見出し画像

<WastedTime下北沢>開店へのLong and Winding Road.

下北沢への思いは今までも何度か書いてきましたが、改めてシモキタが自分自身の「原点」である理由と、今回はそれに加えて現在のお店を見つけるまでの顛末を・・。
個人的な内容に終始しますし、無駄に長文・駄文ですので、それでもご興味のある方はお暇なときに。

「下北沢の発見」

1976年3月、僕は大学二年次に東京に戻り下北沢に移り住みました。
シモキタを選んだそもそもの理由は些細な事でした。
最初は家賃も安い田無などの西東京近辺で探していたのですが、利便性と街並みにいまいちピンと来ず、さてどこに住もうかと路線図の付いた東京の地図を見ていたのです。
すると目についたのが、渋谷・新宿から出ている私鉄がそれぞれ10分足らずで、一点で交わっている駅です。
それがシモキタ!発見した瞬間ピン!ときました。
こりゃ便利だ、きっとイケてる街のはずだ、ここに住もう!と単純に思い込んだのが、下北沢だったのです・・。

その後、下見に行ってみると予感は当たっていました。
下北沢は街全体も意外なほど小さく、駅を出て5分も歩けば商店街を抜けて住宅街になり、徒歩15分足らずで次の駅に行けてしまう街で、そのコンパクトさも自分にとって魅力の一つでした。

当時の下北沢には北口の横に戦後から続くような、一坪程度の小さな商店が、20軒くらい軒を並べるマーケットがありました。
アメリカ直輸入の衣料品やスニーカーやジーンズの専門店などと共に、乾物屋や八百屋が連なるマーケットは、日が暮れるとおでんや焼き鳥を出す飲み屋が開店する不思議な路地でした。
まるで上野周辺のアメ横を小さくしたようで、下町に住んでいたことのある僕は、この街を一発で気に入りました。

シモキタは今も家賃が高いと思われがちですが、ちゃんと探せば安いアパートの掘り出し物も見つかるのですよ。最初に住んだところは風呂無しの古い1Kでしたが、西口から徒歩1分で4万円台でした。

そして下北沢はその頃の僕にとってはワンダーランドでした。
安い定食を出す飲食店、個性的な洋服屋や喫茶店やバーなど個人店舗の数々。スーパーマーケットも庶民的なのとちょい高級的なのがあり、コンビニ登場前なので、まだ八百屋さんやお肉屋さんの個人店も残っており、本屋も銭湯も充実していました。
二番館とはいえ映画館もあり、結構勝てるパチンコ屋に、輸入レコード屋もあり、そしてまだ一軒しかなかったにせよライブハウスなど必要十分なお店が揃っていました。それらが全て徒歩6~7分圏内にあるのです。
当時は大手資本の店はほとんどなく、どれも肌に合う箱庭的な感覚の街並みでした。

そんな素敵な街で生活をスタートし、新学期で登校を始めつつも、貧乏学生の僕はもちろんアルバイト先を地元下北沢で探し始めたのです。
当時もアルバイト募集店はいくらでもありました。あまり深く考えずに目についた中華料理屋チェーンやパーラー喫茶店でアルバイトを始めました。
でも、入ったところはなぜか急に閉店する事になったり、スタッフの内紛で店長がクビになったりで、どこも数か月で止めざるを得なかったのです。

「宗兵衛の思い出」

1976年6月、下北沢北口3分のビル2Fに美容室&喫茶スナック「宗兵衛」がオープンしました。

ご夫婦の経営で旦那さんが美容室、奥様がカフェを担当しているアットホームでこじんまりとしたお店でした。
「宗兵衛」には当時のバイト先の知人が出入りしており、開店直後から僕も誘われて行くようになったのです。

「宗兵衛」の居心地は店主夫婦の人柄もあり、とても自分にフィットしました。気に入って何度か伺ううちにカフェや美容室のスタッフの方々とも仲良くなりました。その後、誘われるままその年の年末から、カウンターのみのカフェの方で一年近くバイトさせて貰ったのです。

*1977年頃の「宗兵衛」店内で、オーナーの宗ノ助さんと。宗ノ助さんは筋金入りの音楽ファンで、知らなかった名盤を数多く教えてもらいました。

このお店には今考えると類まれなオーラがありました。
隣り合わせにある美容室とカフェに流れるBGMは共通で、たいていオーナーが、時々ママやスタッフがその都度選んでLPレコードをターンテーブルに載せていくのです。それぞれ掛けるレコードにこだわりがありました。
バックヤードには米国ロック中心に、60年代~70年代中期の名盤レコードが数百枚ありました。
重要なバンドやSSWの新譜が出ると、もちろん買い込んでレコードは増えていきます。スタッフやお客さんも毎日のようにレコードを持ち込みます。
そんな最新の音楽や情報や人間関係も目当てにして、学生から社会人まで、近隣から遠方まで様々なお客様が来店するお店でした。

そんな「宗兵衛」のカフェは多くの方々にとって、とても大事な「居場所」であり「溜まり場」でした。
そして下北沢に集うお芝居や音楽業界関係者も数多く出入りし、「出会いの場」としてもこの上ない場所だったのです。
俳優やミュージシャンの方はもとより、ライブハウスのブッキングマネージャーの方や、音楽ライターの方や、フリーランスのプロデューサーの方、そしてその後メジャーデヴューする若きアーティストの方々などなど。

僕は大学に通うのも忘れ、店に集う先輩の方々と会話したり、色々な音楽を聴かせてもらったり、「宗兵衛」で本当に社会勉強をさせて頂き、人脈も作る事が出来ました。もちろん美容室で髪もカットして貰っていました。

このお店が無ければ、僕は音楽業界ではなく違う道を歩んでいたかもしれません。事実、このお店での繋がりにより、僕はレコード会社営業所のバイトを始めたり、レコーディングのアシスタントをやらせて貰うようになったのです。

「下北沢」という街が持つ利便性と特殊性、醸し出す「ごった煮感」と受け止める包容力、そして「宗兵衛」での経験と出会いは、紛れもなく僕自身の「原点」となりました。
他にもシモキタの様々なお店に来店しお世話になった僕ですが、そのスタートラインに立たせてくれたのが「宗兵衛」だったのです。

時を経て2015年4月末、39年の営業の後「宗兵衛」は惜しまれつつ諸事情により閉店しました。

「溜まり場への思い」

その後、音楽業界で様々な仕事に関わって来た僕は、2002年10月10日、渋谷宇田川町にWastedTimeをオープンしました。
プロも多く出演するライブバーとしてそれなりの知名度と評価を得たような気もします。
しかし2016年5月末、13年と数か月でこれまた諸事情により閉店したのは皆様ご存じの通り。

渋谷WastedTime閉店後、数か月過ぎ、僕は他店のライブブッキング等に関わっていました。
しかし、僕自身はまもなく還暦を迎えようとしている時期。やるなら今しかないと考え、やはり長年の夢の実現に着手する事を10月に決めました。
それはシモキタで新たな「居場所・溜まり場」を作る事・・。
「原点の地」下北沢で小さくても良い、自分一人で切り盛りできる「音楽バー」を開く事です。

とにかく企画書を作り、資金調達の目途をつけるために動き始めました。
そして連日の店舗物件サイトのチェックと下北沢の不動産屋めぐりが始まったのです。

「店舗探し」

2016年11月、まず知人の紹介で運よく出てきた、南口5分の茶沢通りに面した二階の8坪物件に申し込みます。
二階とはいえ視認性も良く、通りの向かいは人気のライブハウスもあります。
ビルの持ち主の条件として飲食店は場合によってOKという感じです。Barを開業したい、朝5時まで営業を許可して欲しい。
こちら側の少しハードルの高い相談に不動産担当者は協力的でしたが、数度の交渉の結果、大家からはあえなくNGを出されました。

12月、渋谷駅井の頭線脇、マークシティの隣に7坪の一階路面店の居抜きが出ました。一番近い出口からは徒歩数十秒です。
どんな事情か、家賃は格安のうえなんと造作譲渡料無料で、翌日からでもそのまま営業できる類まれな物件だったのです。
これは下北沢を諦めても仕方ないと思える条件でした。
しかし不動産屋の話では全ての申込者は大家さんが面接して決めるとの事だったのですが、個人の申し込みだった僕は、果たして面接すら出来ずに、その物件は後発の法人組織に持って行かれました。

焦燥感の中、年が明け2017年1月末、たまたま飛び込んだ不動産屋で下北沢北口1分、人通りの多い1F奥に、モール形式の物件が紹介されました。
古い木造の建物でしたが家賃等条件も良く、古着屋やカフェなど4~5店舗が同時にオープンする画期的な構想でした。
管理不動産屋も乗り気で話はとんとん拍子に進みました。申し込みをして不動産屋も管理会社も全てGoし、内装業者に工事の見積もりを取り順調に開店準備が進んでいました。
しかし数週間後、他のテナントがなぜか急に撤退するという話になり、モール構想がとん挫する事態に陥りました。
結局大家の条件に届かず、申込金も返済され、それまでの準備は水の泡と化したのです。

2月末、北口3分二階に居抜きのイタリアンビストロの物件が出ました。
まだ営業中だったので、お客として来店し内装など詳しくチェックし、申込日に一番に申し込みました。このお店もそのまま営業できる厨房機器が揃っており、テーブルや椅子など調度品もそのまま使える稀有な環境でした。
しかし3週間の審査の結果、大家はまたも後発のワインバーを選び、話は消え去りました。

ここに至るまで個人情報を渡して申し込みをしたのは、4件。
内見までしたのは30件を超えていました。
その経験で感じたのは、申し込みが個人店でそれも一店舗目だと、ほぼ信用が無く大家も不動産屋も敬遠するという現実です。
店舗を探し始めて半年が経ち、諦めはしませんが挫折感が積み重なりつつありました・・。

「STOMPとの出会い」

時は戻り1975年、下北沢南口駅前1分に完成した佐藤ビルのB1Fに、数年後「STOMP」というバーがオープンしました。
80年代中期、ブルースミュージシャン近藤房之助氏がお店を受け継ぎ、内装を施し、音楽活動の傍ら、30年以上にわたってお店を継続していました。
しかし諸事情により「STOMP」を畳むことになり、譲渡先を友人知人に限って探していたのです。

2017年3月初旬、ひょんなことから表に出ていなかった情報が、たまたま僕に伝わってきました。
狭い音楽業界なのですぐに繋がり、お互いにかなり近い知人の紹介で、房之助さんと会えることになったのです。奇しくも業界の大先輩であるその知人の方とも、初めて出会ったのはバイト時代の「宗兵衛」でした・・。

そんな方の紹介という事で房之助さんからも、ある程度信頼をして頂きました。同じ音楽業界で共通の知り合いも何人もいます。
ある日打ち合わせで房之助さんの友人がオーナーであるシモキタの喫茶店に連れて行ってくれました。
そのお店も1977年オープンで、実は僕が開店時から何度もコーヒーを飲みに行ったお店で、当然オーナーと顔見知りだったのです。
入店時にオーナーに挨拶すると、房之助さんから「なんだ、知り合いなの?」と驚かれました。

そのような知人の方々と「宗兵衛」以降、長年下北沢に関わって来た歴史が偶然にも繋がったのです。

そうして房之助さんと何度かお話をしているうちに条件も緩めて頂き、管理不動産屋さんも協力的で、元「STOMP」である現店舗の契約に至ることが出来たのです。

「STOMP」は奥まった地下1階とは言え、下北沢南口1分という類まれな立地にあります。店舗の大きさも丁度良く、手作りで積み上げたレンガの内装も今作ったらお金と時間がどれだけ掛かるのか想像できない素晴らしさです。

それまで内見して申し込みしたどの物件よりも、立地の良さは抜群で僕自身の希望・イメージに沿った店舗内容でした。

カウンター側を多少の内装工事をして、レンガ作りの壁や客席はほぼそのままで、「STOMP」は「WastedTime下北沢」として生まれ変わり、2017年6月オープンにこぎ着けたのです。

「そして今・・」

40年の時を超え、「宗兵衛」から始まった僕のシモキタお店体験。そこから培った人脈や経験が現「WastedTime下北沢」に結びついています。

不思議な感覚もありますが、回帰する場所に落ち着いたんだなと、納得できます。

ようやく1年を超えただけですが、元「STOMP」の常連さんやスタッフの方々、渋谷WastedTime時代からの出演者やお客様、そして「宗兵衛」時代、音楽業界時代からの知人友人の方々。そんな方々がちょいちょい顔を出してくれます。
週一回月曜日に若い女性スタッフがカウンターに立つ「39ch.WastedTime」も賑わっています。
そしてたまたま来店して頂いたお客様も定期的に顔出してくれたり、常連さんの仲間入りになる方も増えて来ました。
本当にご来店頂いているお客様には感謝の念が絶えません。

様々な世代を超えてコミュニケーションも出来る、お客様に公私ともにプラスになる、素敵な「居場所・溜まり場」となっていく・・。
そんな風に「WastedTime下北沢」が育って行く事を心より願っております。

このような個人的な駄文・長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

この稿終わり。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

6

中島 睦~Mutsumu Nakajima~

WastedTime下北沢店主。飲みに来てください。主に音楽関係。ライブブッキング・音楽プロデュース等運営中。音楽制作経験者ですが、ミュージシャンじゃないです。

無差別音楽コラム

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。