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マルテの手記

「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
と僕は感嘆しつつ言った。
しばらくして、僕がもう忘れてしまった時、ママンはゆっくり言った。
「天国へ?その人たちはみんな、このレースの中にいると思うわ。そう思って見ると、これは本当に永遠の幸せかもしれないのよ。」

『マルテの手記 (光文社古典新訳文庫)』(リルケ, 松永 美穂 著)

上に引いた一文は、2018年10月に行った第16回「工房からの風」での哲学者鞍田崇さんとのトークイベントで出てきたお話しからのもの。
ライナー・マリア・リルケの小説『マルテの手記』の一節です。
デンマーク出身の青年詩人マルテが、パリで孤独な生活を送りながら、街や人々、芸術、自身の思い出などについて書かれています。

ママンの思い出をつづる一節。
素晴らしいレース編みを見た少年が
「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
とママンに言うと、その言葉にはすぐには答えず、しばらくしてから、
「このレースを編んだ人たちは、このレースの中にいる」
というくだりです。

上に引いたのは、光文社古典新訳文庫の松永美穂さんの訳なので、鞍田さんが読まれた訳本とはちょっと表現が違っていて、鞍田さんのお話では、

「レースを編んだから天国に行くのではなくて、このレースを編んでいる時こそが天国なのよ」

と話してくださいました。
そして、そのお話しが「工房からの風」という場でずしりと響いたのでした。
ものをつくっている時こそが天国であって、天国に行くために作っているのではない。ということに。

「工房からの風」は、回を重ねて大きな展覧会に育てていただきました。
それに応じて、出展作家もこの場に対しての期待が大きくなっているのだと思います。
ここに出たら作家としてデビューできる?
ここに出たら有名になれる??
ここに出たら人気作家になれる???

役割上、作家が仕事としてこれをどのように立たせていくかを話しあう機会も増えてきました。
その中で、共感しあえる時と、何とも言えない違和感のある時が生まれるときがあります。
それがなんなんだろう、、、とずっと思ってきましたが、鞍田さんとの話の中で、その答えの糸口を見たように思ったのでした。

ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと
と、
ものを作っている時間こそ天国と思えるひと

どちらの方がよいとか正しいという話ではありません。
私は「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」に惹かれる、ということ。
そういう人やものを紹介するために、この役割を尽くしたい、さまざまな困難があっても、そう思えるからこの役割を続けているのだ、そう確信したのでした。

会が成熟することで、
「ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと」
のパッションが強くなって来ているのかもしれません。
でも、その方向に歩を進めれば、ここでいう「ものづくり」工藝、手仕事が果たして必要なのだろうか?そんなことも思います。

結果を想定して、そこに向かう。
その過程として「作る行為」がある。
工業化が進む中で、作る行為は過程にしか過ぎなくなってしまったのかもしれません。
しかし、その過程にこそ天国を見出す人たちが発する何かに、感応する人たちが確かにいる。
「工房からの風」という野外クラフト展は、その実感があってこそ続いてきたように思うのです。

「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
が、心安らかにものを作り続けていけるように。
そして、こうして作られたものや想いを愛おしく求めるひとに、その幸福が豊かに連鎖していくように。

2018/10/15 工房からの風director's voice初出 2019/06/28加筆修正





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