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ベートーヴェン ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120

ベートーヴェン
ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120
33 Veränderungen über einen Walzer von A.Diabelli 
für Klavier C-dur op.120

ピアニストのハラルド・オスベルガー氏(2021年没)が、かつてベートーヴェンを題材にしたセミナー後のミニ・コンサートでとりあげたこの作品が妙に気になっていました。セミナーのテーマはベートーヴェンの作品を三期に分けその変遷を探るものでした。ということでコンサートで彼は三期それぞれを代表する作品を演奏したのです。前期として「ピアノ・ソナタ第1番」、中期としては「ピアノ・ソナタ第27番」そして後期に「ディアベッリ変奏曲」をとりあげました。

正直いって私は拍子抜けしました。後期作品として私の大好きな30~32番のソナタのどれかを取りあげると期待していたからです。なのにソナタではなく「変奏曲」です。

私はピアノ曲の中で最もすぐれているのがピアノ・ソナタであると信じて疑っていなかったのです。特にベートーヴェンの場合に限るでしょうがあの32曲の存在は音楽の歴史において革命に等しい。ピアノソナタの新約聖書とさえ呼ばれていますから。

でも、最近は、ピアノ・ソナタだけがベートーヴェンのピアノ曲ではない、と思うようになりました。ベートーヴェンはソナタ以外さまざまなピアノ作品を書いています。タイトルにそそられる「失われた小銭をめぐる興奮」や晩年自らのピアノ遊びで書いた「6つのバガテルなど。正式なop.作品となっていないものも数多いけれど、いずれも興味深い。

特に変奏曲が心くすぐるんです。「交響曲第三番」についてを書いた頃にとりあげた「プロメテウスの創造物の主題による15の変奏曲とフーガ《エロイカ変奏曲》作品35」は、英雄交響曲の第四楽章に勝るとも劣らないスリリングなピアノ作品です。そういえばベートーヴェンの演奏技術の上で忘れてはならないのが変奏でした。

あのモーツァルトをも驚かせた変奏能力、聞いた人は誰もが椅子から立ち上がれないほどのショックを受けるものだったようです。だからボンという田舎出の演奏家なのにもかかわらずウィーンでデビュー以来一躍スターになったのです。

しかし、ベートーヴェンは即興で演ずる変奏はあくまでパフォーマンスであり、実際の芸術とはいえないと、自ら念じていました。われわれが想像もつかない能力を駆使した変奏も彼にとっては単なる顧客サービス。真の仕事はやはり、何度も推敲を重ね、書き連ねた作品しかない。彼の勝負はこれしかないのです。

だから最初ディアベッリからの話を彼はまともに相手をしません。いえ、ベートーヴェンがたかだか一曲の変奏曲を書くなんてそれこそ「お茶の子さいさい」だったはずです。でも彼は断るのです。

ディアベッリはミヒャエル・ハイドンに師事した人物で、ピアノやギターの教師をして生計をたてていました。後に音楽出版社を設立します。彼はある企画をたてます。自作のワルツをテーマに51人の作曲家に変奏曲を書いてもらい、出版するという企画です。現代でも受けそうな企画ですし、おおかたの作曲家たちはこの仕事を引き受けます。作曲家の中にはフンメル、チェルニー(ベートーヴェンの弟子)、シューベルト、そしてベートーヴェンも含まれていました。

でも上に書いた通り彼はこの企画への参加を断ります。なにしろ「ピアノソナタ第29番《ハンマー・クラヴィーア》」や「荘厳ミサ曲」にとりかかっていた頃です。そんな暇はない、というわけですね。

それは表向きの理由で実は「テーマそのものが気に入らない」ことが理由のようです。金に困っていた晩年ですし、そう意固地にならず引き受ければよかったのに、、と思いませんか。

ところがいったん断ったこの仕事に、ベートーヴェンは俄然興味を覚え、自らディアベッリの企画とは別という約束で作曲を始めます。ははは、一筋縄ではいかないベートーヴェンの心境に何の変化があったのでしょうか、興味深いではありませんか。

結局、正規にディアベッリからの依頼を受け書いた作曲家達の曲をはるかに凌駕する変奏曲が完成しました。これは変奏曲というくくりだけで語ることができない傑作です。オスベルガー氏がベートーヴェン晩年を最も象徴する作品として取りあげた意味がようやくわかります。

初めて第一曲、第二曲だけを聞けば、「ピアノの発表会向け作品」と評価する人もいそうです。確かにテクニックの上では何の変哲もない曲。第二曲なんぞ三流の作曲家なら誰もがホモフォニーで書けそうな曲です。

しかし、ここで止めずにその後聞き続けると、ちょっと違うな、と思うはず。

テーマの片鱗はたもっているものの、別の音楽に聞こえてくるのです。左手の想像もできない軽やかでダイナミックな動き、ある番号ではこういう動きとは無縁なじれったいほどの和音展開。メロディ同士の会話。

こうしてピアノ自らが語り、問いかけを始めます。ベートーヴェンは最初興味のなかったこのテーマを、完全に自分のものとして、独自の世界を築きあげま
す。

構成は全部で33曲。全曲聞き終えるまでに45分弱の時間が必要。ということはアルバムなら1枚分。変奏曲としては大作ですね。

でも私はこの作品を切り売りで紹介することはできません。最初から最後まで聞かなければこの良さはわからないと、確信しています。ですからこの文を読み興味を覚えた方はぜひ全曲通して聞いてください。ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」も揺るがない傑作ですが、彼の真骨頂である変奏曲のまさに頂点でもあるこの作品はたぶん彼の音楽すべての根源を、私たちに知らせようとしていると思えてならないのです。

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★私の聞いたCD

ベートーヴェン
ディアベッリの主題による33の変奏曲
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)


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