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一首評:織部壮「2023年9月30日 日経歌壇」掲載歌

教室に蠅が一匹乱入し誰かの書いた「希望」にとまる

織部壮(2023年9月30日 日本経済新聞 日経歌壇 穂村弘 選)

どういう意味に捉えたらよいか、昨日から考えている。

景色としては、(おそらくは)教室に貼られている習字の時間に書かれた「希望」という文字に、教室に入ってきた蠅が止まった、というもの。実景なのか抽象なのかはわからない。

蠅がとまるところといえば、たとえば腐敗したものや糞尿など、放置された動物の死体など、汚いものや腐ったものというイメージが強い。

逆にいえば、蠅がとまることによって、それは「汚いもの」になってしまう、ということもある(衛生学的な意味でも、風評的な意味でも)。

だから、このうたの一つの読みとしては、「希望」という美しい願いであるはずのものに、「蠅が一匹乱入し」て来てとまったことで汚されてしまった、その憤りや悲しみを感じ取るというものがあると思う。

例えばそれは、広島の原爆ドームに落書きをする不敬な輩への怒りに近い。

別の読みもありうる。教室でお仕着せのように書かされた「希望」という文字に潜むある種の「腐敗」や「臭さ」を見透かすように「蠅が一匹」とまった、という読みだ。

乱入するものが常に悪者とは限らない。「王様は裸だ!」と叫んだ子どももまた乱入者のひとりに違いないのだから。

あるいは、ただただ蠅が入ってきて「希望」という文字に止まった、というだけなのかもしれない。蠅は汚いものだけでなく、花にもやってくるとも聞く。

勝手なイメージを蠅に与えて、勝手に意味を見つけようとしている私こそ「腐って」いるのかもしれない

そんなことをこのうたを読んでから、ぐるぐると考え続けている。

答えはいまのところ、ない。

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