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落花

坂永みこと作

春。今年も桜は綺麗に咲くだろうか。
徐々に芽吹く準備を完了させてゆく木々を横目に、人々は今日もせわしなく歩を進める。
さわやかに山から吹き下ろす風に背中を押されて、僕は電車に飛び乗った。
今日は久々に君に会える1年に1度の大切な日。1年に1度の、大切な、日。

春。僕たちの出会いは4年前。街中が桜色に染まる春。淡いピンクの吹雪が舞う通学路。
学校なんか、好きで行ってるわけじゃない。なかなか前へ進もうとしない足を引きずってゆっくり歩く僕の隣を、君は自転車で颯爽と駆け抜けていったね。
「よろしく。」
ようやくたどり着いた教室で2度目の再会を果たした僕に、君はまるで初対面かのように言った。
「よろしく、お願いします」
まだ緊張の糸が張り詰めたままで、そう返すのが精一杯。そんな僕を気にも留めず、
クラス替えの熱気に包まれた室内で、君はひとり凛とした空気を纏っていたね。誰を拒むわけでもなく、誰に好かれようとするわけでもない。何が理由でもないけれど、席も近くて特定の友人がいるわけでもなくお互いひとり。何かあるたび、自然と2人にならざるを得なかった、というのが正解かもしれない。とにかく、僕には君がとても新鮮に映ったんだ。

それからの季節、僕らはいつでも同じ景色を共にした。
120年に1度の流星群が見られると聞けば夜通し空を見上げたし、都会の喧騒に嫌気がさしては何日も家に引きこもった。自転車を漕ぐのはいつも君。部屋を貸してくれるのもいつも君。何を言っても「いいよ。行こうよ。やろうよ。」の一言で、たくさんの新しい世界を見せてくれた。
「だって今しかできなくない?」目線も合わせずに、あっけらかんと君は言う。
「明日は明日。他にやりたいことが出てきちゃうでしょ?」
他にやりたいことなんて…。つい口をついて出そうな言葉を押し殺す。
僕は今日を考えるのが楽しいのに。君と過ごす今日だけを考えるのが楽しいのに。
正直、そんなことを思った日は幾度となくあった。
今思えば、君はただ純粋に今を楽しんで生きていただけかもしれない。あの日、あの桜の花びらを纏って僕の横を駆け抜けていった姿のまま、君はいつも僕のそばにいてくれた。でも僕には、今日もまた生き延びてしまった1日を目いっぱい生きる僕には、何事にも次々挑戦できてしまう君が、何だか生き急いでいるように見えたんだ。

そして迎えた次の春。冬の情景とは裏腹に、息を吹き返したかのような満開の桜。
季節だけが1周した木の下を、去年と何も変わらない足取りで歩く。
相も変わらずむさくるしい教室に、僕はまたひとり気後れしてしまった。
指定された席について、周りの声に静かに耳をすます。みんな、何をして過ごしていたんだろう。どこに遊びに行ったとか、どこのカフェが美味しかったとか、人への興味だけはあるくせに、よくそんなに何事にも興味がわくなぁとふと心の片隅が毒づいてくる。
それでも周りを気にせず座っていられたのは、
「よろしく」
今年もそう何食わぬ顔で投げかけてくれる君がいると思ったから。
凛とした空気にもう一度触れられると思ったから。
だけれどその日、君は僕の前に現れなかった。

それからの季節、僕の景色は無彩色になった。
いくら貴重な星が見られる機会でも決して行かなくなったし、都会の喧騒に疲れるどころか日々を生き抜くのがやっとで、疲れるなんて感情、きっと精神がリセットされたんだなと思うくらいに改めて感じることなどなかった。目に映るすべてがどうでも良くなる。もう何も、星を綺麗と思う心も、静寂を心地よいと感じる感覚も、もう何もかもあの日を境にまるで初めからなかったかのようだった。

季節はまたひとつ年を重ね、ついには僕も立ち止まっていられない時期を迎えた。君のことを聞いたのは、ちょうどその頃だっただろうか。既に一種の特技と化していた他人の会話に耳をすましていた時。
「この間…行ってきてさ」という会話が聞こえた。ざわめきにかき消されて、肝心な部分が良く聞こえない。
ペンを走らせるふりをして、全神経を集中させる。
「え、そうなの。それってあの…」
発せられた単語は、頭の中を3周してようやくインプットされた。
受け入れられない事実が、現実と信じたくない現実が、次々に襲い掛かる。喪失感とはまた違う、何とも言えない虚無感が、体中にまとわりつく感覚。
「僕は…僕は…」
声にならない声が頬をつたって、膝にこぼれて、刹那の海をつくる。
僕はひたすらその場に立ち尽くすしかなかった。

9つの駅を過ぎて、10個目の駅が君の居場所だ。ほとんど無人に近い駅舎は、物悲しさを一層助長する。君に会える胸の高鳴りと相反する感情。なんだろう、この切なさは。
ビルの景色を見下ろす斜面に佇む一角に、僕はそっと花を添えた。
淡いピンクの美しい花。さすがに桜を供えるわけにはいかないからさ。
静かにそろえた手に力を込める。今は、今だけは、二人だけの世界。そう、思いたい。
目を開けて、じっと君と目を合わせて、僕は静かに語りかける。

今年もまた、君に会いに来ることができました。
4年前のあの日から、まるで何かに追われているような、でも何かに向かってひたすら走っているような、とにかく急ぐように生きる君の姿を、僕はよく覚えているよ。

ふわっと包み込むように優しく吹いた風に体を委ね、僕は今日、久しぶりの君に会いに来た。
きちんと言葉にしなければ。足元に落ちた桜の花びらを、そっと手のひらに乗せて。
あの時頬をつたった、言えなかった言葉たち。今度は声に出して君に伝えられますように。


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