チャンスを、見逃すな

電話越しにマネージャーが絞り出すようにいった「悪いが、今日は休む」という宣言は、3日前からチームメンバーを次々に襲っているインフルエンザがついに大将を討ち取ったことを意味していた。私は普段6人でやる仕事を2人でこなすのはヤベえだろうなと予感したが、反面、上司のいない職場は気がラクだとも思った。机を挟んで斜め前に座る先輩は平然とパソコンを見つめて作業をしていた。朝日を浴びて先輩のセミロングのストレートヘアがつやつやと光っている。

始業後しばらくして気づいたが、不思議なもので、ひとりふたり休まれるとしわ寄せがきて休む暇もないが、4人ともなるともはや指揮命令系統がやられて逆にやることがない。普段は鳴りっぱなしの電話も空気を読んでいるのか、お客さんもインフルエンザなのか、しんと静まっている。

今日に限っては売り上げが立つごとに叫ぶ変態マネージャーも、話しかけると10分は絶対離してくれない長話の主任も、こっちはどうでもいいんだけど無駄にライバル視してきて周りからはライバル関係だと思われている同僚もいない。私以外にただひとり生き残っているのは、いつも朝一番遅く来て、夜一番早く帰るちょっとフシギちゃんな感じの先輩だけなのだ。先輩は私のひそかな思いに気づいていない。先輩はこちらを一瞥することもなく、一時間前と同じ表情でPCをにらんでいる。私はこの静かな空間を、淡い憧れを持った先輩と二人だけで共有している。

いや、ここで満足してはいけない。
よし、今日は先輩をランチに誘おう、そう思った。

午前中に何の会話もなく突然ランチに行こうとは言いづらい。すこしジャブパンチを打っておくのがいいだろう。相手の出方もそれでわかるかもしれない。私はどうでもいいような書類を取り出して先輩に聞きに行く。このプロジェクトの概要については、3分で済むような説明を30分かけて丁寧に主任に教えてもらったから十分わかっている。その分、全神経を集中して先輩のしぐさや雰囲気を感じてやろう。

デスクの島をまわって先輩の脇まで来たとき、先輩は私の気配を感じたようで、PC画面上のブラウザを最小化した。しかしサッカーを長年やっていた私の動体視力は、ヤフオク!の画面が縮みながらタスクバーに吸い込まれていく瞬間をしっかりととらえていた。先輩も今日はやる気だ。サボる気満々だ。私はひそかに勝機を感じた。

先輩と声をかけると先輩は「はい」と振り向いて、いろいろとプロジェクトについて教えてくれた。ひとつひとつ説明しながら時折わたしの目を見てくれる先輩の目をみて私は嫌われてはいないんだと直感した。

席に戻って考えた。問題は何と言ってランチに誘い出すかだ。神は細部に宿り、誘いの神は言葉に宿る。

「先輩、ランチ行きましょう」

なんか「行きましょう」って既に決まってることを促すようでちょっと強引じゃないか?

「先輩、ランチ行きませんか?」

うーん、ランチって響きがなんかキザっぽいな。

「先輩、ひるめし行きませんか?」

これは正解に近いかもしれない。だが・・・・・・。

なんどもの堂々巡りをこなしていると既に時刻は12時に差し掛かっていた。

意を決して先輩の脇に行く。顔が熱くなり、ぐっと握ったコブシの中は汗っぽい。

「先輩、昼飯に行きm・・・・・・」

「ごめん、ちょっと、わたし忙しいんだ」

そう言った先輩はもはや画面を隠そうともしない。私は残り時間わずかのヘイセイJUMP ライブツアータンブラーに競り負けた。

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渡辺みっちぇる

パンドラの箱をあけたら子供のおもちゃが入っていました。編集・執筆しながら政界の末端部分で生きています。綺麗な表現/男の生き様と葛藤/政局・選挙/昭和1ケタのどんづまった雰囲気/
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