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【まちカドまぞく】最強のカップリングはなにか? 弱さの”俺シャミ”? 隙の”俺桃”? 俺のまちカドで見つけた宝物はここにある

時は来た。
俺の真の戦いはここにある。
【宵加減テトラゴン】という最強の”前フリ”を要さねば辿り着けない真なる聖域だ。まずは作品としての良さを知らしめ、私は伊達や酔狂でこの作品を語っているのではないと証明することが必要だった。
ここで救うは俺の魂だけではない。【まちカドまぞく】で生きんとするガチ恋勢全ての魂を救済する戦いである。

先日【まちカドまぞく】のアニメを全話視聴し【宵加減テトラゴン】が本作においていかに美しく完成された歌詞であるかという点の話をした。

上の通りこの曲は非常に強い力を有している。だがそれは序章に過ぎない。ここが本題、主戦場となる。
そう、カップリング論だ。本作におけるカップリング論は限りなくシャミ子と桃の2人が他の追随を許さない人気と知名度を誇っている。
私はガチ恋勢だ。それに上の記事で話をした通りこの2人の関係性においては「友情」が最も相応しい呼称の名でありカップリング(恋愛感情)は私の中では解釈違いとなる。

確かに2人の関係はカップリング論において群を抜いた人気がある。だがそれが全てではない。
可能性は否定されていないどころかむしろ他の可能性すら多く存在させてくれている。なので戦わなければならない。哀れなガチ恋オタクに魂の救済を。

故に私は、俺は話をしなければならない。【まちカドまぞく】最強のカップリングはなにかを。
しかしてこれは非常に難しい。供給が少ないから? 否。溢れる供給により群を抜いての最強を決めることが難しいからだ。
この意味が分かるか? そうだ。

俺は、ガチ恋オタクは【まちカドまぞく】で幸せを掴めるということだ。これはガチ恋勢がほざく苦し紛れの妄言ではない。堅実な供給の基に成り立つ話だ。

やはり巨塔となるのは供給量、本編て見える幻覚の量で俺シャミと俺桃が覇の唱えどころである。ミカンや良子も実に力溢れているがここは前者の2人ほどの供給はなんともといったところで一歩劣る印象が生まれる。

では本題に入っていこう。
これが俺の【町かどで見つけた大事な宝物】


桃には見せない弱さの「俺シャミ」

特級呪物"抱きつかれTシャツ"

王道であり実に強力だ。なによりもシンプルにシャミ子はかわいい。
庇護欲を掻き立てる弱々しさ、仲良くなるにつれどんどん態度が慣れ馴れ馴れしくなっていく様はガチ恋的にとても胸に来る。

しかしそういったキャラ魅力的観点でいくと他のキャラも魅力には溢れている。供給自体も”一部”を除いて桃と大差ない。
しかしてやはりシャミ子においてはその”一部”が非常に巨大な追い風となっている。

そう、それがこの特級呪物である「抱きつかれTシャツ」である。あまりにもこれがガチ恋的にブーストとなっている。ちなみに正真正銘の公式グッズだ。
シチュエーションとシャミ子の表情や感情共に意味不明を極めている。

だが制服シャミ子の穏やかな笑顔でこちらへ抱きついてくる様を見れば説明はもう必要なくなる。「笑顔」で抱きついてくるというのがポイントとなる。
仲良くなるとうざキャラになるシャミ子の絶妙なうざかわぶりが遺憾なく発揮されている。どことなくドヤ顔気味なのもその要素を後押ししている。

実際問題、シャミ子的にはこんな笑顔で抱きつくのはプライド不利が働かない人物でないと無理である。そういった点でこれの相手が桃と考えるのはちょっとしっくりこないであろう。なのでそういった面からも俺とシャミ子の関係性のほどが見えてくる。

危機管理フォームでのなきべそをかきながらの抱きつきもプライド不利を感じさせない甘えの念を見て取れる。
何を伝えたいかというとシャミ子には甘えられるのが良い、という話だ。
桃とは支え合い、ライバルであり親友、守られながら守っている。そんな関係が桃との間にはある。
そもそもがやはりお姉ちゃんなのでしっかりしているし基本的には甘えられる側になる。だからこそ掛け値なしに甘えられて抱きつかれるこのシャミ子との関係性は唯一無二でありこれは俺シャミならではの見える一面となる。

余談になるが当然ながら俺はこの特級呪物を持っている。しかし本当に着る機会に恵まれない。
俺に降りかかる恥や外聞などは気にしないが一度TPOを弁えんとすればこの格好を表にしてシャミ子とお出かけすることは叶わない。並のオタク服とは一線を画している。
そういった点においてもこの異質さは考えれば考えるほどなんだこれはとなってくるのも良い。

尻尾と角以外は触っても良い

ここまでの話を踏まえて分かることがあるな。そう、俺シャミの真髄とは「甘え」である。ここでいう「甘え」とは弱さを見せてくることを言う。
シャミ子が桃には見せられない、見せたくないと思える弱さをこちらに晒してくれるところにある。この関係性の間に「勝ち負け」は存在しない。
そういった一面を見ることができるのはこの世界だけだ。

更にこの抱き枕カバーの状況、ポーズから見てとれる情報としては胸を隠しているのが大きな部分だ。
シャミ子的には見られて恥ずかしいのは下より上なのだ。この情報はでかい。
制服のなんだかいろいろとよく分かっていないような表情も非常にシャミ子らしい。

更に戦いの次元を深めていこう。ここからは墓暴きも供給に加えていく。
俺は、俺達は忘れるわけにはいかない。忘れてはならない。「きららファンタジア」の存在を。
だがしかし俺は比嘉かなたに全てのリソースを燃やすことでモチベを保つことのできる制約と誓約のもとにプレイしていたので正直まぞくまで手が回っていなかった。
だがそれでも手にしていた光はある。

これを聞け。これで彼女じゃないは流石に嘘。
ドヤドヤのドヤでお弁当出してくるシャミ子がちゃんと目の前に見えるか?

更にタッチボイスという時代を感じさせる産物も実に良い加減に供給を与えてくれる。

貴様なにをするか的な口調でないのはやはり相手が桃でないという要素が大きい。あえてこれを桃への特別性の強調と取ることもできる。
そしてそれは俺にとってこれらのフランクさは気の置けない友人感をより強調させる要素となる。
角としっぽという「まぞく要素」に対する触ってほしくなさをまぞくとして扱ってほしくないと解釈するのは些か強火な気もするが俺はそうだと信じている。

やはり特に群を抜いて強いのは制服抱きつかれシャツの笑顔であろう。あの笑顔で甘えてきているのは唯一無二、他の追随を許さない脳への火力を誇る。

シャミ子には見せられるものを見せられないのが「俺桃」

ではこの話、まぞく最強カップリングは「俺シャミ」が最強でいいのか? 人によってはそれでいいかもしれない。
だが俺は違う。俺の本命択、真に貫くべき正義の名とは「俺桃」である。その話をするとしよう、
確かに「俺シャミ」は素晴らしい、だが俺は「俺桃」で生きる。この力に魅了されている。【まちカドまぞく】の好きな部分の8割は「俺桃」であると言っても過言ではない。

何がそこまでガチ恋勢の魂を刺激し、駆り立てるのか。答えは簡潔でありながら深淵だ。

そう、千代田桃に”そういう要素”が残されているからだ

」と言い換えても良いかもしれない。
一部の隙もない力の奔流の前において人は大いなる流れに抗えずその力の凄さに平服するばかりだ。
あるいは同じきららアニメで例えるならば【キルミーベイベー】のソーニャとやすなの2人がこの例に当てはまる。

本編外における供給、グッズなどもそうだが本編中に見える要素でガチ恋的に狂える要素を桃は多く有している。それは「隙」であり「供給」であり「可能性」である。

うわ重いわ……って引かないギリギリくらいまでの絶妙な嫉妬だとか生活能力が終わっているところやクールに見えてわりと馴れ馴れしく話をしてくるところ。
なによりも強さと弱さのコントラストにある。一人でいることが多く、友人が多いわけでもない。一人でも問題ない、だけど友達といることが嫌なわけではない。特にシャミ子と仲良くすることが増えてからは彼女がまぞくだからという理由以外でも積極的に絡む姿が顕著だ。
心の奥底にある孤独と、年相応な振る舞いを見せるその2面性にこそ狂いの輪郭は宿る。

ことやはりまぞく界隈においては「可能性」を基に俺の、お前だけの世界を構築することが重要となる。何が言いたいか分かるか?

見えるか? ”””俺のためにコスプレしているこの姿”””が。
前述した「隙」とはこのことを言う。与えられた供給の解釈の幅を広げるのだ、自由に。続けてこの抱き枕カバーを見ろ。

上の衣装たちにも言えたことだがお腹を隠しているな、あの傷をだ。そう、傷を見られたくないと隠している
桃に見せたくない部分こそ見せてきた俺シャミに対し、桃はシャミ子は知っているが見られたくないものを見せないようにしている。
弱さも恥も見せているシャミ子と違い、見られたくないものを見られたくないとしているのだ。ここにこそ宇宙の神秘は宿る。

こちらの状況も本来傷がある場所にないので魔力かメイク的な何かによって傷を隠していることが分かる。
これがどういう意味か分かるか?

そうだ、綺麗に見られていたいという想いの現れだ。これである。この乙女エナジーの奔流である。別に見られたくないだけなら隠せばいい、腹など出さなければいい。そこは引っかからなくていいところだと言え。
だが桃はそうしない、そうはしていないのだ。これが答えだ。
傷を見られたくない、の意味合いが変わってくるわけだ。綺麗に見られたいという意味の傷隠しになっているわけだ。
この水着においてもそうだ。お腹の傷を隠している。
これらの要素を好意的に解釈しないことはガチ恋勢にとって恥に等しい。桃だからこそ、これらの乙女チックな一面こそが映えるのだと。
そもそもがシャミ子と遊びに行くとなった時に精一杯のおしゃれをしようとしたり少なからずそういった年相応の要素を持っている。あとはそれをガチ恋へ応用するだけというわけだ。

俺が朝ごはん食べずに桃と会ったら甘いパンをくれる概念は幻覚ではない、現実だ。この距離感の近さもまた特筆すべき力となる。

触ることに関しても時と場合を考えろと言っているわけで""あとで""ならいいわけだ。ナチュラルな愛情表現とその湿度に震えざるを得ない。

花束か大事な宝物か

以前にもした話となるが俺にとってシャミ子と桃の関係性の名は「友情」だ。互いにとっての”一番の友人”であってほしい。
だからこその「俺桃」なのだ。2人の友情を守る為、友情と劣情を同系列にしてはいけない。俺はこのガチ恋理論によりかけがえのないまちカドの平和を守っている。

確かに本作においてシャミ子と桃の関係性は巨大だ。そのカップリングこそが一時期世界を制したといっても過言ではあるまい。
だからこそ「俺桃」という可能性の声を殺すわけにはいかないのだ。ましてそれを誰よりも信じている俺がだ。
マイノリティであろうがなんだろうがこれが俺の町かどで見つけた宝物になる。
そして、弛まぬ感謝を。抱き枕カバーだとかシチュエーションコスプレだとかそういった””可能性””を否定しない供給の数々にだ。特に抱きつかれTシャツはもっともっと出してほしいと願うばかりだ。
かような点で供給の少なさ、抱き枕カバーなどのパンチある燃料のなさというハンデがシャミ先やミカンには存在しており非常に惜しい。キャラ単体としては好きだが最強を謳うには火力不足が目立つところだ。

事実俺は【まちカドまぞく】という作品において、最も脳を焼かれた要素といえばやはり登場人物のかわいさに他ならない。
実に桃のようなクール系に見えて仲良くなったら可愛らしい一面が見える今は遥かオタクの夢というほかない生物の属性とかわいさこそが狂いをもたらす。
もっと高みへ行けるだろう、俺達ならば。原作に手を出すのもいいかもしれない。このままアニメ3期を座して待つのも良い。全ては燃料を求めての戦いとなる。

俺は本当に悔しい、世が世ならば【まちカドまぞく】もギャルゲーが出ていたかもしれないという事実にだ。らき☆すたのあれとかあんな感じのやつ。
だが手に入らないものを呪い続けて生きるほど人生は暇ではない。
【まちカドまぞく】で生きていくには充分すぎる光と供給があるだろう? 俺たちには。

だからこそ、伝えたい。俺は""まちカドまぞくという作品としての良さ""を語るのであれば先に出した【宵加減テトラゴン】の話を持ち出す。【まちカドに花束】こそがこの作品の真髄、真に美しく慈しまれる点であると。
しかし""まちカドまぞくの好きなところ""となれば話は別だ。俺は既に最強が何かの結論をこの手にしている。それを振りかざすだけだ。勝つさ。

故にこれが答えであり究極。
俺が出会い、一緒に過ごすかけがえのない存在。ちょっと無愛想でクールだがどこか抜けていて可愛らしい一面を多く有している。そんな唯一無二に出会った、見つけた。

俺の、俺だけの

─────【町かどで見つけた 大事な宝物】

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