だったのかー!」と知った。渡辺さんのところだけ違う空間ができていた。歌唱力が凄まじかった。
舞台の傾斜がすごかった!観ていて違和感を感じると思ったら、舞台が前のほうが低く、後ろの方が高くなっているという斜めの角度がついていたのだった。公演後に観察しに行ったらけっこうな角度でびっくりした。よくあれでヒール履いて踊れてたなあ。

このように、歌やダンスもありのパフォーマンスでしっかり魅せてくれる。
みゆきさんはもちろん、演者さん全員が極上の歌唱、演奏、表現。歌が上手い、楽器が上手いというレベルを遥かに超越したところを味わえる。分かりやすくなったといえど、このすべてを楽しむにはそれでも夜会は忙しい。頭の中がめまぐるしく回る。考えること、感じることを豊かに楽しめる。なんて贅沢な空間。
クライマックスでみゆきさんが訴えていたこと、あれは一度では分からなかった。なんとなく把握したのは、みゆきさんが強い光で前を照らしてくれているということ。みゆきさんはいつも毅然として強くて、明かりを灯してくれる。大きな温かさで包まれる感覚があった。だから涙が出てきて止まらなくなった。それこそ分かりやすい悲しいシーンだとか感動シーンとかであったわけではないのに、感情をゆさぶってくる。これこそが、中島みゆきさんだから成せる究極の作品の在り方なのだ。

『紅灯の海』に戻る。
いやあ、しかし切ないなあ。ふうさんが、自分は利用されるしかない立場にいたことを知り、無力さを感じる。それを見つめる梅乃。ここでかあ。あの場面はまた、照明がまさに紅灯だったような記憶が・・・。

ふうさん、あなたの気持ちはどこにあったのですか―――。少しは想ってくれていましたか―――。


まだまだCD収集中。


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