今の私とその願い

対話形式の思考

「なぁ――ちゃん。この文章はどう思う?」
「んー? まぁ、そういう人もいるんだろうなぁと思う」
「――ちゃんはあんまりそうは思わないタイプ?」
「まったくそうは思わないタイプ」
「どの辺が?」
「いや、そもそも理解できない。何を言っているのかよく分からないし、何を求めているのかもよく分からない」
「でも私の他の文章を読めば、だいたい言わんとしてることは分かるでしょ?」
「ようはあなたが、他の人とは違うことを言ったり、あるいは物語として表現したものを、誰かが別の形でやってくれればいいと思っているんでしょ?」
「同じ形でもいいよ。いくらでもパクってくれていい」
「いや普通、人って、そんな人の真似なんて恥ずかしくてしないし、してもいいよって言われても、誰もしないと思う。特にあなたの言っていることを使って利益を得ることなんて、無理だろうし」
「そうかなぁ」
「そうだと思うよ」
「じゃあどうすればいいのかな」
「何が?」
「どうやったら、私は私以外の人の口から、私と同じ意見が聞けるのかな? 私と同じ結論を導き出せる頭を増やすには、どうすればいいのかな?」
「そんなん、私自身がそうじゃないんだから何とも言えないよ」

「模倣する価値がないって言われたらどうしようって思うんだ」
「いや、模倣する価値はないでしょ」
「どうして?」
「理解できないものをどうして模倣する必要があるの?」
「理解できる人だっているはずだよ」
「すごく少ないだろうね」
「どんなものごとも、最初は少数の人しか理解できなくて、それがだんだん広がって、常識に変わっていくんだよ。私はものごとをよく考えることや、保留すること、誤りを大切にすることや、人に対していつも親切であることが、常識になればいいと思っている。人から搾取することへの不快や、自分とは異なる人や遠い人を単純なものとして見ないように気を付けること、自分自身の考えたことは、いつも間違っていることの方が多いことを、みんなが自覚してほしいんだ。だってそれが、正しいことだから」
「そんなのは、賢い人ならみんな言われなくても分かってることだよ」
「本当にそうかな? そういう態度から導き出される色々な結論、美しい景色、そういうものが、もっと増えればいいと思うんだ。だから……そういう人がもっと増えて欲しいし、それが価値あるものとして認められていてほしいんだ」
「あなたの頭はごちゃごちゃしていると、人は思うだけだと思うよ」
「確かに私の頭はごちゃごちゃしてる部分がたくさんある。それでも、明瞭な部分も多いし、私なりに一貫してる部分もある。私自身の一貫性を、同じような形で持っている人を、私は求めているんだ」
「それは知識や態度の問題ではなくて、才能や気質の問題なのでは?」
「じゃあ、その才能や気質を肯定し、高いものとして認める人が増えればいいと思う」
「結局あなたはあなた自身のことを認めて欲しいだけなんじゃないの?」
「そうかな? 私はただ、私の目に映る世界が少しでもよいものになればいいと思っていて、そのためには、世界をそういう目で見れる人が増えるようになるしかないし、そのためには、そういう目で見れる人の価値を高める必要がある。もし私の利己主義に結論を置きたいなら、それは『評価されたい』という欲求ではなくて『見苦しいものを見たくない』『まっすぐ見ても、いい気分でいられる世界で生きていたい』という欲求だし、それは決して独りよがりなものじゃない。私が不快になることのほとんどは、他の人にとっても『悪』や、それに近いものであることは、とても多いんだから」
「結局あなたは、自分の欲望がうまく満たせないから、そういうことを言うことによって、人の欲望を抑圧して復讐心を満たそうとしているのではないの?」
「そうかな? 私は人の無邪気な欲望を、いいものだと考えているよ。たくさん食べるのはいいことだし、たくさん眠るのもいいこと。たくさんエッチなことをするのだって、それが健康と喜びに繋がるなら、いいことだと思う。人より勝っていたいと思って努力するのもいいことだし、人気者になりたいとか、大きな仕事をやり遂げたいとか、そういうのだって立派なことだと思うよ」
「人を傷つけたいとか、支配したいとかは?」
「それが美しい形で行われるなら、それは否定できないし、それどころか、奨励したいことだと思う」
「でも結局その美醜は、あなたが判断することじゃないか」
「そうかもね。でもその美醜の判断は、単なる私の趣味だけで決められたものじゃない。そこには、複雑性や人間性といった、ある点において、比較可能なものを含めている。動物的なこと、近視眼的なこと、単純すぎること、無趣味的なこと、無思慮なこと、そういうものは美しくない。何らかの意図があって、多くのものへの配慮があって、その先で決められたことなら、どんな『悪』でも肯定されうる」
「結局その基準だって、あなたが決めたものじゃない」
「でも、多くの人が同意できるように、よく考えて決めた基準なんだ。反論があるなら、もっといい基準を提示してほしい。より多くの人間が、それに納得できるような、美しさの基準がほしい」
「美しさの基準なんて人それぞれでいいじゃん」
「そんな風に考えるから、美しさなんて度外視して、人は己の欲望のこと以外ろくに考えず、他者から見て見苦しいようなことばかりしてしまうんじゃない。美しさに対する基準なんて人それぞれ、なんて考えたら、そんな基準すら持とうとしない人間や、自分にとって都合のいいような基準を持ち出す人間ばかりになるに決まってるじゃん。自分の行動が、もうひとりの自分や、異なる環境で育った「もしもの自分」から見て、よいものであるよう行動することは、私は大切なことだと思うし、普遍的だと言っていいくらいの、人としての義務だと思う」
「結局あなたは、自ら背負ったその重苦しい鎖に、皆を縛り付けたいだけなんじゃないの? 自分だけがそのように生きるのは、ただ馬鹿を見るだけになるから。全員にその不幸を押し付けたいだけなんじゃないの?」
「不幸だなんて思ってないんだよ。むしろ、そのように生きないと、ただ互いに傷つけ合って、憎み合って、不安になって、嫉妬をして、軽蔑して、そういう風にして人生を送り続けなくちゃいけなくなる。人間の生が、そんな醜くて不快な感情にまみれたまま進んでいくのが、今後千年万年とずっと続いていくなんて、受け入れられないし、そうならないために、私たちは少しでも自分たちの意志とわがままを使って、変えていかなくちゃいけないんだ。そうじゃないと、死にたくなる」
「あなたは結局自分自身の善良さを押し付けようとしているだけなんじゃないの」
「私はこれ以上低劣さや下品さを押し付けられたくないの。低劣さや下品さの方が力を持っていたとしても、私はもっと美しいものや高貴なもの、清潔なものを大切にしたいし、そういうものがより力を持つような世界を、私は望んでいるんだ。見苦しくない世界を望んでいる」
「結局あなたも醜い力の押し付け合いの世界で生きているんじゃない。しかも、中途半端な形で」
「そういう風にしか生きられないなら、そういう風に生きる自分自身を認め、愛するしかないんだよ。そして、よりよい未来を想像して、そのために自分を犠牲にするんじゃないと、私たちは、どれだけ頑張っても、どれだけ自分勝手になっても、結局は空しくなって、死にたくなる。それくらいに、この世界は醜くて汚れているから。
見え方の問題ではなくて、実際にそうなんだよ。私は目を背けることができない人間だから、目を背けずとも幸せでいられる世界を、私は欲しいと思っているんだ」
「あなたの理想は崇高だし正しいのかもしれないけど、私は巻き込まれたくないし、はっきりいって不可能だと思う。勝手にやってろって思う」
「勝手にやらせてもらうし、私には他の道がない。人間がマシになるためには、現実を直視して、不幸になって、それでもまだ前を向くこと以外にはあり得ない。群れるのではなくて、同じ考えに染まるのではなく、それぞれが、異なる意見を理解し、尊重し合った上で、自らの意見をしっかり持って、その中で生きるようになればいい。誰もが、恥ずかしくない人間として生きている世界になればいい。恥ずかしさを恐れない、確固とした『自分』として生きている世界になればいい。
私自身のことなんて、もう今更どうだっていい。私は一生分の幸せも不幸ももうすでに味わってきたし、この先は自分の願いのために生きていたい。見苦しくない世界がほしい。美しい世界がほしい。より豊かで、実りのある、気持ちのいい世界がほしい」
「で、あなたはそのためにどうするの?」
「私自身が、見苦しくない存在で在り続けること。見苦しさや醜さを開き直らないこと。よく考えて生きること。より多くのことを知ろうと心掛けること。より多くのことを考え、より多くのことで悩み、より多くのことに、たとえ間違っていても、より確からしい答えを出そうと試み続けること。
人に恥ずかしい思いをさせないこと。自分のために、誰かの人生を利用しようとしないこと。誰に対しても親切であること。自分の欲望を満たすために、媚びたり、嘘をついたり、曲がったことを正しいことだと言い張ったりしないこと。
自らの誤りは、できるだけすぐに認めるようにすること。自分自身を、過小にも過大にも評価しないこと。できるだけ、実際に即した自分自身を認識し続けること。
自分の感情を正直に認めていること。自分の愚かさや醜さを、決してないものとして捉えようとしないこと。あることを認めたうえで、それをどのように扱うか、ちゃんと考えること。考えてから、処理すること。
より優れた人間であろうと努めること。優れた人間とは何であるかまだはっきりとは分かっていないことを正直に認め、それを少しでも理解できるように、たくさんの考えや教えに触れ、理解を深めること。
ものごとを決めつけて分かった気にならないこと。
愛情深い人間であること。
自分自身を大切にする人間であること。
健康な人間であること。

私は、私が好きだと思えるような人間であろうと努め続けるし、皆がそうであってほしいと思う。
その『好き』はそれぞれ異なっていていいし、むしろ異なっているべきだと思う。
私は本当に、心の底から、世界がもっと暖かくて愉快なものになればいいと思うんだ」

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