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ヒンデミット 交響曲「画家マティス」(1934)

ヒンデミット 交響曲「画家マティス」(1934)
Paul Hindemith(1895-1963) Symphonie "Mathis der Mahler"(1934)

ヒンデミット。クラシック音楽ファン以外には耳慣れない作曲家かもしれませんが、20世紀を代表する音楽家のひとりです。生まれは1895年で1963年に亡くなっています。作曲家であり、ヴァイオリン奏者、教育者、指揮者と20世紀前半のドイツで大活躍した人です。

元々はオーケストラでヴァイオリンを弾き、ソリストとして、弦楽合奏団の一員としてつまり演奏家として抜きんでた才能を注目されていました。この人の面白いところは、専門楽器のキャリアがヴァイオリン(第1だけでなく第2も)とヴィオラへ及んでいることです。合唱でいえば第1テノール、第2テノール、そしてバリトンを担当するようなもんです。声の場合こういう変容は難しいけれど、同じ弦楽器なら比較的容易かもしれません。

もちろんそれぞれのパートにはそれぞれの職人的素養や勉強が必要です。普通はパートを簡単に変えません。しかし、ヒンデミットはパートを低音楽器へ移行していくのですから、興味深いです。きらびやかな高音は目立つ存在ですが、実は低音や中間音が重要な役割を担っているということに気づき、そこにも重点を置く。きっと彼自身作曲家になる目的があり、その下準備で自ら演奏家として実験・実践したのかもしれません。

交響曲「画家マティス」は後に完成した同名のオペラ作品でオペラの完成前に使った音楽3曲を用いて構成されたものです。フルトヴェングラーとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のための作品でした。ところが、初演は大成功だったにもかかわらず以後作品の委嘱は継続せず、やむなく彼の作品発表は海外で行わざるを得なくなります。ちょうどナチスドイツが台頭しはじめた頃でした。ヒンデミットはユダヤ人でしたから不当ないいがかりといえる厳しい仕打ちを受けていました。同じ芸術を支えている人々からも中傷的攻撃を受けます。指揮者フルトヴェングラーは作曲家ヒンデミットを弁護する文章を発表しています。彼が「雑音メーカー」と揶揄されることに我慢ならなかったからです。こうして彼は以後ドイツ国内ではなくトルコやアメリカを仕事の拠点とするようになります。
(「画家マティス」の本当の意味の初演は1938年チューリヒで行われました。)


私はつい最近までDTP(デスク・トップ・パブリッシングの略、今は死語かもしれません)を扱うプリプレス会社に勤務していました。主に印刷用のデータをコンピュータで作成するのが仕事で、様々なフォントを扱いますが、「マティス」(フォントワークス社)という名の書体があるのです。
私はこの音楽の題名を見た時「おお、マチスか!」と少し感動したのですが、フォント名の画家はアンリ・マチス、この作品のマティスは、マーティアス・グリューネヴァルトという16世紀の画家でした(Mathiasは時にMathisとも呼ばれるようで、題名がマチスになっています)。農民戦争の時、農民たちを教会に対抗して立ち上がらせた革新的思想を持った画家です。彼が書いたイーゼンハイムの祭壇画(宗教画です)を題材にオペラ化しました。

Wikipediaでは、画家マティス画家マティスの題材のインスピレーションとなった「イーゼンハイム祭壇画」中の3種をご覧頂けます。


★リディア旋法の不思議

「画家マティス」という音楽は不思議です。初めて聞いた時はたぶんさほど印象に残らなかったのです。一曲目のアダージョのやすいらいだ雰囲気は、朝もやのようで聞き流してしまいました。第二曲は暗闇のイメージですし、三曲目に関しては騒がしいだけでした。ところが、聞き続けるうちに、五回目くらいでしょうか、少し興味がわいてきました。そして十回目には「なんだろうこの音楽?」と好奇心に発展。それからはやみつきになってしまった。

特に注目したきっかけは「リディア旋法」でした。音楽の旋法とは、専門的解説では、

 旋法とは、旋律の背後に働く音の力学である。 一般に旋法は音階を用いて記述されるので、音階と混同されがちであるが、音階が単に音を音高により昇順あるいは降順にならべたものであるのに対し、旋法は主音あるいは中心音、終止音、音域などの規定を含む。 旋法は特殊化した音階、あるいは一般化した旋律として定義できる。

引用:ウィキペディア

とされます。私流の解釈では実に大雑把ですが「音階の種類」に似ていると思っています(厳密にいうと違うようですが…)。身近な例では、演歌で使用されているヨナ抜き音階(ドレミソラド)、沖縄音階(ドミファソシド)、ブルース(ドレミbファソラシb)などがありますね。

リディア旋法とは遠い昔、グレゴリオ聖歌の時代、音楽がひとつの音だけで形成されていた時代の旋法の一種なのです。まだ短調やら長調などという考えもない頃です。リディア旋法の他には、ドリア旋法、フィリギア旋法、ミクソリディア旋法等があり、リディア旋法はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番第3楽章に使われています。

具体的にはどういうものかというと、ファから始まり

 ファ-ソ-ラ-シ-ド-レ-ミ-ファ

となります。手元に鍵盤楽器や縦笛、ギターなどがあれば鳴らしてみましょう。音はわかっても、いまひとつピンとこないでしょう?譜面を見てもやはりピンきません、特に私のような相対音階派(どの調でもドレミファに見なして解釈する、いわゆる移動ド派)には。でもどの専門書にもファソラシの記述しかないのです。じゃあ、というわけで、移動ド派でもわかる音階で表記してみました。

ド-レ-ミ-ファ♯-ソ-ラ-シ-ド

これがハ音(C)を基準とするリディア旋法です。普通のハ長調音階のファだけがシャープになります。たった1音がシャープになるだけなので摩訶不思議な音階ができあがります。ドレミときて、ファ♯になると、「おお!」と心のどこかで驚くのです。「何だ!何が始まるんだ?」と問いかけたくなります。でも、続くソラシドはフツーですから、安心する、逆にいえば落胆する。期待に胸をワクワクさせられたのに「なーんだ」とがっかりするかもしれません。

常にこの音の順番でメロディが作られているのではなく、複雑に作られているし、近代の作品の場合は転調バンバンですから、よほど意識しない限りはわかりません。ただ、出てくるメロディそれぞれに独特の雰囲気が加味されるのは事実です。試しに私もキーボードであれこれ思うままにメロディを考えてみました。本当変な感じ。変だけれど癖になる。


「画家マティス」では第1楽章がリディア旋法を使用しています。ヒンデミットも作曲を始めた当初は、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーなどの音楽を模範にしていたようですが、1930年以降は古き時代の旋法のすばらしさに着目し、音楽に積極的に採り入れます。皆さんもぜひ、摩訶不思議なヒンデミットワールドを聞いて下さい。

【第1楽章】天使の合奏
おだやかで安らぎたっぷりの序奏の和音に続き、のどかな木管楽器のシンプルな旋律、そして和音。弦楽器のうねりをバックにトロンボーンのソフトだけれど堂々とした歌声。ここまでの夢の世界だけで心奪われるかもしれないですよ。基本の調に全く別の調によるメロディが重なる不思議を楽しんで下さい。続く弦楽器のメロディ。これがリディア旋法なんでしょうか。クラリネット、フルート、オーボエへのリレーも絶妙。鳥の声を連想させますね。快活なメロディが次から次へとリレーとなり音の渦の中に頭も体も浸りきりになっているよう。終盤近く回帰部分のフルートソロが素晴らしい。

グリューネヴァルトの絵では弦楽器を弾く天使の他楽器を奏でる天使が数人見えます。キリストが誕生した時の喜びの音楽の場面のようです。

【第2楽章】埋葬
不協和音による不安げな弦楽器の調べ。フルートの弱々しいメロディと弦楽器のダイナミックな音のコントラストがすごい。暗闇の洞窟を恐る恐る歩いているような錯覚に陥ります。目的地に近づいたことを告げるかのような金管楽器。悲痛なクラリネットとフルートの音色、重苦しい弦楽器は、墓の中に横たわるキリストをこの目で見るようなイメージかもしれません。

【第3楽章】聖アントニウスの試練
15分弱の比較的大きな曲。前奏からすでに予断をゆるさない雰囲気たっぷりです。弦楽器の奏でるメロディが深いこと。トランペット等金管楽器のファンファーレを思わせるバックでスリルとスペクタクルの音楽が始まります。金管楽器ファンにはたまらない魅力です、これは。難解で頭がはちきれそうなクラリネットのメロディもすごい。合奏がぐいぐいとエスカレートしていきます。
やがて突然、悲鳴のようなヴァイオリンの弦の音!やるせなくもの哀しげなメロディの向こうでも引き続き小さく悲鳴は鳴り続く。アントニウスは怪物たちにやられてしまうのでしょうか?静かな音楽へと転じます。ここが特に聞きどころ。そして再びおどろおどろしい音楽へ。木管楽器の悲痛なさえずりと共に、荘厳な金管楽器のアンサンブルと打楽器。
クライマックスに突如として現れるのは難解な弦楽器のメロディ先導の複雑なフーガ。これ本当にすごいです。物語の終わりを告げる高らかなファンファーレになり、終始不安感がただよってきた曲想も、最後は輝かしい長調の和音で終結します。


★私の聞いた音源


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