見出し画像
この記事は「三島に関わる人達アドベントカレンダー2020」12月19日の記事です。
静岡県東部の三島市の魅力を伝えるべく、三島に関わる人達24名が、『私の三島での2020年』というテーマで綴っていきます。
川村 結里子(かわむら ゆりこ)
三島バル実行委員長 
三島LINK共同発起人・三島100人カイギ発起人 
株式会社結屋 代表取締役
https://www.facebook.com/yuriko.ka

2020年は、私の三島への移住15周年でもあります。

三島での暮らしは、それまでの”家と仕事場の往復”であり”隣の人の顔も知らない”環境から一変、地域とのつながり、人とのつながり、そして何よりたくさんの成長の機会をくれました。

今回2020年の振り返りというテーマで頂いていたのですが、
この15年という節目で頂いたせっかくの機会、改めてどうして私は三島で活動しているのかを少し振り返ってまとめてみることにしました。

キーワードは「恩送り」
「お礼はいいから、次へ渡しなさい(Pay it forward)」

私は、東京から祖母のいる三島へ15年前に移住しました。

移住の目的は、「おにぎりカフェ丸平」という祖母の家を改装したカフェの店長をやるため。母親が思いつきでオープンしたこのお店の運営を頼んでいた人が急きょ辞めることとなり、誰かが引き継がねばならず、その当時住宅メーカーからデザイン分野へ転職活動中の私に白羽の矢が立ったわけです。

画像1

築130年の商家をリノベーションした「おにぎりカフェ丸平」

「ちょっと三島に行って引き継ぎしてくれるだけでいいから」
そんな言葉を間に受けて、東京から三島へ移住。いわゆる孫ターンです。
祖母以外ほとんど知っている人もなく、また飲食も未経験。今思うとかなり思い切った決断をしていますね笑。

かくして三島とのご縁ができたわけです。その時はまさかここまで三島にどっぷりハマるとは思ってもいなかったんですけどね。

画像2

三島の富士山と畑の風景、美しい!

三島へ移住してすぐは、まずはお店をまわすことで精一杯。祖母宅に居候しながら不慣れな仕事にバタバタとした日々を過ごします。そして仕事の後は、夜な夜な街に出ては”三島クエスト”。飲食店やBARをはしごしながら、人に会いに行き、話を聞きに出かけました。あのBARのマスターに会いに行け、なんて言われてそのメモを頼りに会いに行ったことも、良い思い出です。

そうすると、なんとなく”街”そして”人”の解像度が上がってくるわけです。
ここにはこんな人がいて、お店があって、どんなイベントが開催されているのか。そうして街の解像度が上がってくると、人から、団体やコミュニティともつながってきます。こうして、人は人から人、団体やコミュニティから地域につながっていくんでしょうね。
当時はこの解像度が上がり、つながりがどんどん広がっていくことが楽しくて仕方がありませんでした。

また、お店を持つということで「場」を意識したのもこの時です。
お店の空間や奥にある土蔵を使って、つながった方達との交流会や、イベント、ライブの開催なども始めるようになりました。

画像3

丸平の土蔵 ここで本当に色んなイベントを開催しました

三島市国際交流協会からはじまり、三島ふるさとガイドの会、三島商工会議所青年部、三島田方法人会青年部・・・こんな感じで人の紹介やつながりで所属する団体もどんどんと増えていきました。農家若者の団体(当時笑)箱根ファーマーズカントリーのメンバーとの出会いもすごかったなぁ。

画像4

三島の野菜の美味しさに感動!

そうした中で、衝撃の出会いがありました。

毎日毎晩、顔を合わせては、三島の未来について語り合っている先輩たちとの出会いです。三島をどうにかしなきゃならないだろ!とお酒を飲みながら時に夜中の3時まで。(いや、ほぼ?笑)
そして、言葉だけじゃなく、実際にコトを起こして実行していく。
誰かに頼まれたわけじゃなく、自発的に地域のためにと、ぐいぐい行動しているその姿であり、背中に衝撃を受けました。
当時、街のことを知りたいと行って飛び込んでくる女子(当時w)もめずらしかったらしく、先輩たちはたびたび声をかけて巻き込んでくれました。

この出会いにより、私は人のつながり、チャレンジの機会を、数え切れないほどめちゃくちゃたくさんいただきました。「お前やってみろ」の無茶ぶりが、今の私を育ててくれたと言っても過言ではありません。またご一緒に飲みに行っても口癖のように「今日はいいから、お前の後のやつにやってやれ」でした。

まさに「恩送り」
「お礼はいいから、次へ渡しなさい(Pay it forward)」です。

今、私が今三島で活動する意味は、これなんだと改めて思います。三島で、人をつなげてもらい、機会をいただいて、成長させてもらえた。それら多くの方からいただいた「恩」をその人に返す恩返しではなく、別の人、次の世代へ送る「恩送り」のための活動。

だからこそ、三島LINKであり、三島100人カイギであり、三島バルであり、そうした「場」であり「機会」をこれからもつくっていきたい。
この場を介して、地域の子どもたちや学生、社会人などたくさんの人がつながり、チャレンジできる場。自分のやりたいが実現でき、そして学び成長できる場。
先輩のようにはできないかもしれないけど、自分なりの「恩送り」を、「場」をつくるという自分なりのやり方で続けていきたいと思っています。
そしてその「恩」がつながり広がって、この先この地域が、そして日本がもっともっと素敵な「場」になっていく。そんな未来に向けて、これからも少しでもお役に立てたらって思います。

三島バルセレモニー

地域のお店と地域、人がつながる場「三島バル」

画像6

色んな人がつながり新たな活動が生まれる場「三島LINK」

画像7

地域のプレーヤーの話を聞きつながる場「三島100人カイギ」

2020年は、新型コロナウイルスという、これまでの価値観であり当たり前を揺るがす大きなインパクトが起こりました。だからこそ改めて、自分は今何のためにこの活動をしているのかを考える良い機会になったと思っています。

画像8

先の見えない未来を楽しもう!

東京で生まれ育った私が、今三島を1番の故郷として思い、こうして活動できていることをうれしく思います。これから先何が起こるか、確実なことは何1つありませんが、三島への感謝と恩送りの気持ちは変わりません。これからも色んな「場」をつくっていければと思います。

出会ってくださった皆さんにこの場を借りて改めて感謝します。
本当にありがとうございます。
三島、最高です!

画像9

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?