文章が書けなくなった、から、また書きます

年をとったなあと感じることはたくさんある。

とかいってわたしはゆうて25歳なので「年をとった」というには些か数字として若すぎる気がするけれど、でも、それしか言い訳が思いつかないのです。身体はたるむし、肌はカサつくし、友達は結婚するし、親は定年を迎えるし、年をとった、ので、文章が書けなくなりました。

中学生の頃から漫画・アニメオタクをしていて、ガラケーで小さな夢小説サイトを運営していたわたしにとって「文章を書く」という行為はとても当たり前のことだった。特別小説を読むことが好きな子供ではなかったし、読書感想文で賞をとるような子供でもなかった、でも、絵をかけないわたしが唯一創作活動ができる場所が「文章を書く」というところだったのだ。わたしが書いていた夢小説は逆ハーものでも、トリップものでもない、中学生で真面目なテニス部の彼が実はタバコを吸っていた、というような奇をてらいすぎて若干滑っているようなものだったが、それでも読んでくれた人はいたし、感想をくれた人もいた。わたしは自分のことを「文章がかける人」だと思い込んだ。

大学生になって、iPhoneに変えたらサイトが見にくくなったとかいう雑な理由でサイトをたたんだら、文章を書く機会が少し減った。減ったといっても大学生なので、レポートや卒論、就活の志望理由などちょくちょく文章を考える機会は与えられていた。この頃もわたしは「文章がかける人」だと思っていたのでレポートは前日の夜から手を付けてさくっと提出していたし、実際それで困ったことはなかった。勉強以外にも、とある2.5次元舞台にのめりこんでいたときははてなブログに感想を長々と書き連ねたりもした。夢小説は書かなかったが、ツイッターで細々と妄想を発信することは続けていたし、自分の思いを言語化する作業をやめることはなかった。

「文章を書くこと」が苦痛なんて思ったことはなかった。頭の中に浮かんだ思想を相手に伝えようと思い立ったら何も考えずにキーボードを打てばよかった。流れなんて考えなくても、勝手に思想が人に伝わりやすい順番につらつらと画面に並んだ。わたしは確かに「文章が書ける人」だった、はず、だ。

ところがどうだ。わたしは、もう、前みたいに文章はかけない。ここまで打つのにどれだけ立ち止まったことか。書いては消して、順番を入れ替えて、次の言葉が出てくるまで待って、書いて、待って、止まって……。「文章を書くこと」はこんなに大変な作業だったのでしょうか。

きっかけは、劇団雌猫さんだった。本業がありながらも、自分の趣味についていきいきと文章で語っている人たちを見て、わたしもやってみたいと思った。わたしも映画に、アニメに、漫画に、展示に、コスメに、アイドルに、語りたいことはたくさんある。こんなにも個人が発信することが簡単になった世界で、やらない理由なんてない。年明けすぐにみた「アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング」の感想を早速書いてみよう!と4年ぶりに書くためにnoteを開いて書き出しを考えだして、考えて、でもその前に感想を洗い出さなきゃ、見終わった後に思ったことがあったよな、あれ、なんだっけ、でもすごい映画だった絶対感想ある、伝えたいことがある、みんなに共感が得られるような、すごい、キャッチーな、すごい、なんか、あれ、……あれ?

「文書を書くこと」はこんなに大変な作業だったのでしょうか。

やっぱり書くこともピアノを弾くことと同じで、鈍るんだと思い知った。ぐわっ!!っと感動した時に文字ですぐにアウトプットする習慣がないとその感動を掘り起こして言語化するのはとてもむずかしい。年のせいにしてるけど、年のせいというよりかは、さぼってたつけですよね…。劇団雌猫さんをはじめとして、感動を文字におこせる人たちって本当にすごいなと思い知りました。もう、すごいなとしか言えない時点で恥ずかしいんですけど…。

なんだかんだとつらつら書いてきましたけど、昔の「文章を書けていた」らしい自分のことは忘れようと思います!だってもう書けないんだもん!勢いのまま情熱のままにはもう書けない!少しづつしか書けない!でも今また「書きたいな」って思い出したから、せっかくだから、下手でも、たまにでも、書いていけたらいいなと思います。

そんなアラサーの決意表明のようなブロクでした。2019年はみた映画全部に少しづつ感想つきで記録を残せたらなと思っている!