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再びのライカ

購入には自分への“言い訳”が求められるカメラかな…

約20年ぶり。30代の頃、まだデジタル一眼も一般的に広がるか広がらないかの時代にM6を購入した事がある。Mシリーズ独特の「チャ」という独特なシャッター音。一眼レフのシャッター音を標準に考えていたあの頃は違和感もを感じつつも、会話を邪魔しない音色に人に寄り添うカメラなのかな…とも感じていた。

それから20年+αたって、M10を購入した。最新のモデルはM11だが、高額で有ることもありM10におちついた。とはいっても、高額な買い物でもあり自分のなかでライカデジタルの基準値も無く、何が正解かもわからない状況であったので自分の中に落としどころ(言い訳)を探し、会社を辞め次のステップの道しるべとして相応しいのがLEICAに違いない!と勝手に決めて購入にいたった。
当然、中古ではあり前任者の撮影を支えた手傷も若干あるのだが、それはそれで心置きなく使える後押しになって良いかなと思っている。

主張するシャッター音

驚いたのは、前述のシャツター音。機械的で大きい。以前とは逆にミラーレス一眼を主軸に使っていいる今、非常に新鮮であった。どうもPシリーズは柔らかい音質のようだが、このM10は大きなシャッター音がする。感覚としては「撮ります!!!」と大きく手を上げているような感覚。それがまた新鮮な感じがした。

曖昧なフレームワークで余白を楽しむ

レンズ。これが、LEICAシリーズだととても高い。ボディーの価格を超えてしまうレンズも多くある。そもそも、フォクトレンダーの40mmが好きな事もありファーストデジタルライカレンズ(長!)としては、「ノクトン・クラシックF1.4 SC」を選んだ。既存のレンジファインダーのフレームには40mmが無いので35mm枠に少し余白がある感覚で撮影をする。そもそも、レンジファインダーで精密なフレームワークは難しいので、なんとなく曖昧な感覚を楽しんでいる。デザインや文章にも“余白”が大切だと思うので、カメラにもその余白を楽しむ事で、新しい何かを見つける事ができることを期待もしている。今のところは、レンジファインダーのマニュアルピントは難しい、フレームワークはやっぱり曖昧だな…結果、写真が下手になった気がするという回答に落ち着いている。まあ、3000枚もシャッターを切れば慣れてくるとは思う。

冬朝の湘南(LEICA M10 /28mm)

ギターをつま弾くように、毎日触りたくなるカメラ。それがライカなのかも。

昔、中学生の頃に多くの少年が通る道筋の一つとしてギターが有り、私も例外にもれずギターに触れた。結果、上達もせずにフェードアウトしてしまったが、ギターを抱えてソファーに腰を下ろして練習をするのが、なんか好きだった。
今、ライカM10でおなじような事をしている。保管庫からカメラを出して、ウェスで磨き、ファインダーを覗いてピント合わせの練習をする。フィルム時代では無いので心置きなくシャッターを切って、自分の写真の下手さに心が少し苦しくなるが、練習すれば憧れの「ハービー山口氏」のような写真が撮れる、無理かもしれないが近づく事はできるはず!と自身を鼓舞してシャッターを切る。そんな瞬間を好きにさせてくれるカメラで有ることは間違いない。週末は新たに入手した28mm(フォクトレンダーのF2)を手にしてスナップで屋外練習に励もうと思っている。


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