レコード

<アナログ盤とかCD盤とかに関する雑文>

*このテキストは2015年5月にFBに上げた記事の再掲です。

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アナログレコードが復活しつつあるようだ。

世界の音楽業界団体である「国際レコード産業連盟(IFPI)」が先月発表したデータによると、2014年のアナログレコードの売上は世界で3億4680万ドルで、前年比54.7%増となったとの事。売り上げ減ばかり聞こえる昨今の音楽産業の中で、良いニュースだと思う。

ただ僕は個人的にアナログレコードへの思い入れが、実は無いのだ(ジャケット以外で)。

もちろん周波数帯域の広さを初め、確かにアナログ盤の音質はCDとは違う「ふくよかさ」がある。そのデジタルでは表現しづらい、「いい音」に聞こえる、聴覚に訴える感覚も間違いなく事実だろう。ただしオーディオ環境にはかなり左右されると思うが・・。

またアナログLPアルバムはそのジャケットの面積に比例して視覚的な情報量が当然多い訳で、アートとしての存在感がCDやカセットなどと比べると雲泥の広がりである。

アナログレコードでしか発売されなかった時期の古いアルバムのジャケットは、30cm四方の大きさに対してそのデザインがなされた訳で、その画角でなければ成立しづらい内容のジャケットも数多く存在する。

さらにアナログ二枚組、三枚組などの重厚感も強力で、手に持った時の重さや所有感は「これ、オレのレコードなんだ・・」と恍惚とするほど魅力的であった。ともかくこの辺のビジュアル的・精神的な充足感はCDパッケージその他では全く味わえない。

また40代半ばから50代以降にはアナログレコードへの言われ無きノスタルジーがある。

そこには同時にオーディオ機器へのノスタルジーも含まれ、各音響機器メーカーのアンプやスピーカーやターンテーブルを好みで選び、針を変え、音の違いを認識するようなマニアックな喜びを得た歴史も内包する。

ちなみに20才位の時、僕のオーディオシステムはさすがに型番までは覚えてないが、スピーカーがDIATONE、プリメインアンプがYAMAHA、ターンテーブルはテクニクス、針はSHURE M44シリーズだった。

お金さえあれば、JBLやアルテック・ランシングのスピーカー、アキュフューズやマッキントッシュのアンプが欲しかった。オーディオマニアに憧れ、上を見ればきりがないが、出来うる限り良い音で聴きたいという願望は、当時音楽好きなどんな男子でもあったと思う。

逆にそのような時代を経てこなかった40代以前の方々が、アナログレコードやオーディオ機器を重要視する、ある意味「珍重」するのは、所有できなかった事への「悔しさ」や過ぎ去った時代への「羨望」が含まれるのかもしれない。

今またアナログレコードが、古き良きオーディオシステムが、スクラッチノイズやその音質含め各世代に「もてはやされる」のも十分に理解できる。

しかし、以下に述べる(個人的な)理由によって、少なくとも僕はマスターアイテムの音楽メディアは「CD」なのである。

1979年以降「ウオークマン」の発売により、音楽を持ち歩けるようになった我々は、ツアーの移動中や現場での空き時間に、ヘッドフォンで自由に音楽を聴けるようになった。それは現在の若い人には当たり前すぎて理解しにくいだろうが、本当に「画期的」であったのだ。

一日の中で音楽を聴ける時間が、確実に2倍以上に増えると言う事の意義がどれだけ凄い事か。特に音楽を仕事にする人間にとっては、圧倒的に重要な事であった。

ただそのためには、アナログ盤をカセットにダビングするという行為が必要になる。

カセットだってそんなに安くはない時代、とりあえずLPをまるまるダビングしていたが、お金がないので飽きたら新しいレコードを上書きダビングする訳だ。(限界はあるが)

とはいえ好きな曲・重要な曲・何度も聴くべき曲ばかりを選んで聴くには頭出しが面倒なので、所有するレコードから一曲単位で曲を選択し、45分~60分のフェイバリットテープを作成する事になる。(80分とか120分とかのカセットテープもあったが、すぐにテープが伸びて気持ち悪い音になるので僕はNGだった)

自分のベストチョイステープを作るには、結構な時間と労力が必要だった。

まずカセットのテープのたるみを直しカセットデッキにセット、選んだLPを専用のクリーナーで拭き、両手でターンテーブルに載せ、安定する回転数までの時間を考慮し、曲間に気を遣い、針を落とし、デッキの録音をスタートする。(住んでたアパートが線路脇の時代は、電車の通過時間を考慮してダビング初めないと、良いところで針飛びする笑。)

時間を見つけて、狭いアパートがアナログ盤で溢れかえっている部屋で、脳内DJをしながら選曲し、アルバムを探し、テープのたるみをその都度直し、確認で音量を何度も聴きながら、黙々とダビングする作業は時には朝方まで掛かり、当時音楽を聴き込むためには仕方ないとは言え、どうにも面倒で実は辛かった。

そしてアナログレコードの所有数が300枚以上になると、まあ僕だけかも知れないが盤の扱いも多少ぞんざいになる。

なにせ僕にとって重要なのはレコードではなく、その中に収録されている「音楽」そのものなのだから。

でもそんな扱いをしていると、これというLPや曲に限ってノイズが酷い、バチバチする、音飛びする、レコードが反り返っているという悲しい事態になる場合も多い。

挙げ句の果てにいつのまにか盤も針もヘタれている。どうにもまともにダビング出来ないので、泣く泣くその曲を諦める事も多々有った。温度変化や直射日光などにレコード盤は驚くほど弱い。大事なレコードが劣化する事実に、当時の僕は精神的にも堪えきれなかった。

そんなこんなの最中、1982年遂にCDの登場である。その翌年に金など無いが無理矢理高価なSONYのCDデッキを買い込み、CDアルバム(多分ビリー・ジョエル)を自宅で聴いた時、そして初めてカセットにダビングし、その音を聴いた時の感動は忘れられない。

「スクラッチノイズが無く、無音状態からいきなり音楽が始まる」「ターンテーブルの回転ムラが無い」「針飛びしない」「片手で扱えるほど小さい」「半永久的である」「雑に扱っても平気」。

これは音楽を聴くためのメリットしかないではないか!

さらにちょっと普通の人と違うのは、レコーディング時音源のラフミックスをスタジオでカセットテープに直接ダビングした音に慣れていたという事。

僕にとって聴きたい音楽を聴く時には、ノスタルジックなスクラッチノイズや針を通して変質した音質や回転ムラなど不必要なのだ。

デジタル音質の堅さ云々など後の話で、このノイズレスで安定した音源が、今後CDによって聴けるという事実に、とにかく僕は震えるほど感動したのだ。

まあつまりアナログレコードの扱いで個人的に苦労したトラウマが、今のアナログレコード復活への興味の無さに繋がっているという訳だ。

その後デジタル音質が気になりだしたのは、80年代中期MTRがデジタルに変わってからだ。

当初SONYの3324は見事にデジタル臭い音であった。

もちろんメリットも多々あったが、初期のデジタルMTRの収録音質は多くの違和感が感じられたものだ。その音質が受け入れられず苦労したエンジニア・ミュージシャンも多い。

僕自身も後年、1990年に初めてプロデュースをしたカヴァーアルバムは、当時デジタルMTRが東京のほぼ全てのスタジオに行き渡っていたにも関わらず、わざわざアナログマルチで収録し、MIXした音源をアナログマスターテープに仕上げた。

そしてマスタリング後にデジタル化してCDプレスに送るいわゆる「AAD」という奴。

今までFB記事でご紹介してきた70年代のCD名盤はもちろん全て「AAD」である。

僕自身にとってはどちらかと言えば「AAD」であることの方が、アルバムの音質としてアナログ盤との選択より重要なのである。「DDA」(あるかどうか知らないが)とか全く興味がない。

そういった時期から80年代中盤以降、CDでの発売が一般化され1990年代までには、新譜はほぼCDのみとなり、アナログ盤は店頭から消え去り、レコード屋はCDショップと名前を変えた。

そしてアナログ盤のみで発売されていた過去の名盤が続々とCD化され、音楽ファンは買い換えに奔走するのであった。(まあ当時のCDマスタリングはお世辞にも良いとは言えなかったが・・)

買い換えてもアナログ盤を大事に保管している方は、実に多い。

しかし僕は90年代初期には実利主義的な浅はかさで、保管環境とスペース確保の優位性を比較し、苦労を掛けさせられたアナログ盤をえいやっと千枚以上すべて処分した。(何度も言うが、ジャケットには思い入れがあったのが多い)そして「音楽」の保存に選んだCDへの買い換えを延々と進めたのであった。

さらにテープのヒスノイズや伸び、モーター駆動の不安定さに難があったカセットに嫌気がさしていた我々だが、1990年前後CDと同音質のDAT(Digital Audio Tape)の登場にREC関係者は狂喜乱舞した。

カセットより一回り小さいDATは見る間に新メディアとして脚光を浴びたのだ。

その音の圧倒的な良さでDATは業界中心に、一気にREC環境含め民生・プロユース併せたオーディオ機器として時代を席巻したのだった。

僕もSONY製DATデッキは数台買い換えたし、アイワのウオークマンタイプの携帯DATも車に常備していた。

その頃、買い直したCDから僕が作ったDATフェイバリットテープは100本じゃきかない。

当時はRECマスターテープですらDATで納品する事も珍しくなかった。

しかし2000年以降、より安価なデジタルメディアであるMDに取って代わり(とはいえ音は酷いし、デジタルエラーも半端無いのだが)10年程度の歴史でまことに残念ながらDATは終焉を迎え、2005年生産終了した。

そしてMDの不人気がはっきりした頃から、MP3を初めとする現在の圧縮されたデータ音源に、時代は移り変わっていく。

配信された音源には参加ミュージシャンやプロデューサー等のクレジットが無く、「おお、この演奏はだれ?」と思っても調べるには一苦労に違いない。

それにしても背景が見えない音楽は悲しい。

そんな現代にアナログレコードの良さが改めて見直されるのは当たり前なのだろう。

失われたノスタルジーとフィジカルな質感を持つ音源パッケージの相乗効果は、十分に訴求力を持つ。

願わくば残された唯一のプレス工場の存続と安定した機器の供給が続きますように。お宝を掘り出す感覚は、きっと音楽のトレジャーハンターの心を掴んで離さないはずだ。

そして、二年前止むに止まれぬ事情で3000枚を超えるCDを処分した僕は、アナログレコード復活のムーヴメントを横目に、リマスタリングされたCDを買い直し続けるのだ。

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