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ちょっと本の話題……からのまた推しの話。


今こんな本を読んでいる。↑
私は趣味で五行歌を詠んでいるのだが、私の拙い歌をお寺の掲示板という大そうありがたい場所に揚げてくださった妙円寺の僧侶・本間大智さんの『仏教のことば』だ。存じ上げなかったのだが、様々なメディアで話題の方、話題の本らしい。

著名人や宗教家の、心を軽やかに解放してくれる様々な名言を、平易な言葉で分かり易く解説してくれている。
まだ途中だが、風さんの言葉と通じる部分も結構ある。

先人の智慧や言葉には尊い教えが沢山あり、それは生きる上での道標となり力となる。
私は無宗教だが、長い歴史を生き残ってきた宗教にはそれなりの理由がある。
迷いを抱えるとき、辛いとき、背中を押してくれたり、励ましてくれたりする。

宗教宗派は世界中に様々あるが、根底の部分では似たようなことを言っていたりもする。
心を柔らかにして向き合いたい。

宗教も信仰も個人の自由だし、そもそも宗教とカルトは別物。
洗脳し、不安を煽り法外なお金を要求する団体と、長い歴史の中で人々を導いてきたものを同じに扱う思考がおかしい。
私も含め最近の日本人は特定の宗教をもたない人も多いが、宗教と聞いて即アレルギー反応を起こす必要はないと思う。

過剰反応をして、せっかくの素晴らしい光を遠ざけてはいないか。
ましてや、何かを良いと信じる人を奇異な目で見たり危険だと言って批判したりするのはどうなのか。
その人が信仰を強要したり脅したり自分の利益になるように仕向けているのかいないのか、そこを判断基準とすればいいのではないか。

世間を騒がすような怪しい団体とそうでないものを分けて考えたい。
自分の弱さを知っている人ほど謙虚だし、信じるものを求める。
濁りのない目でものを見たい。

* * * * * * * * * * * * * * * * 

と、ここまでは自分のTwitterにもう少し短い文をアップした。(字数制限がね……)

さて、ここからは風さん周辺のザワザワについて。

日本人は宗教的な話になると腰が引ける傾向にある。
政治的な話も然り。
宗教を騙る怪しげな団体もあるから警戒するのも分かるけれど、ちょっと敏感すぎる人もいるんじゃないだろうか。
もっと大らかな気持ちでお互いの考えを話せて、「意見が違う人もいて当たり前、あなたはそうなのね、私はこうです。」と認め合って仲良くできないのかね、と思う。
学校教育や日本人の気質にも関わる問題で根深いけど。

ま、それはおいといて。

ふだんの風さんの言動には、もちろんご両親から影響を受けたサイババの教えらしきものが含まれている。
「宗教2世」という言葉もなんだかまがまがしいもの・あるいは同情すべきものという見方をされているようだが、小さい時から一緒にいるのだもの、親が信じるものを自然と信じるようになるのはごく当たり前のこと。
宗教2世が問題なのではない。
その宗教がカルトであった場合が問題であり、その活動を通して人に被害を与えることが問題なのだ。

自分が素晴らしいと思った考え方を噛み砕き、自分のものにし、自分の生活に取り入れた結果、自分を成長させてくれたり癒してくれたりした。
だから人にも伝えたいと思う……それはいけないことではないだろう。
しかも、別に一度も信仰を強要したり他の宗教を排除したりなどしてないのだ。
反対にいたずらに隠したりこそこそと布教活動をやっているわけでもない

私が思うに、素晴らしいと思った考え方だからアルバムタイトルに使ったり、ライブでスーハ―呼吸してみたりしているだけ。
そしてそれらの行為の『動機は愛』。
ファンのみんなにも幸せになってほしい。
少しでも生きることが楽になってほしい。

それだけだと思うのだけどなぁ。

ついでに言えば、サイババの言葉をグッズに使ったんじゃない。
アルバムタイトルをグッズにしたの。
別に布教したくて作ったグッズじゃないことぐらい分かるではないか。

グッズを「買え」「持って歩け」「人にも見せろ」と強要したりしていない。
音楽を「聴け」「そしてサイババの言葉を刻み込め」なんて一度も強要したりしていない。

そもそもね、宗教が内包されてる音楽なんてこの世にごまんとある。
普段歌ってる西洋の音楽になんて沢山あるじゃないですか。
別に、強要されたとか誰も騒がないでしょ?
その曲歌ったからってキリスト教に改宗したりする?

その音楽が素敵だから好きなだけ。
宗教とか関係なく、歌詞が普遍的な真理だと思えるから好きなだけ。
それでよくない?
知れば知るほど人柄もチャーミングで欲のない人だと分かったからますますファンになった。
それでよくない?

でも、嫌だなと思うのは人の自由だし、サイババの言葉を身につけて誤解されるのが嫌だと思う人(買っちゃった人)、もうパジャマにでもしてしまえばいかがでしょうか(笑)。
音楽も聴きたくないのなら、離れるのも自由だし。
風さんもそういう気持ちであの年末のInstagramのストーリーズ上げたんだと思う。

ここまで書いて、私が風さんの盲目的信奉者みたいに受け取られるのもちょっと違うので、一応言っておきます。

私はスピリチュアルなものは、どちらかというと苦手だと思って生きてきた。
スピ好きな友人もいるけれど、あまり話がそっちに行き過ぎると引くし鼻白むし、その人と距離を取ったこともある。

でも、風さんが普段言っていることは、仏教の教えの中にもあることだし(執着を捨てるとか)、「自分を愛する」なんてことは言ってみれば当たり前のこと。
自分を愛せなくて他人を愛せるわけがない。

だから今のところ全く気にはしていないが、もし今後風さんがスピリチュアル的なことだけ前面に出してきたり、特定の偏った宗教を盲信しているような言動が出てきたら、距離を置きたくなる可能性はある。
なぜこんなことを書くかというと、逆にそんなことはないと思っているからだけど(笑)。

彼の音楽性が好き。使うコードが好き。
声が好き、ピアノが好き。
メッセージに共感する。
人間として可愛いし純粋だと思う。

それをひっくり返すほど共感できない言動が出てきたら……距離を置くかもね。(まずありえない。

その程度には冷静だと自分で思っている。
盲目的ファンではいたくない。
彼の音楽を愛している。
でも他の音楽だって聴く。
風さんに合わせてヴィーガンになろうという気もなければ、彼がステージで身につけた服がどこのものかなんて、追いかけようという気もない。
これだけビッグな存在になってきたし、風さんサイドからの全ての発信を全部追いかけて全部知っていないと気が済まないなんてことも無理だし思わない。

ミュージシャン本人の宗教とその音楽は、たしかに繋がってはいるだろうけれど、リスナーが宗教にまで口出しすることはない。
純粋に音楽で勝負している風さんならなおのことだ。
今年はおそらく海外での活動が増える。
こんなゴタゴタがこれ以上本人の耳に入らず、良い音楽を創ることに集中できますようにと願うばかりだ。

今年になってLAATに2回も行けた。
そこで見た風さんは、自信に満ちてすっかりプロとしての貫禄を増していた。
私の中ではもう、今までのゴタゴタなんてどこかに行ってしまった。
とてもくだらないことに思えるくらい、音楽が、ステージが素晴らし過ぎた。
楽しくてあたたかい空間と時間だった。
彼の目指すものはそういうものだけだからだよね、きっと。




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