見出し画像

問いが、思いも寄らないアイデアや出会いを連れてくることがある《今日は「大切な問いに向き合う日」》

昨年より10月1日は「大切な問いに向き合う日」になったそうなのですが、ふとそれを思い出したので、せっかくならば今のわたしの「問い」を書いておこうと思います。

わたしはワークショップについて学んでいた際に安斎さんを知り、バーバパパの学校で塩瀬さんを知ったのですが、お二人ともとてもお話が面白くて元々興味を持っていたのです。そして、共著である「問いのデザイン」から発展して、昨年正式に10月1日が「大切な問いに向き合う日」として制定されたそうです。(わたしも「問いのデザイン」の本は買ったのものの、まだ読みきれていません…)

「問い」をその場に出してみることで「答え」が返ってくるというけれど、それはたぶん「自分がその問題をちゃんと認識するようになるから」なんですよね。認識するうちにいつの間にかその答えを探す思考が働いて、だからこそアンテナがいつもより引っかかりやすくなる、ということ。

わたしたちは普段、どちらか一方が答えを持っている会話をすることが多いと思うのです。けれど、「問い」は両方が答えを持っていないものを指すと言われています。

質問は、問う側は「答えを知らない」、問われる側は「答えを知っている」
発問は、問う側は「答えを知っている」、問われる側は「答えを知らない」
問いは、問う側は「答えを知らない」、問われる側も「答えを知らない」
「問いのデザイン」より引用

ワークショップデザインを学んでいるときにも「もやもやこそその場に出してみる価値がある」ということを知ったのですが、そのほうが誰かと共にいる意味を感じられるし、想像もしない答えに巡り会えたりするんですよね。答えのない会話に対して、少し怖い気持ちもあるけれど、勇気を持って外に出してしまえば意外と人の優しさに出会えたりする気がします。

そして、10月の「問い」はこれにしようと思いました。(本当はこの日が「大切な問いに向き合う日」だったけれど、わたしは今日問いをたてて、このあとの1ヶ月でゆっくり答えを見つけていきたいと思います)

「わたしにとってのうつくしさってなんだろう」
「うつくしいものが増えると生活の何が変わるんだろう」

芸術の秋だし、天秤座シーズンだし、個人的にも北海道のフォルケホイスコーレや瀬戸内芸術祭など、うつくしさを考える機会があるので、せっかくならばわたしも同じ問いを掲げてみようと思いました。あと今なぜか掃除したい気持ちが高まっているのでそれも含めて笑

さて、1ヶ月後にどんな答えを見出しているか、楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?