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自分のささやかな夢を叶え続けていく。

2024年になった。昨年は気がついたらあっという間に過ぎ去り、新年。「明けましておめでとうございます」なんて呑気にSNSやLINEで挨拶をしつつ、こうしてまたつらつらと取り留めのないことを書いている。

年末の休みは大掃除に費やしていた。11月のデザフェス以降、散らかっていた在庫や道具を整理した。昨年の製作数がそれなりに多かったので、だんだん絵や画材に部屋が占領されつつある。手狭になってきたのかも知れない。
その中で、長年持っていたものをひとつ、手放した。自分の中でようやく踏ん切りがついたのかも知れない。思い出を大事にしまっておいたものを、かつては痛すぎて開けられなかったものを、そっと開けて、手放した。
存外、思っていたほどの感慨はない。けれど、そうなるまで寝かせておく時間が必要だったのだろうと思う。
私は多分、執着が強い方で、だからこそあまり大事なものを増やしたくない。必要最低限の荷物で実家を出た時に、これは多分一生捨てないなと思うものを持って出てきた。大事に大事に抱え込んで腐らせてしまったそれを、少しずつ解凍していく。今年はそういう年にしたい。

自分の感情が昇華出来るのを待っているような数年間だった。その間にも、出来ることはないかと問いかけ続けて、占いをしたり、絵を描いたりして過ごしていたけれど、自分の本分はそこにはないのだ。本来の仕事の準備に取り掛かろうと思う。今年の前半はその助走をつけていく。

自分にとっての大事なものを他人に見せる時、それによって傷つけられる覚悟も、同時に必要なのだと思う。他人にそれをジャッジされることを、許さなくてはいけないのだと思う。自分のことを受け入れて欲しい気持ちは、極力捨て去らないといけない。じゃないと、自分の承認のために、他人を利用してしまう。

絵のことについては、そんなに心が痛まないのは、自分が好きで描いているものだからだと思う。誰かに承認されるかは(一旦)関係がない。自分が描きたいものを描き、それを気に入ってくれる人が居たら嬉しい。そういうスタンスで活動を再開して、今のところ上手くいっているので、ありがたいことだ。
世に出すところまでで、自分の仕事はある程度終わっている。あとの評価は、見てくれた人に委ねるしかない。そういう余裕が持てるようになったのは、精神的に大人になったということなのだろう。

あるいは、他人の評価で一喜一憂してぐらつくことが少なくなったのは、以前よりも少しは自分のことを好きになれたからかも知れない。自分のやりたいことを少しずつでも叶えていく作業は、楽しい。それが失敗しても、一回で終わったとしてもいいのだ。やってみたかったのだから。やってみた結果、どんなかたちになろうとも、そういう経験は無駄にならない。

私はずっと、体験することに重きを置いている。自分の人生がこれで終わりだとして、最期に思い残すことは、出来るだけ少なくしたい。その意味では、まだまだ見てみたいものや味わいたいものはあって、そういう自分にとってのささやかな夢を叶え続けていきたい。
夢って別に、大きなものではなくてもいいのだ。職業に就くことや金銭が夢の対象になる人もいるんだろうけれど、私の場合はそうではないから、その時の自分のやってみたいことを、どんな些細なことでも地味に叶え続けることが大事な気がしている。こういう体験がしたい、あれを味わいたい。それを実際に自分で体験し、地道に叶え続けるのが人生のおもしろさであり、豊かさなのではないかと思う。そのやりたいことの中身が他人と同じである必要はない。
多分、遠景で見たら私の人生は別に大したものではないだろう。ただの大人の悪あがきに見えるのかも知れない。だけど、自分の好きなものを捨てて、我慢して諦めたように死んだ目をして生きる方が、ずっと苦しいことを知っているから、もうそっちには戻れないのだと思う。


これから、どこへ行くのか、どうなっていくのか。まだまだ決めていないことはあるし、分からないことがある。計画的なところと、予想外のところ。それらを軽やかに笑い飛ばして、走っていきたい。

ここのnoteは今のところ、自分の思索の記録として書いている、だから、たまにしか更新していないけれど、書くとスッキリするので、自分にとっては必要な作業なのだろう。普段、なかなか思っていることを人に話さないので、こうして書きつけることで整理していく時間になっている。たまに「読んでます」とか「好きです」とか言われると、ちょっと気恥ずかしいけれど、嬉しい。ありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。


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