羽山くんとわたしのはなし_表紙2

『羽山くんとわたしのはなし。』第3話『羽山くんはおみとおし』


第2話無料作品目次第4話


――納得できない。

もちろん理解はしている。 
自分達のプロジェクトが軌道に乗り、私も羽山くんも日常の事務手続きまで手が回らなくなる事が多くなったのが原因だと、ちゃあんと理解はしている。

だが、私の目の前で羽山くんにしな垂れかかるようにして仕事の内容を確認しているこの新卒の若い娘は納得することができない。 

「この書類なんですけどお」

と羽山くんに擦り寄るのを見るたびにムカムカして仕事にならないのだから、この娘は例え私も認めざるを得ないほどに優秀であったとしても、やはり納得できない。


できないったらできないのだ。



『羽山くんとわたしのはなし。』
第3話
『羽山くんはおみとおし』



「……って僕に言われても、人事権はチーフが持ってる訳ですし」 

夜。 
いつものように職場から真っ直ぐにやって来た羽山くんの部屋。 
時間帯をずらして帰宅(わお)した私が真っ先に叫んだ心の叫びを、しかし彼は私の鞄とコートを手にリビングへと歩きながら困ったような顔で言葉を返してくる。 

……っていつの間に渡したんだっけ鞄とコート。 

「そりゃあ解ってますよ、私がいらない、って言えばあの娘は異動になるってくらい」

私がソファーへとトボトボと歩きながらぶつぶつとつぶやいていると、キッチンに入った彼が「言えば良いじゃないですか」と返してきた。

「無理ようムリムリ。あの歳であれだけ手際が良くて飲み込みの早い女の子なんて、レアよレア」

私はふわっふわのロングソファーに勢い良くダイビングすると、くるん、と身体を仰向けにして、

「――ほんと、もったいないじゃない」

と追加。
そんな私を横目で観ながらキッチンから運んできたお手製の夜食をローテーブルの上に並べてつつ、彼が「珍しいですね」と楽しそうに言う。

「まるで珍種の動物にでも遭遇したみたいな言い方ね」

そう言って口を尖らせた私に、彼は困ったような笑みを見せる。

「まあ、僕にとっては似たようなものですけどね」
「は――羽山くん?!」

さらっと言った彼に思わず飛び起きる。

「キミねえ、人を珍種呼ばわりとかどうなの――」

体を起こしてさあまくしたてよう、とした私に、彼がさも当然のようにワイングラスを差し出してきた。

「はい、食べますよ。グラスをどうぞ、お嬢さま」

そう言って柔らかく微笑む彼を見てしまったら、誰がこれ以上まくしたてられるだろうか。

ああもう、コイツったら。

「はいはい。これでいいのかい、セバスチャン」

私がそう返してしぶしぶグラスを受け取ると、彼は「僕は執事ですか」と笑いながら、手に持ったワインのコルクを引き抜く。

「私を珍種呼ばわりしたお返しよ」

まったく、とぼやく私にはいはい、と笑って返しながら、彼は私のグラスにワインを注いでいく。

「わかりました。では僕は今夜はセバスチャンですね」

私のグラスにワインを注ぎ終えた彼がそう言ってこちらを見る。
私がその胸元辺りに脳内で『セバスチャン』とテロップをいれてみる。

「……ごめん、やっぱり似合わないわ」

私が素直にそう答えると、彼は「でしょうね」とははっと笑い、テーブルの自分のグラスにワインを注いだ。

くそう。
なんでもお見通し、ってわけかキミは。

私はそう頭のなかで言い返すと、微笑みながら持ち上げた彼のグラスに自分のグラスを軽く当てた。


  ※


「――で、さっきの話なんだけど」

1時間後。
食事を終えた私は、ソファに体育座りをしながら、キッチンに居る彼に声をかける。

「さっきの、って、筧さんの話です?」

キッチンで洗い物をしている彼がこちらをチラリと見つつ返してきたので、私はそう、とだけ答える。

「まあ、彼女は……なんて言うか、いよくはありますね」
「いよく?」

最初彼の言った言葉の意味がわからなかったけど、すぐにああ『意欲』か、と理解する私。

「――彼女に意欲なんてあったんだ」

なんとはなしにそうつぶやくと、ちょうど洗い物が終わったのか、彼がキッチンから出てきて「そりゃ有りますよ」と苦笑いしながら言う。

「アレでも、聞いてくることはちゃんと仕事のことですし、同じことは二度聞いてきませんしね」
「え?そうなの?」

思わず本気で驚いた私の隣によいしょ、と座る彼。

――って、近いってば。

「そうですよ。アレでけっこう、本気なんですよ」

きっとね、と微笑んでくる彼を見てふと、そう言えば私は彼の笑顔しか知らないことに気がつき、そんな事を今さら知った自分ってどうなの、とか思ってみたりする。

――だから近いってば、羽山くん。

「ふ、ふうん、そっか。ま、それならそれで良いんだけどね」

私はそう言って自分のグラスを取り、ワインを口に含む。
こういうときにワインはほんと便利だ。
口に含んでテイスティングしている間は、ごまかせるから。

若い子がキミに擦り寄ってくるのが嫌なの、って言いたくなる気持ちとか、
彼がすぐ傍に座ってるドキドキとか。
そんな事ばかり考えている自分自身、とか、そんなものを。

「――何か作ります?」

すぐ近くに聴こえてきた彼の声に、私は思わずワインを飲み込む。
喉を軽く焼きながら降りていくワインに、私の身体がぶるっ、とかすかに震える。


――違う。
そうじゃない。

震えた理由は、そうじゃない。

そうじゃないんだ。


「――ん。いらない」

私はそうつぶやくように言うと、そのまま彼に身を預けて、眠るようにそっと目を閉じた。

(つづく)






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