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数字を上げるよりファンを集めるべし(流されての「好き」は弱いが、本当の「好き」は強い)

小説投稿サイトでは戦略がモノを言うと言われ、実際、様々な戦略記事がネット上にあふれています。

しかし、それらの記事を読んでいて、いつも思うことがあります。

それは「結局『数字』を上げるだけの戦略になってしまっているな…」ということです。

PV数、ポイント、ランキングの順位…

現代人は何かと「数字」で物事を判断し、その数字の「意味するもの」や「背景」を深く考えなくなっています(←ただし、あくまで現状での話。今後は学校教育である「変化」が起こりますので、状況が変わっていく可能性はあります※)。

※データを読み解く力を育てる「データサイエンス」教育が、有力大学の7割で必修化を検討されている他、中学・高校でも必修化されるかも知れないと言われています。

なので「数字を上げるのが大事」というのも、分からなくはないのですが…

そこには1つの、とてつもなく大きな思考の死角があります。

数字で集めた人気は一過性のもの

それは「『数字』に惹かれて集まってきた人間は、結局『数字』しか見ていない」ということです。

もちろん、数字が「きっかけ」でも、ちゃんと中身を読んで好きになってくれる読者はいることでしょう。

しかし「人気がある作品だから」というだけで集まってきて、人気が廃れてくると、あっさりと去って行く…そういう人間も数多くいるのです。

たとえば、一時期爆発的に売れたベストセラーが、少し経つとブック○フに大量に溢れている…そんな光景、よく目にしますよね?

中にはサイン入りの本などもあったりして「サイン会に並ぶほどハマっていたのに、もう古本屋行きなのか…」と、何とも言えない気分になります。

おそらく、人気や流行に流されて「なんとなく」始まった「好き」は、冷めるのも早いのです。

「人気や流行に浸っていたくて作品を選んだ」人たちは、流行が去って人気のなくなった作品には、もはや興味も無いのです。

他のコンテンツなどでも言えることですが…

難しいのは「人気を獲る」ことよりも、それを「維持し続けていく」ことです。

コンテンツというものは、ただ「人を集める」だけではダメなのです。

「ファン(※)になってくれる人」を集めるのでないと、意味が無いのです。

※一過性のファンでなく、長く追いかけてくれるファン

そこを読み違えて「こんなに数字が獲れた!」というだけで「ぬか喜び」していると、後でユーザーが大量離脱した時に、わけが分からず、混乱と絶望を味わうことになるのではないでしょうか?

■ファンの割合を増やすには、1にも2にもクオリティー

結局のところ、ファンになってもらえる1番の要素は「作品自体が面白いこと」です。

ただし、ここで言う「面白さ」は、設定アイディアのことだけではありません

斬新で目新しい設定やアイディアは、最初のうちこそ人を惹きつけますが、回が進んで慣れられれば、新鮮味を失い飽きられます。

マンネリに陥らないよう、常に「新しい展開」を入れて読者を飽きさせないようにしたり…

予想を裏切る展開やサプライズで、読者の度肝を抜いたり…

メリハリや緩急で読者を振り回したり…

そういった小説の「基礎力」がモノを言うのです。

…ただし、ここには1つの厄介な弱点があります。

それは、小説のクオリティーは「読んだ人でないと分からない」ということです。

スロースターターな作者の場合は、序盤はそれほど盛り上がりも無く、目を惹くモノが無いため、「〇話切りする読者」には「面白い部分に到達する」前にリタイアされてしまいます。

サプライズや謎解き、伏線回収の類は、その場面まで読み進んでもらえなければ、それが「ある」ということにすら気づいてもらえません。

投稿小説の「前情報あらすじ作品概要、タグなど)」では、ジャンルや要素は分かっても、クオリティーは一切分かりません

(他記事でも語っていますが、小説投稿サイトの「数値」や「順位」はクオリティーの目安にはなりません。なにしろ「まだ読まれていない小説」の数値ほどアテにならないものはありませんので。)

その小説投稿サイトが「他の誰かが既に評価した作品」しか読まない「チャレンジャー精神の低い読者」ばかりだった場合、「高クオリティーにも関わらず、埋もれたまま見出してもらえない作品」が、多数できてしまうのです。

どうしたら、クオリティーの高い小説の「クオリティー」を「まだ読んでいない読者」に気づいてもらえるのか…

残念ながら、まだその方法は見つけられていません。

おそらくは、これこそが小説投稿サイトの今後を左右する一番の「肝」になるのでしょうが…。

■需要と供給のマッチング

「流されて好きになったもの」への興味が冷めやすいのは、それが「自分の好み」ではなく「流行を作った不特定多数の“他人”の好み」だから…というのもあるかと思います。

「本当に好き」なものではなく、「他人の趣味」にムリヤリ合わせただけなら、すぐに冷めるのは当たり前です。

人は誰しも「自分の趣味嗜好にマッチしたもの」を好きになるのです。

たとえそれがマイナーでニッチな趣味だとしても…「本当に好きなもの」であれば、他者の評価やランキングの順位など関係無く「好き」になれるはずなのです。

以前から自分は「読書離れ対策の鍵読者と作品のマッチング」だと語っていますが…

現在の小説投稿サイトには、読者と作品をマッチングする機能がありません。

現状は、読者が検索テクニックを磨いて、何とか「自分好みの作品」を見つけ出せるようになるか…

あるいは、作者の側が「『自分の作品を好きになってくれそうな読者』に見つけ出してもらえるよう、工夫する」しかありません。

そもそも、サイト読者の何割くらいが、ちゃんと「自分の趣味」で作品を探しているのか、そこからして疑問なのですが…。

(「ランキング上位作品なのに、おもしろくない」という「そりゃ、趣味に合わなかったらそうなるよ…」という意見を、時たまネットで見かけるのは「そういうこと」なのでしょう…。恐ろしいことです…。)

少しでもこの状況を改善できるよう、自分も細々と情報発信を続けていますが(「小説の探し方」をまとめてみたり)…

現在のところ、まだ抜本的な解決策は見出せていません…。

(せっかくAIが進化するのなら、クリエイターの仕事を「奪う」方向ではなく、クリエイターとファンを「結びつける」マッチング性能を高める方向に進化していって欲しいものです…。)

■流されての「好き」しか知らない読者の「意識」を変えていく

日本人の中には「ランキング神話」や「数値信仰」に囚われている人間が多いようです。

(海外の人は、あまりランキングを気にしないとTV番組で見たので、他人の目を気にする日本人ならではなのかも知れません。)

しかし、上にも書いた通り、たとえランキング上位だろうと、数値が高かろうと、よしんば完成度の高い作品だろうと…

いわゆる「not for me=自分の趣味に合わないもの」は「おもしろく感じられない」ものなのです。

「自分の趣味に合わない作品」に時間を取られて、「自分が本当に好きになれるはずだった作品」をスルーしてしまうなんて、こんなにタイパの合わないことはないと思いませんか?

…しかし、ランキング神話の信者は、自分が「趣味に合わないもの」を選んでしまっていることにすら気づかないのです。

さらに恐ろしいのは、そんなランキング信者たちが、ランキング上位に「おもしろくない作品(自分の趣味に合わない作品)」を見つけてしまった場合のことです。

「ランキングは絶対のもの」と信じ込んでいる人間の目からしたら「上位でもこの程度なら、このサイト自体、この程度のクオリティーなんだろう」ということになります。

ランキングにも載らない場所に「自分好みの作品が眠っている」など考えもせず、サイトを離脱してしまうことでしょう。

数値の信者も同じことです。

数値の高い作品が「おもしろくない」と、それよりも数値の低い作品は「もっと面白くないに決まっている」と思い込んでしまうことでしょう。

「ランキング神話」や「数値信仰」は、「読者になってくれたかも知れないユーザー」をみすみす逃し、投稿小説界全体の活力を落としかねない危険なバイアス思い込み)なのです。

そもそも「ランキングの精度」というものは「そのサイトに集う読者の“質”」で決まります。

スコッパー(作品発掘者)」や「ファーストペンギン(未評価作品挑戦者)」の不足したサイトでは「投稿戦略>作品クオリティー」になりますし…

作品の評価」でさえ、読者の読解力やモラルに左右されます

(作品が理解できないと高評価にはつながりませんし、残念ながら「自分の趣味に合わない」作品を目の敵にして、サイトから排除したがる読者も存在するようです…。)

ランキングは「読者の偏り」や「現在のトレンド」を知るのには便利ですが、「自分好みの作品を探す」役には立ちません(※)。

※サイトのコアユーザー層と好みがピッタリ一致していた場合のみ、役立ちます。

読者・作者双方ともに、そのことに気づいてもらい、意識を変えていけたなら、小説投稿サイトは今よりもっと「強い」コンテンツ成長できるはずです。

(正直「作者」の中にも「ランキング神話」や「数値信仰」に囚われて、凹む必要もない数値の上下にメンタルを病んでいる方がいそうなのが、怖いところです…。嘘や見せかけの情報が今以上に増えるはずの「これから」の時代…データサイエンスをちゃんと学んでおかないと、本気で危ない(下手すると命に関わる)のではないかと…。)

戦略だけをガチガチに積み重ねて数値や順位を上げ、人を集めたところで、それは一過性のもの…いわば砂上の楼閣です。

コスパが悪いことこの上ないですし、そんな「幻」では、マンガやアニメなど他の「もっと強いコンテンツ」には到底勝てません。

長い目で考えれば、ちゃんとクオリティーを確保した上で、それがちゃんと認められる仕組みを組み上げていった方が、遥かに「ためになる」のです。

(…まぁ、その仕組みを作るのが至難の業だというのは分かっているのですが…。それでもやらないことには小説コンテンツが廃れていくだけですので…。)

何より「流されて好きになったもの」ではなく「本当に、心から、自分が好きなもの」を見つけられたなら、人生が豊かになるはずです。

そして作者も、「流されて好きになった」のではなく「本気で好きになってもらえる」方が幸せなはずです。

何とか、そういう方向に小説界全体を持っていけたら良いのですが…。



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