『赤ずきんと健康』はなぜ私の心を掴んだまま10年も離さないのか


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『赤ずきんと健康』という作品をご存じでしょうか。

この作品は現在NHK Eテレで『びじゅチューン!』という番組を作っている井上涼さんが美大生だったときの卒業製作なのですが、発表当時YouTubeやニコニコ動画にアップロードされてかなり話題になりました。いまでは井上涼さん本人のアカウントで作品が公開されているので、ご存じない方はぜひ一度ご覧になってください。


そのカオスともいえる荒唐無稽な展開、そして決して上手とはいえない気の抜けた絵と歌に当時高校生だった私は大爆笑&大ハマりしました。家庭にあるパソコンでもインターネット上の動画が気軽に見られるようになったばかりで、そういう素人が作ったウェブアニメみたいなものが新しかった時代でした(ウェブアニメではないんですけど)。

いま確認したところニコニコ動画で200万再生、YouTubeで300万再生。それだけ広くうけていました。ほとんどの人は私と同じように『赤ずきんと健康』をただのおもしろ動画として捉えていたと思います。くだらないけどめちゃめちゃ笑える、おもしろフラッシュ倉庫の延長のようなものと考えられていました。

ただ、当時私と同じように大爆笑して見ていた人たちに、あらためてもう一度『赤ずきんと健康』を見てほしいな、と思います。これは決してただの『おもしろ動画』ではなく、それ以上の魅力に満ちた作品です。


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まず内容については、およそ言葉だけで全容を表現できる作品ではないので動画を見てもらうほかないのですが、一応プロットを説明すると


・主人公である赤ずきんがオオカミの胃のなかで内蔵の精(胃の精、小腸の精、大腸の精、胆嚢とすい臓の精、肝臓の精)と出会う

・内蔵の精は「オオカミはメタボリックシンドロームであり、その原因は脳の精が落ち込んでいるからだ」と説明し、「脳の精を一緒に励ましてほしい」と赤ずきんにお願いする

・赤ずきんはそれを了承し、内蔵の精たちと共に車で脳を目指す

・脳では脳の精がさみしそうに一人遊びをしていた

・赤ずきんと内蔵の精は、そんな脳の精と走り回ったりおしゃべりして楽しい時間を過ごし、健康を保つための生活習慣を脳の精にレクチャーする

・赤ずきんと内蔵の精が帰ったあと、脳の精がみんなといっしょに撮った写真を眺めて、すこし上を向いて、終わり


ちょっと無粋ですがここでの比喩を言葉に直すと、狼がメタボリックシンドロームでその脳の精が元気をなくしている状態、これは鬱などの心的要因からくる過食症とか、それに近い強いストレス状態と考えることができます。赤ずきんは、例えば劇中で表現されていることで表すと、映画を見るとか友達と笑ったりとか『心を元気にする楽しいこと』として描かれています。


井上涼さんがやさしい人なんだな、と特に感じるのは、赤ずきんたちが脳の精を励ますのに言葉を使わないことです。井上涼さんにとって「誰かを励ます」というのは「がんばろう」という言葉ではなく、いっしょに走り回ったり、料理をしたり、映画を見たりすることなのです。


『赤ずきんと健康』に限らず、井上涼さんの作品には「落ち込んでいる人が、なにかのきっかけですこし元気になる」という構成が多くみられます。私の好きな作品に『びじゅチューン!』の『ムンクの叫びラーメン』がありますが、これもそのような構成になっています。

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https://youtu.be/kNPX0QSTYpI

(NHKの動画は埋め込みできないみたいです。もし表示する方法をご存知でしたらコメントお願いします。)


「トホホ」な気持ちになっている女性が、仕事の帰り道で一杯のラーメンを食べて、すこし気持ちが晴れる、という内容。

この主人公がなぜ「トホホ」な問題を抱えているのかは説明されていません。仕事が原因かもしれないし、家族のことかもしれないし、お金や、もっと別のことかもしれません。ただ『ムンクの叫びラーメン』を食べたことで彼女の気持ちは軽やかになり、鼻唄を歌いながら家に帰ることができるようになります。


やさしさとは対極に井上涼さんのシビアさ、というかリアルだな、と感じるのは、結局この人の抱えている問題はなにも解決されてはいないのです。次の日になればまた会社に行かなくてはならないし、急にお金持ちになったわけでもない。明日もまた今日のように「トホホ」な気持ちで帰りの電車に乗ることになるかもしれません。

『赤ずきんと健康』も同様です。具体的になぜ脳の精が落ち込んでいたのかは説明されておらず、赤ずきんと内蔵の精が脳の精を元気づけたからといって、脳の精がもう二度と落ち込んだりしない、もっとひどい状態にならないとは決していえないのです。


人間が生きていく上で、大なり小なり問題はたくさんあり、そのすべてが魔法のように取り払われることはありません。不安や不満のすべてを心から切り離すことはできませんし、それが人間として自然な状態だということも理解しています。ただそれと同じように、友達と一緒に時間を過ごしたり、一杯のラーメンを食べることで、ちょっとだけ気持ちが軽くなるというのもまた本当のことです。

すこし落ち込んで、すこし元気になる。そのシームレスな循環こそが生活であり人生です。

私は落ち込んだときや疲れたときによく『赤ずきんと健康』を見ます。この10年で幾度となく見てきましたが、本当に何度見ても笑えます。『赤ずきんと健康』こそが私の脳の精を励ましてくれる『赤ずきん』であり『ムンクの叫びラーメン』なのです。


と、ながながと考察みたいなことを書いてしまいましたが、やっぱり井上涼さんの作品の魅力はなにより表面上のバカバカしさです。

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例えばこのドアノブついてるドアなんですけど、

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自動ドアなんですよ。マジでなんのためにドアノブついてんの??


一度だけ見てもおもしろいし、何度見てもおもしろい。なにも考えずに見てもおもしろいし、いろいろなことを考えながら見てもおもしろい。


これが井上涼さんの作品のなによりの魅力だと思います。


いまはご本人のYouTubeアカウントでいろいろな作品を見ることができますので、コロナ対策に疲れたみなさんもぜひ。


以上


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