【即興小説 お題:壁ドン】1センチ。

ども、ならざきです。

えっと、このお話を書くことになった経緯は、こちらのnoteにございます。
――っていうか、何してんねん夜中に私は(^_^;)

ま、というわけで。
週末の夜のラッシュアワー的なお話です。


「1センチ。」 作 ならざきむつろ



土曜の夜、8時を過ぎた頃。
ラッシュアワーの時間帯のため家路につく人々でごった返している地下鉄のドアの手前に、一組の若いカップルがいた。
カップルはそれぞれ大人っぽい格好をしているが、どう見ても若い。
恐らくは高校生――いや、中学生だろうか。
彼らの周囲に立つサラリーマンのせいで、余計に若く見える。

「……大丈夫?」
ドアの脇にあるポールに寄り掛かるようにして立っている彼女が、少し不安そうな表情で目の前の彼氏に声をかける。
サラリーマンたちに背を向け、ドアに手をついて支えるようにして立っている彼氏は、少し苦しそうな表情で、でも無理やり笑顔を浮かべて大丈夫、と応える。
「ぜんっぜん平気。これでも毎日筋トレ欠かしてないんだぞ」
そう続けた彼の声は、でもそのドアに伸ばしている腕と同じく、少し震えている。
「でも、なんか苦しそう……」
そう言った彼女がその手持ち無沙汰にしていた両手を少し持ち上げ、しかしためらいがちに少し宙をさまよってから、やがて何かを諦めたのか、自分自身を抱きしめるように腕を組む。
「大丈夫だって。――それよりゴメンな。もうちょっと早く帰ってれば空いてたのにな」
苦しそうな笑顔で詫びる彼氏に、彼女がふるふる、と首を横に振る。
「ううん、ぜんぜん。楽しかったし」
「そっか、良かった――」

その時だった。
地下鉄がカーブに差し掛かったせいで、背後のサラリーマンの固まりが彼氏の方へと寄ってきたのだ。
「ぐ――」
負けまいと必死に力を込める彼氏だったが、大人の集団の圧力に負けて、ジリジリと彼女の方へと近づいていく。
「だ、だいじょ――」
心配になって声をかけようとした彼女だったが、その目の前数センチのところに彼の唇が近づいてきていることに気が付いて、顔を真っ赤にして口を閉じる。
そんな彼女の様子を誤解したのか、彼氏が心配そうに「――大丈夫?」と尋ねる。ミントタブレットでも食べたのだろう、爽やかなミントの香りが彼女の鼻腔をくすぐる。
「ち、近い――」
なんとかそれだけ口にする彼女に、ようやく状況を飲み込んだのだろう、彼氏も顔を真っ赤にして離れようとするが、背後からの圧力がそれを許さず、むしろ更に彼と彼女の距離を縮めさせていく。

――あと、4センチ。

「ご、ゴメン――」
彼氏が緊張したように、でも慎重に声をかけると、
彼女は緊張したように、でも微かに首を横に振る。

――あと、3センチ。

彼女の身体に必死に触れないでいる彼氏の顔に、彼女の甘い吐息がかかる。
彼氏の身体を支えようかずっと迷っている彼女の顔に、彼の熱い吐息がかかる。

――あと、2センチ。

もはや二人の目は、互いの目しか見えてない。
あと、ほんのちょっと近づけば、互いの唇が触れるのだ。

まだ触れたことのない、唇が。

――あと、1センチ。

彼の目に、潤んだ瞳の彼女が映る。
彼女の目に、頬を上気させた彼が映る。

触れそうで触れていない互いの心臓が、今まで無いくらい鼓動を早めている。

――あと、1センチ。

彼氏は思う。
今ここで、伸ばしている腕の力を緩めたら――と。

彼女は思う。
今ここで、ほんのちょっと身体を前に倒したら――と。

しかし、結局、二人は動かなかった。
身体も、その顔の表情さえ緊張で固まっている二人は、動くことができなかったのだ。

そしてやがて地下鉄はカーブを抜け、彼氏の背後の圧力が緩むと、彼氏はホッとしたような表情を浮かべて彼女から身体を離――そうとして、驚いたように自分の胸元を見つめる。

彼女が慌てたように、彼の服の胸元をぎゅう、っと掴んでいたからだ。

「ちょ、ど、どうした――」

慌てた彼氏の言葉は、そこで不意に途切れた。

1センチの壁を超えてきた、彼女の唇によって。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?