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街の匂い、夢遊病

旅ゆく音楽家は夢遊病に罹りやすい、とか。

ツアー遠征が続くと、訪れる街の景色に既視感を覚えることがある。店の看板や商店街アーケードのデザイン。はっきりとは覚えてないのに、確かに以前見たような気がする。どこで見たのかな。そう記憶を辿っていると、とある瞬間、自分がどの街にいるのか分からなくなる。

それが初期症状なのだ。気づかずに旅とホテル生活を繰り返してしまうと、ある時を境に今いる街と過去に訪れた街とが重なって、記憶の混濁が始まる。

そこに遠征における睡眠不足や飲酒などが重なると、知らない街なのに詳しいつもりで歩いたり、夜中にふと目が覚めて何処にいるのかまったく分からなくなったりし始める。しまいには、意識も曖昧なまま夜な夜な出歩く……というのが、旅多き音楽家たちの夢遊病症例の一部始終だ。

まあ、そんな話は一切聞いたことがないのだけど。全て今、僕がでっちあげました。

けれども、今年たくさん旅に出たのは本当だ。大好きな仲間たちと多くの街へと出向き、景色を脳裏に焼き付けた。色々な街から街へと放浪したし、それらの記憶が不確かなままで幾つもの既視感も経験した。だから、夢遊の感覚があったと言っても、あながち嘘ではないのかもしれない。

友人らに遠征の話をすると、まあ結構な頻度で「いいなあ」などと言われる。なるほど。きっとあなたがたは、僕らが美味しいご飯や温泉に寄り道しつつ、各地を巡業していると思っているのでしょう。

けれども、まあ待ちなさい。少なくとも今年一年、音楽家として全国飛び回った僕には、旅に余裕を感じられたことがない。と、声を大にして言いたい。むしろ余裕を持とうと行動した結果、遅刻して怒られるくらいなのだから同情されてもいいとすら思っている。

日も出ぬうちから移動が始まり、現地到着後はすぐに機材準備とリハーサル。あっという間にオープン時間を迎え、気がつけば開演直前となる。光の速さで本番は過ぎ去り、あとは打ち上げを残すのみ。

それから安らかに就寝できればいいものの、息つく間もなく帰京の途に就くのだから大変だ。音楽家は布団で寝ずに、楽屋のソファーと機材車の座席で眠る。サヨウナライブハウス、コンバンハイエース。ああ、観光よ何処に。

でも、合間を縫って散歩くらいはできる。そして、僕は散歩が大好きだ。

本番までの束の間、ライブハウスを抜け出して商店街へと向かう。ライブハウスは大体が商店街や繁華街に隣接しているので、時間がないとて、少し歩き回るだけで素敵な店をそこかしこに見つけられる。

コロッケ特売中の老舗の肉屋、ご近所の顔なじみばかり集まるパチンコ店、学生が集まる新しい雑貨屋、掘り出し物だらけの狭いレコードショップ。それらを横目に先ほどのリハーサル音源を聴きながら散策を続ける。すると、どの街の商店街も、似て非なる空気感を孕んでいることに毎回気付かされる。その街それぞれの〈匂い〉みたいなものが、そこには確かに存在しているのだ。それは鼻を通して知覚する本当の匂いではないのだけれども、なんと言えばいいだろう。街の纏う質感とでも言うのかもしれない。

そして商店街を歩く人々のうち幾人かは、まっすぐに家には向かわず、今夜の僕らのライブに寄り道してから帰っていくのだ。

会場に足を運んでくれた人々に出会う時、僕はその都市と、そこにいる人々の生活と確かに繋がっているのだと感じる。終演後のライブハウスでお客さんやバーテンダー、現地のイベンターさんと話す時に、僕は下手なアクセントでその土地の言葉を少しだけ使ってみる。「どうですか、僕も少しは知ってるつもりなんですよ」なんて具合に。するとクスリと笑って「どうかな、まだまだかな」なんて言われたりして。それから僕はその街の人々と、色々な話と共にアルコールを酌み交わす。ほら、もう一杯、その調子。

僕らは内に秘めたる音楽への衝動を、こうやって共有している。交わすグラスのわずかに向こう側、まだ興奮気味に少し開いたままの瞳孔、そして言葉遣いから、それは伝わってくる。僕は彼らの小さな秘密を覗く。僕らの音楽に触れた者たちだけの、その晩限りのささやかな秘密。

僕は知っている。その秘密が、寝静まった住宅街に灯る光の中にも潜んでいることを。その夜のライブの興奮冷めやらず、未だ胸を高鳴りを抑えようとしている人々がいることを。彼らは目の前に広がっていた音楽の世界にまみれて歓喜した夜を、味わい尽くそうと惜しむのだ。さっきまでのフロアの熱狂を、鼓膜を揺らされていた夢うつつの時間を反芻し続ける。一人、大事に抱え込む。かつての僕がそうであったように。

飲み会も終わった帰り道、ハイエースの車窓から街を眺めてみる。秘密も記憶もまどろむ頃に、アルコールとライブの熱狂もまたその熱を冷ましていく。気持ちのいい余韻だけが瞼に重くのしかかる。朝の気配を感じる。

首都高速道路で世田谷方面に向かう途中、眠気の残る脳みそで新宿のビル群を視界に捉えるその時に「ああ、帰ってきたのだな」と身体が先に理解する。東京の建物や人がまとう〈匂い〉が出迎えてくれる。東京で生まれ育った僕は遥かに望む故郷はないけれど、車窓から見上げるビル群に、否応無しの安堵が詰まっている。

今年旅した街の記憶は、帰京してしばらく経った今でも〈匂い〉としてはっきりと僕の中に残っている。本物の匂いから思い出される記憶が、とても鮮明であるように。きっとその記憶を辿って来年も街々を訪れるのだろうし、訪れたい。そこに住む人々の秘密をこっそり教えてもらいたい。何度でもそうして巡り会いたい。

※※※

ハッと目を覚ますと、僕はまたハイエースに乗っている。空調で乾燥した空気が喉の奥にしみているので、ぬるくなったペットボトルのほうじ茶を一口飲み込む。体温より少しだけ冷たい液体が喉をヒヤリと潤すあいだに、寝惚けた頭が少しだけ覚める。

外を眺めると、オレンジ色の街灯が、ふわり、と揺れては車窓を次々と通り過ぎていく。ふわり、ふわり。外の景色が滲んだ水彩画のように繋がったまま流れていく。きっと時速は100kmを超えて……今、僕はどこに向かっているんだっけ?

旅ゆく音楽家の夢遊病は、来年も深刻かもしれない。

皆様、良いお年を。

(編集・中道薫

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