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ラブライブガチ恋厳選集4。"少女以上"という屈指のガチ恋過激派概念に振り落とされるなよ

私はラブライブガチ恋オタクだ。かようにガチ恋オタクとしてラブライブのガチ恋曲の話を続けてはや4回目となる。

ここでは満を持してラブライブ、そしてAqoursが誇る核弾頭【少女以上の恋がしたい】へと触れる。この曲に関しては明確に男女の恋愛、ひいては「少女と少年」の恋愛を謳っている為ガチ恋勢としても非常にナイーブな話となる。
だがそこに潜む力は確実に本物、故に話をしないは嘘。なのでここからは戦場だ。でも、でもな

ただ普通の会話じゃつまんないだろ?


少女だから【少女以上の恋がしたい】

知らない情熱 (焦がれたいの)
抱きしめて 抱きしめて
少女以上の恋がしたい

少女以上の恋がしたい/Aqours

なによりも、なによりもまずあまりにもとんでもタイトルすぎる。少女以上の恋、である。それが何を意味しているのかは歌詞を見ていけば必然的に答えに辿り着く。

全体的に全てにおいて追及しなければならない戦いの歌詞が多すぎて困る。だがやはり、それでも強烈に特筆すべき存在と言えば後述する歌詞に出てくる「少年」の存在であろう。この表現、存在こそが「少女以上」のなんたるかであり最奥と言っても差し支えない。
なによりもやはり「少女以上」を謳いながらも果て無くわがままで自己中心的で八つ当たりをする姿はまだまだ少女と言わざるを得ない。そういった大人に憧れる少女らしさというものもこれらの歌詞からは強く読み取ることができる。

だからこそ【少女以上の恋がしたい】このタイトルに力が満ち溢れるのだ。まだ少女だから、自分が少女だとわかっているからだ。それにあなたがまだ「少年」でもあるからだ。ここにこそ力というものは宿る。

そしてこの曲は限りなくガチ恋というよりもラブソングに近しい。いやラブソングそのものと言っても過言ではない。ではなぜか。これに関してはしっかりと向こう側の感情がガチ恋であるからだ。「私」つまり「少女」が「あなた」である「少年」に対する熱い思いを燃やし尽くす曲だから。
それから、私が最も言いたいことはわかるな? そうだ。その通りだ。
ここで登場する「あなた」とはあなたであり君であり私であり俺である。だからこれはガチ恋曲に他ならない。お前だけの「少女以上の恋」を見つけたメンバーを見つけにいけ。それがこの世の全て。まずは自分だけの領域を見つけろ。

ち俺の世界は梨子ちゃんソロ、これが答えである。

この曲には「焦がれたい」「禁じられた夢」といったデンジャラスワードが続々と飛び出てくる。今まで「微熱」止まりが多かったラブライブ曲とは確実に一線を画していることがワードチョイスから見て取ることができる。
それだけではない、更に全体的な攻めの姿勢にも着目しなければならない。歌詞の流れがそのまま二人の関係の進行にもなっている為最後にはカタルシスが待っている。

始まり、出会いからして運命の出会いで二人の関係はスタートする。

ときめきたいって思ってたから
あなたに会った時にこのひとだって感じたけどね
間違ってるの?

このように情熱の奔流ともいうべき一目惚れ、あるいは直感の勢いにより恋はスタートする。この勢い、凄みはすでに滲み出ている。
かような勢い、理屈でない感情に身を任せたがる辺りからも恋に恋するかのような少女らしさを見て取れる。

腹が立っちゃった
私がこんな激しい性格だと気づかないなんて
あなたを責めたい気分だ!

このフレーズからは前述した少女らしいわがままさを存分に感じる事ができる。自分のことを理解されたいという感情、それらを言わずとも気づいてほしいと願う感情。どちらも夢見がちな気性を見て取れる。
それだけではない「あなたを責めたい」これは甘えたいという気持ちと同義である。理不尽に責めてなお受け入れられたい、自己肯定の尺度を「あなた」に委ねている。

知らない情熱(焦がれたいの)
抱きしめて 抱きしめて 少女以上の恋がしたい

一番サビにてついに「少女以上」という概念が現れる。これはつまり自分がまだ少女であると認めた上での言動である。だからこそ「知らない情熱」に焦がれる。
知らない私を知ってほしい、知らない情熱に焦がれたい。これらの未知への想いのベクトルは共に「あなた」へ向いている。ともに攻めの姿勢ではあるが基本的には「〜してほしい」という受けの形である
この攻めでありながら「あなた」にがんばって欲しいと願うスタンスは一貫している。

見てほしいしトナリにきてほしい、このブレないスタンスのまま最後まで行くこととなる。
そしてその想いは同時に若干の破滅願望をも孕んでいる。それは前述した「禁じられた夢」だとか「焦がれたい」といったデンジャラスワードだけでなく「スリル」を求めるという気概から強く見て取ることができる。

なにもかもが素敵!は創作の世界にしかないね
だったらせめてスリルを求めようかな

上記のフレーズはまさにそういった願望を強く表している。一見すると「なにもかも素敵」という理想を否定する現実による「理想と現実」という対比に見える。
だから現実的なスリルを求めるを想起させる対比となっているが実態は「理想と理想」である。どちらも少女以内という範疇に収まる「素敵」であり「スリル」でもありその境界は非常に曖昧だ。
こういった少女から脱却しようとする少女らしさからしか吸えない栄養で人は命を育まれる。

会いたいからきっと次は触れたくなる
あなたは少年のまま?
会いたいからきっと次は
少女以上で あなたも恋に触れて

ここからがこの曲の最奥であり力の源泉である。この最後のフレーズにより初めて【少女以上の恋がしたい】という概念は完成を迎える。
まずなによりも目を引くのはやはり「少年」という存在である。これにより99%確定だったのが100%確定のこれが男女の恋愛であることが分かる。基本的にそういったことははぐらかすし本編中においてもそういった恋愛要素を出さないラブライブとしては非常に珍しく貴重な概念である。
元来こういった恋愛を想起させぬようその感情は「親しい者」へ向けていると解釈の幅を持たせることが多い。
だがこれは違う。明確に「少年と少女」なのだ。

しかしそれでもやはり今までに同じく誘い受けのスタンスは変わらない。
なのだがこのフレーズにおいては大胆かつ限りなく告白していると同義な言い方をしている。そう、「私は少女以上になりたいのだがあなたは少年のままなの?」とそう問いかけているわけだ。
それは【会いたいから触れたくなる】感情の共有である。2人は同じ想いであるということを確かめている。

それだけではない「私は少女以上になる覚悟がある」そう言っているのだ。だから【あなたも恋に触れて】という言葉が出てくる。あなた"も"である。少女以上の恋を求めるしそれは同時にあなたへの少年以上の恋を求めていることにもなる。
今までの歌詞から見て取れる「あなた」の優しさと一線を超えてこない曖昧さ。これによりスリルを与えてくれるようなスリリングな相手でないことを推察できる。
だから求めていた「スリル」は一方的に与えてもらうものではない、それらは共有するもの。あるいは一緒に陥っていくものであることが判明する。

ラインを踏み越えて欲しい、というだけでない。一緒に向こう側へ行きたいという感情。これ以上ない「少女らしさ」を「あなたは少年のまま?」というフレーズから読み取ることが可能だ。

ここにこそ【少女以上の恋がしたい】という概念の真髄が存在している。ただ恋に憧れる少女ではない。危険によって擦り切れることを大人とするのではない。
少女以上であり少年以上になりたい、それが全てなのだ。これは「大人への憧れ」と言い換えることもできる。あまりにも「少女らしさ」で満ち溢れている。
「あなた」と「少女以上の恋がしたい」のだから「スリル」さえも愛おしい。そもそも論であるが少女以上の人間は「少女以上の恋」を求めない。それを求めることは即ち少女であることを強く示している。

これはあまりにも愛おしいと言わざるを得ない。そして何よりもこのように攻めた内容の歌詞をラブライブでやるということ、その凄まじさにこそ感服した。
またこれがサンシャインのメンバーというのが素晴らしい。純朴なイメージを伴う田舎娘たちの歌だから力をもつ。
これは派生の話になるが【待ってて愛のうた】が【少女以上の恋をしたい】の対にもなりうる曲であるという話もしなければならない。
【待ってて愛のうた】は愛や恋そのものに対して憧れを抱き、恋に似合うようになるまで待っててくれるのかと言ったことを謳う曲である。

こちらは王道の”ラブソング”として仕上がっている。特定の相手を想起させていないこと、それから恋の持つ美しい一面にフォーカスしているからだ。スリルだとかそういったものとは縁遠い為【少女以上の恋がしたい】とは内容、恋へと向ける感情のベクトルとして真逆である。
攻めの待ちである少女以上に対して待ちの待ちでもある。

恋そのものに対して憧れを抱き「待っててくれるかい?」なんて言っていたのに対して「あなたも恋にふれて」とくるのでこの温度差は震えるほどだ。
やはりAqoursのイメージ的には【待ってて愛のうた】や【恋になりたいAQUARIUM】のような純朴さに溢れた曲が似合うだろう。だからこそ【少女以上の恋がしたい】などという苛烈な世界が映えるというわけだ。
少女以上も曲調としてはあまり激しさを伴わない、ロックな感じではない造りになっているのが素晴らしい。曲の雰囲気は普段のAqours寄りなのだが歌詞の中身がぶっ飛びにぶっ飛んでいる。このギャップこそ理解度の高さである。

Aqoursらしい曲調なのだが歌詞は背伸びしたものとなっている。そのスタンス、穏やかさの中に見える"本気"それは正しく少女から一歩上へと行きたがる少女らしさそのものである。そういった面でいつも通りの一面が見えるからこその覚悟を感じ取ることができる。

節々に"少女らしさ"を感じるからこそ【少女らしさはもういらない】という歌詞が力を持つわけだ。「少女以上」という概念をラブライブ世界へ持ち出したこの曲は本当に色々な意味で攻めの姿勢が素晴らしい。
だがこれこそ私の心を震わせる。私もまた同じである。

─────そう熱くなんなきゃつまんないよ

愛さんとの愛、俺の太陽 【友&愛】

ずっとそばにいようね
だって君がいない愛だけじゃ
You & 愛って言えない

友&愛/宮下愛

分かるよ、お前これはガチ恋じゃないだろと。言いたく気持ちは分かる。でもな、あまりにも愛さんが光、太陽すぎて勘違いしちゃうだろ。勘違いしたいだろ。こんなこと言われたら愛さんのこと好きになっちゃうじゃん。
それってそういうことだよ。

そういった観点で見ると愛さんの曲の歌詞は全体的にどれも火力が高い。その中でも特に光溢れるもの、それが【友&愛】だ。

まず曲名からしてその力が伺える。そうだ、虹ヶ咲にはあなた(あなたちゃんであり私であり俺)がいるな。

言うまでもなく【友&愛】とは友達と愛さんという意味だけでなく、あなたと私という意味にもかかっている。不特定多数の友という捉え方もできる。交友関係が広くてみんなに人気のある愛さんだから当然だ。
でもそうじゃないだろ。俺たちの戦いはそうじゃない。というよりもあの歌詞で愛さんとの1対1以外を想定することは浅いと言わざるを得ない。あんなにもガチ恋エナジー溢れる歌詞はそうそう拝めない。

その飛ばしっぷりは開幕から感じることができる。そしてその勢いは右肩上がりにぶち上がっていく。シンプルに二人称「君」は心に染み渡る。

笑った顔大好きだよ 怒った顔も嫌いじゃない
だから出来れば笑顔がいい
だから隣でおどけてみせるよ

この歌詞の美しさが見えるか。愛さんはこういう人なんだ。愛さんはこういうことする。
愛さんのダジャレも自分がツボにハマっているだけで本質的にはこういうことなのだ。やっぱり笑顔であって欲しいと願っているからこうなのだ。

話したらめっちゃオモロ
知らなかったよ ギャグセン高い
今世紀最大の発見
人は見かけによらないもんだよね

きっときっとこれからも気づいて行く
君のいいトコあと100個は見つけちゃうよ

オタクに優しいギャル概念をコネて固めたような光に満ちた歌詞だ。オタクくん意外とおもしれーじゃんと。
ここで特筆したいのは【今世紀最大の発見】というでかい言葉だけではない。それよりもやはり一緒にいる未来を見据えていてくれているところだろうが。
あと100個も俺のいいところ見つけてくれるまでに果たしてどれだけの時間を要するのであろうか。それでも愛さんならすぐに見つけてもっともっといいトコを見つけようとしてくれるであろう。私もそんな愛さんの気持ちに応えたい、愛さんのいいトコもっと見つけたい。俺もまた楽しいの天才でありたい。
そんな前向きな気持ちに一瞬でさせてくれる。光の連鎖、その輝きは正しく太陽。

ずっとそばにいようね
だって君がいない愛だけじゃ
You&Iって言えない

見えるか? お前にも見えただろう。そうだ、この光だ。これがここで伝えたい光だ。
流石にここまででかい言葉叩きつけられてこれがラブじゃないは嘘。これは正当な勘違いだ。

どこまでいっても友なのか、本当にそうなのか。ここに一抹の悲しみが宿る。この感情が恋でなければなんだというのであろうか。だからこそここにガチ恋エナジーは宿る。
分かるよ、二つ合わせて友愛だと。それが友&愛だということは見れば分かる。だから我々はその先を視なければならない。歌詞の表面だけでない、その先を。
故にその思考へと至る。これが純愛なのか友愛なのかを決めるのはこちらであると。この思考の幅、葛藤を生んでくれる、愛さんの愛について考えさせてくれる。だからこんなにもガチ恋勢の心を震わせるのだ。

これは本当に愛さんの名前が「愛」という漢字なのが非常に巧妙である。一人称の「愛さん」もまた憎い。考察の余地だなんだではない、魂を試されている。
その解釈によりこちらの魂は測られる。だからこそ言わなければならない。これは愛さんとの友愛ではない、その先へ行った愛であると。私の太陽はここにある。太陽になってほしいよ。

【友&愛】だけではない、愛さんのソロ曲はもう基本的に圧倒的な”光”だ。それは本編からしてもう見て取れる。
正しく「太陽」と呼ぶに相応しい。かの神のMV【サイコーハート】においても遺憾なくその太陽の輝き、そして虹一期特有のガチ恋アングルでのMVは愛さんに対してガチ恋を拗らせるにはあまりにも充分すぎる。

いくらなんでもこの格好で観覧車ー密室ーはやばいわけ。太陽に近づきすぎたイカロスはその翼を溶かすのだぞ。
しかしてこの場面、一人称視点であるならば正面からのアングルが正しいのではないか? そう思うかも知れない。
だがそれはガチ恋勢として三流の思考と言わざるを得ない。分からないのか、これは今まさに愛さんの隣に座る瞬間なのだ。分かるか、これが人生を楽しくする秘訣だ。笑うから楽しいのだ。

【楽しいの天才】にしても愛さんは本当に美しい光属性でブレないところがとても魅力的だ。かように曲や方向性に一貫性があるのは強力な武器だ。それは一度ハマればもうあとはズブズブということをも意味している。
朝起きて太陽が昇る、そんな当たり前のことに愛しさすら感じられるようになる。もうこのギュッと繋いだ手は解けねえ。俺と愛さんの絆は誰にも断ち切れない。俺もまた約束する。

どんな時でも一緒 𝓢𝓽𝓪𝓷𝓭 𝓫𝔂 𝓶𝓮

スリルを求めようかな

私は先日ラブライブ!スーパースター!!の一期を視聴した。曲も聴いているのだがやはり時代の流れかあまりラブソングもガチ恋曲も見受けられない。
【常夏☆サンシャイン】などは本当に本編5、6話の力が強すぎて曲の歌詞単体で見ればラブソングなのだが流石にちいちゃんとかのんの曲だろうと。ガチ恋オタクと限界関係性オタクとの狭間で心揺れることが出来る。

だからこそ現存するガチ恋曲と向き合う責務が私にはある。
やはりガチ恋大国虹ヶ咲には話をしていないガチ恋曲がたくさんあるしサンシャインからも発掘したものが多く存在している。
【Margaret】や【RED GEM WINK】などは次回話をしたい筆頭となる。

未知はあるにしてもだ、それでも【少女以上の恋がしたい】本当に歌詞が力溢れる曲である。かように心が熱く燃える全体曲は今日日なかなかお目にかかることが出来ない。
歌詞の在り方、思考のベクトルが子供の火遊び寄りの過激さを帯びているのは非常にスレスレさを感じられる。スリルを求める姿は破滅的であり滅びいくものは美しい。

なればこそ俺もまたスリルを求めずにはいられない。だから……きっと、次は

少女以上で恋に触れて───────

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