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禪院甚爾という同じ男に拗らせた俺と直哉は”親友”

私は呪術廻戦のオタクだ。つい先日まではアニメ勢だった。だが懐玉・玉折で永遠を感じられる男と出会いその沼は加速した。
そのまま流れるように原作コミックスを全て買い、既刊24巻まで読破し今ここにいる。
故にここから先はアニメ勢からしたら未知の領域、情報に呑まれるなよ。

私がこの作品一番好きな生物、それは【伏黒甚爾】だ。だがここでは【禪院甚爾】と言ったほうが適切かも知れない。その圧倒的なクズっぷりと作品の根底を覆す価値観、呪力がないのに最強クラスというイレギュラーな存在。
絶対的な強さと玉折で見せた善悪の価値観を超えたクズぶりは瞬く間に私を魅了した。

渋谷事変においては「人としてクズだが父親としてはクズではなかった」という事実が明かされ狂いの輪郭をより一層濃くしたのも大きい。
肉体が強すぎて魂が負けるという真人の魂理論を真っ向から力で粉砕するイレギュラーぶりも最高であった。
呪い呪われ死んでいくだけと言ったイタコのババアを呪い全く関係ないフィジカルギフテッドパンチで葬ったのもあまりに美しい。

だから私は語らねばならない。直哉との友情を。同じ男に拗らせ、言いたいことをまるまるそのまま言ってくれた直哉に感謝を伝えなければならない。


真希は甚爾じゃない

私は甚爾に対するくそでかい感情を拗らせていた。だからこそ、彼が出なくなってから私の心にはぽっかりと穴が空いていた。
そんな時、直哉が俺の前に現れた。禪院家の次期当主である直哉は、物事の本質を捉えず血と家にのみ囚われる有象無象の禪院家とは違っていた。

そう、直哉は甚爾の強さを理解し評価していた。彼のことを見下してやいやい言っている兄弟に対しても強さの質を見抜けていないと見下していた。私も直哉の言う事には大いに賛同した。思えばこの時から私と彼の友情は始まっていた。

私と直哉が真に親友となったのはその後だ。そう、真希が純度100%のフィジカルギフテッドに成ってからだ。
真希による禪院家崩壊RTAの最中、度々彼女には甚爾の面影が映る。これは完全に呪力がなくなり半端だった真希が本物のフィジカルギフテッドに成り、甚爾と同じステージに立ったという描写の一つだ。
それが作中ではあたかも甚爾が再来したような、あるいは彼と同等の化物が現れたと禪院家の人々には扱われた。事実その圧倒的な力はあの男を彷彿とさせる。

くどいようだが私は甚爾が本当に好きだ。だからこの真希と甚爾が同列に成ったみたいな描写と展開には熱さと同じくらい困惑を覚えていた。
違うんだよ、最初から”あれ”だった甚爾と後天的かつ真依の犠牲の元に成り立った"それ"は違うんだよと。あるいは真希真依が元々一人で生まれていたら最初からそうであったかも知れない。
でも彼女たちの良さは真依が真希を邪魔する全てを持っていき、道を切り開く武器に成ったからこそある。双子の美しい絆と2人の縛りにも似た約束の遂行。それで力を手にして覚醒したから燃えるのだ。

犠牲もなく生まれた時から化物だった甚爾とは魂のステージが違うのだと、同じくらい強くても同列扱いはしてほしくないと。限界くそでか感情オタクの心があまりにも強く出ていた。

真希は呪力も人の心も全部真依に持っていってもらった側の人間なのだ。最初から全てを持っていなかった甚爾とは違う。これは真希が好きだから彼と同列にするのは違くないという意見でもある。
だから許せなかった。禪院家のやつらは力だけ見て2人を同列扱いしていたから。

だが、直哉だけは違った。彼は最初、一目見た時から甚爾の強さを評価して買っていた。だから、私は彼に救われた。

オマエは!!
甚爾君やない‼

呪術廻戦17(ジャンプコミックス) /芥見下々

これである。この瞬間、私は直哉と親友になった。そう、真希は甚爾ではない。禪院家の他のバカどもはその違いを判別できなかったが直哉だけは違う。彼の持って生まれた圧倒的な力を理解していた。
そして生物として絶対的に評価していた。だからフィジカルギフテッドの質には触れず、甚爾と同じであるかどうかに言及している。
これなのだ。本当に私が言いたかったこと、否。言ってほしかったことを一言一句違わずに直哉は言葉にしてくれた。ありがとう、愛している。

人の心を持っていたが真依に持っていってもらった真希、何も持たずに生まれママ黒と出会い人の心を得た甚爾。2人は同じフィジカルギフテッドだが対象的な存在だ。なので好きに嘘をついて偽りの納得は得たくなかった。

だからこそ、直哉のこの言葉にこそ私は救われたのだ。

シンプルに一人のクズとして大好き

更に深刻な問題が一つある。それは私が禪院直哉という生物そのものに対して、シンプルに一人のクズとして大好きであるということだ。
私は善悪に囚われないクズが大好きだ。自分の利益の為にやったことが結果的に悪であり、人道を外れていれば何よりも良い。
悪を成そうと悪を行うキャラが好きなのではない、言動全てが自然に邪悪な生物が大好きなのだ。

そんな私が直哉のことを甚爾の理解者という側面以外で好きになるのに時間は要さなかった。というより甚爾への想い云々の話は元々好きであった直哉からの追い打ちとなったと言うべきである。
特にやはり真希がまだ完成する前の部屋での会話はとても強く私の心を掴んで離さなかった。コミックスで言うと同じく17巻の110ページだ。

ただただ人として真希を見下している。いや人として見ていない。質問に答えなかったらノーモーションでカス呼ばわりするところは初見で本当に笑った。
真希の取り柄は顔だけだとも言っている。まだ半端なフィジカルギフテッドだった真希のその高専では抜けてる程度の身体能力は歯牙にもかけていない。
当たり前のように昔イジメてたことも本人の口から出るし腕を組みながら倒れている真希を踏んでいる直哉の絵はあまりにも名画と呼ぶに相応しい美しさだけがある。好きすぎて部屋に飾りたいほどだ。

何よりも、何よりも私の愛する部分。それは第151話「葦を啣む-肆-」の冒頭である。

俺は天才なんやって
皆言っとる
父ちゃんの次の当主は俺やって
禪院家には落ちこぼれがいるんやって
男のくせに呪力が1ミリもないんやって
どんなショボくれた人なんやろ
どんな惨めな顔しとんのやろ

呪術廻戦17(ジャンプコミックス) /芥見下々

これだ。これがもうあまりにも最高と言う他ない。こんなにも子供の頃から他人を見下しそれに愉悦を見出している。
この持って生まれた邪悪ぶりにこそ私の魂は悦びを感じる。

禪院家というゴミ溜めで価値観を育まれたこともある、才能があったからちやほやされていたからということもある。そこまでは誰しも納得できる論理的な理由がある。
だがそんな落ちこぼれを見て【どんなショボくれた人】【どんな惨めな顔】してるのかうっきうきで見に行くのは元来持って生まれた性格の悪さと言う他ない。
天才と呼ばれた直哉にとって自分より劣る人間など腐るほど見れるだろう、だというのにわざわざどんなやつなのかと見に行くのは本当に悪趣味だ。

だから私は直哉のことが大好きなのだ。

これほどまでに清々しい持って生まれたクズ、なかなか接種することができない。
それでいて直哉は見下すだけではない。しっかりと本物の高すぎる向上心を持っていた。見下し嘲るだけではない、自分もまた五条悟と甚爾と同じ”あっち側”に行くことを目的としていた。
目指している、ということは逆説的に自分はそこへ至っていないと認めていることだ。直哉は自分に対してもストイックに客観的に実力を認めているわけだ。自分はあの2人には劣ると。その上で目指しているのだ。

だから許せなかった、認められなかった。真希があっち側へ足を突っ込んだことを。人としてはクズだが術師としては客観的にその強さを認められる直哉が真希のことだけは認められなかった。
そこには甚爾へのでかすぎる感情があった。だがそれ以上にやはり本当に壁があったのだと考察する。傍から見たら同じだが直哉から見たら絶対的に違うと確信させる強さの質が違ったのだと。
だからこそ他の禪院家のアホどもと直哉はやはり強さの質が違うという彼の強さの強調にもなっているわけだ。

本当にこの強キャラぶりと強さへのストイックさと人としてのクズっぷり、異なる3つの魂が共存している様には美しさしか感じない。

呪い呪われ

かくも私と直哉の友情は深く慈しまれるべきものである。その後の直哉再登場に関しても本当に笑わせてもらった。

呪術廻戦は全体的にとても多種多様に悪趣味だ。だから多くの拗れ性癖を呼び寄せる作品である。

私は本作において甚爾と直哉と夏油(玉折)が特に好きだ。本当にこの作品は人の心を摘む生物の出し方が美しいということを声を大にして伝える。
私が邪悪な人間が大好きだという点もそこと非常に強く噛み合っている。正直もうあまり好きなキャラの出番としては期待できない。だがそれでも呪術廻戦という作品そのものが面白すぎて楽しく読めるし楽しみもある。

なによりも、もう永遠はもらった。私と甚爾の永遠が直哉を結びつけてくれた。この出会いと縁こそ抱きしめて直哉編アニメ化を待つのみ。
ぜひサンダルラーメンくらいインパクトのあるクズっぷりを直哉にもアニオリで盛られて欲しいものである。
そのときにはまたここで会おう。というわけで

はいお疲れ。解散解散

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