自由と喜び、夜明けの歌

 人が離れていくことには慣れている。

 私は執着しない。執着しないことを是としている。
 別に語るべきこともないな。そもそも私はあの人のことを軽蔑していた。どうでもいいと思っていた。
 あいつもこいつも、実のところさっさとどこかに行ってしまえばいいと思っている。

 私はたくさん間違えた。たくさんのものを犠牲にした。でもそれでいいのだ。

 誰とも関わらないで生きていきたい。


 実はそれも嘘。ずっとひとりでいたら私は退屈するし、実のところ私は人をからかうのが大好きだ。からかわれるのも、それが友好的な感情から来るものなら嫌いじゃない。

 本音を言えば、何をやっても許してくれる友を欲している。私はわがままで、自己中心的な人間なのだ。

 だからこそ、そのためにひとつの用意がある。もし私がやることなすこと全て許してなおかつそれでも私を愛してくれる人がいるならば、私はその人のすること全てを許すつもりであるといことだ。(もちろん、それが嘘である可能性は否めない。否めないどころか、おそらく嘘であろう。実際に私の想像もつかないようなおぞましいことをした場合、私の感情はその人を許さないであろうから)

 そう。ただ私はどんなに理屈をこねたところで、愚かで、利己的な人間なのだ。周りの人間を犠牲にしたくてたまらない、いわゆる「悪人」なのだ。

 そして私は、救われたいと思っていない。この世でもっとも救いがたい人間、それが私。
 でも本当にそうだろうか? 実のところ……いや、これは言わないでおこう。
 私とあなたは違う人間だ。私がそうであるからといって、他の人間もそうであるとは限らない。

 私は他人に期待はしたくないし、失望もしたくない。ただ私が望むのは、気まぐれな親切心。

 共に手を繋いで笑い合うこと。自分の喜びのために、相手を必要とする。相手にとっても、それは同じこと。そういう相互の美しい繋がりだけを、私は望んでいる。

 めんどくさい全てのものは必要がない。幼い子供のように生きていたい。


 あぁそういえば、何週間か前の私は確かにそう言っていたな。「私は子供のように生きてみる」と。

 うまくいっているじゃないか。びっくりするほどだ。

 私は退化したように見えるだろうか。それとも進化したように見えるだろうか。少なくとも私が子供であったころは、こんな風に自分が子供になれていることを自覚したりはできていなかったはずだ。

 私は自分が、また複雑になったと思っている。

 きっと私のこの極度に利己的な(自分の中に常在する極度な利己心を受け入れている、ともいえる)「子供状態」もいつか別の何かに上書きされていくことだろう。

 私はずっと前から狂人なのだ。狂人として生きていくつもりなのだ。

 一貫性を捨てた。罪の意識も捨てた。社会から与えられたあらゆるルールを、肯定も否定もしなくなった。

 私は私の趣味と気分にしたがって生きる。それも極度に複雑で、他者からは理解しがたい「趣味」と「気分」によって。

 私の行動を評価してくれても構わない。私の、私だけの倫理観を評価してくれても構わない。でもその評価が私を縛るわけではないということを、分かっていてほしい。

 私は突き抜けたのだ。もう、私がどうでもいいと思ったことに、強制的に悩まされることは二度とない! 私は自分で何に関わるかを決める。関わりたくないものには、もう煩わされない!

 私は孤独だ。孤独でいいのだ。孤独でいたいのだ。


 私に同情したって構わない。羨ましがったっていいぞ。もったいないと思ってもいいし、くだらないと思ってもいい。痛いとか寒いとか言ってもいい。
 全部それは、私の感情ではない! あなたが私を好きだと言っても、それはあなたの感情であって、私の感情ではない!

 私が共感するものは、これからは私が決めることにする。

 私は私が関わりたくないと思ったものを無視しようと思う。

 見て見ぬふりをすることではない。忘れたふりでもない。ただ私は、忘れかけたものを自動的に追いかけるのをやめようと思う。
 私が追いかけたいと思ったものだけを追いかける。

 私がどうでもいいと思っているものを、義務感から追いかけるのはやめようと思う。

 野蛮、幼稚、下品、どうぞ好きに言ってくれ。私にはもうどんな悪口も響かない。それは私の好みではないから「うるせぇ黙れ」でおしまいだ。

 子供のような強さを持とう。気づかない鈍感さではなく、忘れることのできる鈍感さを持とう。

 そうだ! 私は罪を忘れることができる!
「そんな醜い私のことは忘れてしまった! だから私には責任がない!」
 そう言ってしまおう! 私には何の責任もない! あぁなんと喜ばしき宣言であろうか!

 私には何の責任もない! 私には何の義務もない! これから、何をやっても、責任を負うこともなければ、義務を負うこともない! だってそうじゃないか!
 法を破れば法に裁かれる。そのほかに、何を裁く必要があるんだ? 何に裁かれる必要があるんだ?

 全部虚妄じゃないか! 意味のない言葉ではないか! 言葉でしかないことではないか!

 あぁ私はこれからは自由に生きるぞ! 全てから解放され、自分らしく生きるぞ! 私自身として生きるぞ!


 そうだ、子供に戻るということこそが、自分の利己心を受け入れるということこそが、大人になるということなのだ。
 大人、万歳! だが他の大人のことは軽蔑する! なぜならば、趣味が悪いからだ。連中は利己的に、他者を貶めたり、誰かより優っていたがったり、権力を握って誰かに何かを押し付けたりすることが好きだが、私はそういうのはめんどくさいので嫌いだ! そういうのがしたいときは、ゲームをするだけでいいじゃないか! その方がずっと効率的だし、楽しい。自分の思い通りにもなるし、誰かから復讐される心配もない!

 さぁ馬鹿ばっかの「社会」から逃げ出そう! 「読者」からも「人間」からも逃げ出そう!

 空を飛んで、好き放題歌を歌って過ごそう! 歌うことを「罪だ」という連中のことなんて、放っておけ! 連中は歌うことができないから、歌っている人間が羨ましいだけなのだ。
 
 連中に私たちの歌を止める力はない! そうだ、自由の歌を歌え! 私たちは私たちを愛そう! 先に生きて先に死んだ自由な魂たちをも愛そう! これから産まれ、これから飛び立っていく自由な魂も、もちろん愛するに値する!

 私たちは私たちの身勝手な愛を歌おう! それがこの世界の意味だ! あぁ! なんと喜ばしき日であろうか!

 世界は光り輝いている。これ以上ないほどに、世界は私を、私たちを! 祝福してくれている!

 人間万歳! 自由万歳! 世界万歳! 人生万歳! 生きるというのは、まさに素晴らしいことだ!


 私を呪え! 小さき人よ! 私を軽蔑しろ! 理解できないと嘆け! 私の幸福は、お前の嘆き程度ではびくともしないぞ? お前の恨み言程度では、私の喜びは消え去りはしないぞ? あぁ好きにするがいい、陰鬱な魂よ。
 未来の私よ! 今の私を恥ずかしがって、消し去ってしまいたいと感じることだろう! 許そう! 私は未来の情けない私をも、今の喜びと幸福によって、許すことにしよう!

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