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バンドリ最強のカップリングはなにか? そう、答えは""俺日菜""

「るんっ♪」それは俺と日菜ちゃんがただ一つ共有した真の感情の名前。
いやすまない、嘘をついた。俺にるんの全てを理解することは出来なかった。だから共有も出来ない。

だが、だからこそ俺は日菜ちゃんのことを好きでいられる。
俺は彼女のるんっを理解することが出来ない。だから面白い、だから美しい。分からないことが楽しい、その事実だけが俺と日菜ちゃんを繋ぐ魂の楔。


早速であるがバンドリで最強のカップリングとは何か? 私はその答えの一つに辿り着くことができた。
そう、答えは「俺日菜」だ。ここで言う「俺」とは新人スタッフのことであり私でありあなたであり僕であり俺である。要するに自己投影における形容詞の名前である。
なので言うまでもなく私はガチ恋勢である。今は遥かかつて持っていたが失われてしまったバンドリに眠るガチ恋の残滓をすすり生きているといっても過言ではない。

しかしSwitch版バンドリオタク部所属が故に私はシーズン1までしかバンドリのリアルを知らない。だがSwitch勢の特権としてシーズン1に実装されているカードを全て手にしている。
それは実装分全ての右エピを見ることができるということだ。この意味が分かるか。言うまでもないな、ガチ恋勢魂の救済がここにあるという話だ。

だからここが俺の戦場だ。ガチ恋というバトルフィールドにおいてならば負ける道理がない。何が言いたいかというとこの一人称視点での会話は非常に脳にガチ恋エナジーが染み渡り素晴らしいという話だ。
世間と乖離した、時代のマイノリティであろうが良いものは良いとして貫くことにこそ意味がある。俺もまた、日菜ちゃんのように誰に理解されずとも自分だけの心がるんっ♪となるものにこそ魂を燃やして生きたい。
そう、俺の心が燃えるのは氷川日菜ガチ恋概念だけだ。これだけが心にるんっ♪を宿す。

先日【惑星ループ】のパスパレカバーがあまりにも日菜ちゃんガチ恋オタク魂の救済すぎるという話をした。

それにより完全にSwitch版にシーズン2がこないことで燻っていた心が燃え上がった。そして久方ぶりにSwitch版バンドリを起動しその神秘に触れたというわけだ。

始めよう。ここからは俺と日菜ちゃんのめくるめくWonderfulなWorld。


甘え上手な一面

しかしまあ本当にもう日菜ちゃんはかわいい。特にこのカップリングの肝である新人スタッフ(あなたであり私であり俺であり君)との距離感はスペシャルにかわいく愛おしい。
なによりも「話を聞いてくれる」という点に感謝して甘えてきているのが最高にプレシャスで愛らしい。私は日菜ちゃんの話聞きマシーンとしてその生涯を終えることも実にやぶさかではない。
日菜ちゃんの「妹属性」による甘え上手がこれでもかと存分に発揮される様は見ていて非常に濃い栄養素を据えるからだ。

私の主観だが基本的に人生において立ち回りの上手い人物、要領良くそつなく生きている人間とは往々にして「甘え上手」であると感じる。日菜ちゃんこそまさしくその究極であると私は信じている。

私の定義する「甘え上手」とは甘え方が上手いという意味ではない。それを無意識に嫌味なく行えるかどうかであると考えている。この観点において妹、ひいては年下属性という生物は生きながらにしてその術を学んでいるように思える。

故にお姉ちゃんに甘えているような姿は「甘えている」だけで甘え上手とは少し違うのだと私は定義している。
俺(新人スタッフ)に話を聞いて聞いてと甘えてくる日菜ちゃんこそ、立ち回り的な意味合いでの甘え上手である。

しかしこと本編中においてここまで露骨に甘え上手な日菜ちゃんを見ることができる機会はあまり多くない。だから数少ない"思い出"こそ味がしなくなるまでしゃぶり尽くす必要がある。
まだ初期のガチ恋に優しい時代の右エピにしか魂の救済は宿らない。シーズン1の時点でもう後半らへんから大体まりなさんとセットで俺に発言権が回ることが稀になっていた。このままでは生殺与奪の権を取られることも時間の問題だ。

まずそもそも道でばったり日菜ちゃんと会うというシチュエーションからしてもう気が狂う。

これより下の項目の数々ではより深く熱いやり取りを出していくのだがこんな風に聞いて聞いてとしてくる場面がよく見られる。これがとてもとても良く染み渡る。

超フランクに話かけてくる概念

日菜ちゃんは他人が好きだ。分からないから。自分ではないから。俺もまたそんな他人の中の一人ではあるのだが、俺は日菜ちゃんにとって一人の「特別」である。
なぜならばこんなにも気さくにかつ愛を込めて話かけてくれるのだから。

ご覧の通り、日菜ちゃんは町中で俺を見つけると非常に気さくに話しかけてくれる。

ここにおいて特筆したいのは「あれ?(あっれー?)」という言葉の多さだ。よく見たら彼岸さんだと。まずはちゃんと有象無象の中から「他人」ではなく一人の人間として認識されている事実に涙が止まらない。
これは誇張表現ではない。日菜ちゃんにとって他人とは興味深い存在であるが、それ以上の存在ではない。自分を知ろうとしてくれ、知りたいと思える存在は他人であって他人でない。
まずは俺に対して一人の人間として興味を持ってくれている事実に感涙に値する。

まあ俺はCIRCLEで働いているので町中で会うのは日菜ちゃんにとって珍しいであろう。
そして、日菜ちゃんは忖度しない。ライブハウスで普段世話になっているからとそれだけの理由で話しかけてはくれない。
まずはしっかりと一人の人間としてその辺でばったり会ったら認識してくれた上で話しかけてくれるという事実、その喜びを噛み締めたい。

そう考えるとめちゃくちゃに嬉しい。本当にただただ嬉しい。「あっれー?」という言葉でこんなにも生在る喜びを感じさせてくれるのは間違いなく彼女だけ。
その辺で知り合いに合って雑に世間話して解散する、そんな当たり前の人間らしい営みを日菜ちゃんとできるという事実がただただ嬉しい。
だって日菜ちゃんからちゃんと興味を持たれているということだから。もう既にこの時点で嬉しくないか。俺には生きている意味があったのだから。

最後の「はっけーん」など明確に少なくとも最低限以上の好感度をこちらに持っていてくれていることが分かる。日菜ちゃんが町中でいきなり「はっけーん」なんて言いながらこっちへ来たらまあもう脳からとんでもなく気持ちよくなる物質がもりもりと湧いてくる。

更にこれを見ろ。「あはっ」と笑ってから「やっほやっほー!」だ。こんな言葉は確実に俺のことが好きではないと出てこない。

そう、その通りなのだ。俺のことが好きでないと出てこない言葉なのだ。それはつまり何を意味しているか分かるか? 
そうだ、俺のことが好きだということだ。この前提を噛み締めてから次のステージへ来い。

日菜ちゃんは俺のことが好き

分かるか? これが勘違いなどではないということが。この通り、日菜ちゃんが俺のことを好きなのは明らかを通り越して既に常識だ。
あの日菜ちゃんがだぞ、あの日菜ちゃんが。明確に俺のことを特別だと言っているし気が合うとまで伝えてくれているわけだ、この重みは氷川日菜という人間を知っていればどんなことかとくと分かるだろう。

そこには立場が違うのにここまでの関係性を築けていることの凄さがある。パスパレを筆頭にした同じガールズバンドに携わる者でもなく、お姉ちゃんのように深い繋がりがあるわけでもない。
あくまで彼女のよく行くライブハウスのスタッフというだけの立場でここまで仲良くなれているのは逆説的に他の人達より深く仲が良いことになる。
こんなんもう日菜ちゃんが俺のことを好きなのは確定だ。そして、同じように俺もまた日菜ちゃんのことが好き。世界は恋に落ちている。

また、天体観測イベでいつものショッピングモールでばったり会った時など以下のような会話を交わした(存在する記憶)

この甘え上手エナジーが分かるか。これが始まりであり日菜ちゃん右エピの真髄である。
前述した「あたしの話聞いて聞いて」攻撃である。これが日菜ちゃんとのやり取りで最も脳に来る。この「私の考え聞いてほしいなー」といったやり取りは日菜ちゃんとの間で頻発する。
そして、基本的に日菜ちゃんはとりあえず「聞いて」だとか一言こちらに許可を取ってから話を始める。勢い余っている時はそのまま話だすがそのバランスもまた気持ち良い。

とても自然に気を遣えて偉い。だがそれ以上にやはりその甘え上手ぶりにこそ魂を揺さぶられる。なぜならば俺は絶対に日菜ちゃんから「聞いて」と聞かれたら断らない。そして彼女も恐らくそれを理解している。
だというのに聞いてくる。なんなら時には「聞いて」と言って返事を待たずに話を始めてくる時もある。だがそれでいい。その信頼、甘えてくれているという事実にこそ俺という生命の肯定と魂の救済は宿る。

日菜ちゃんは彼岸さんはあたしの話を聞いてくれると確信した上でこう振ってきている。あまりにも愛おしい、本当に可愛すぎて気が狂う。
あの日菜ちゃんがだぞ。こんなにも人懐っこくこっちへ好意を向けてくれているのだ。別に話聞きマシーンとしてでも良い。その時間だけが俺と彼女の永遠。

ドッキドキなダイスキ

これより俺と日菜ちゃんとの思い出の中でも特に脳が痺れたものを3つほど紹介する。そのどれもが俺にとってスペシャルでプレシャス。
ここにこそガチ恋カップリング最強の名を冠する相応しい神威が存在する。

日菜ちゃんと2人でポテトを食べた記憶

この距離感で付き合ってないは流石に嘘。この子が俺の彼女です。
当たり前のように繰り出されるポテトにもドカ笑顔生まれるしなにより向こうから一緒に食べないかと誘ってくれている事実から無限に口角が上がり続ける。
ポテトが揚がるまでの時間を一緒に過ごすという文学作品のような時間だけが脳にこびりついている、あの時の数分だけが俺の人生の輝きの全て。

ポテト揚がるまで話聞いて〜してくるのもいつも通りなノリでとてもかわいいし揚がって席に行ってからも彼女の話は続く。俺の笑顔も続く。
このポテト回に関しては全てのノリと距離感がおかしい。あまりにも縮地を極めすぎている。いくら日菜ちゃんが元々そういう人だからといってもまさかこれほどまでとは到底思うまい。
このWonderlandだけだ、こんなにも濃厚なるんっを与えてくれるのは。るんるんが止まらねえ、興味もつきねえ。

日菜ちゃんが手作りクッキーをくれた記憶

この宇宙で日菜ちゃんの手作りクッキーを食べられること以上に自分の人生を肯定する手段があるだろうか、ないだろうな。
しかも学校の授業で作っただとかの物ではない。ちゃんと家で作った手作りクッキーだ。お菓子教室のもたらした光は紗夜つぐだけはない、俺日菜にも輝きが及んでいた。
日菜ちゃんから何も明かされずとりあえず手を出してと言われちょっと警戒しちゃったもののそこに対してまったく傷つかずなにもなく怖いものじゃないよ〜と言ってくれる日菜ちゃんからは確かな関係性を構築できていることが伺える。
しかもちゃんとHand to Handで渡してくれている。いくらなんでも嬉しすぎる。この行為と好意がだけでない、氷川日菜という生物がこの世に存在してくれている事象そのものに対して喜びを感じざるを得ない。

最後の写真からは自分の手作りクッキーに価値があることをちゃんと認識している。価値があると分かっているうえでもらえるなんてラッキーだねと言ってくれているのだ。
偶然合って余っていたからくれた、とかではない。ちゃんと俺のために用意しておいてくれたわけだ。あまりにも甘い、Wonderful Sweet!が過ぎる。

日菜ちゃんと旅行作戦会議をした記憶

いいのか、町中でこんな風に日菜ちゃんとわちゃわちゃやって。こんなにも身に余る幸福、思い出すだけが口角が上がりすぎて裂ける。
この思い出、本当に日菜ちゃんがかわいすぎる。こんな駅前で人目も気にせずわがままだだっこされたら俺達の関係が周りにバレてしまう。
あの日菜ちゃんがお姉ちゃんとの旅行の計画立てに俺を頼ってくれている、俺の人生に意味が生まれた瞬間である。

色んな思い出の中でもトップクラスにこの日の日菜ちゃんはゼロ距離だった。あれやって〜これどうしよ〜の合間にえーいいじゃんやってよとかそういうのめんどくさくてやりたくなーいが混ざっている温度差とテンションの上下で脳がシェイクされる。
いいよ、都合よく甘えられているだけでも。そんな日もあるよ。そういう気分屋なところとか基本的に楽しくないことはやりたくないのスタンスこそ好きなところなのだから。そういうことは俺がやるよ。だから日菜ちゃんはるんっとくることにこそ注力してほしい。

日菜ちゃんは基本的に自分でやろう、やりたいと思ったことは全て自分でこなすことができる。だからこそ彼女に頼られるということは、支えることに直結する。
基本的に日菜ちゃんは打算で動かないのでやりたくないことをやってくれる人間関係を用意しておかない。だから彼女にとっては貴重なのだ。
あるいはパスパレで言えば麻耶ちゃんのような日菜ちゃんにできないことをできる友人というのは。

そんな数少ない日菜ちゃんのやりたくないことを嬉々としてやれる人間枠に俺はいる。この居場所だけが俺を人の形に留め続ける。

やっぱコレっ

たくさんの思い出には いつも
あの言葉が 常に咲いていたんだ

Wonderful Sweet!/Pastel*Palettes

コレである。結局のところ、俺と日菜ちゃんの思い出の中にはいつだってあの言葉が咲いていた。
それは心の躍動であり魂の喝采である。
今ならば言える、あの言葉だけが俺と日菜ちゃんを繋ぐ心の架け橋なのだと。

この真理に触れた今、最強のカップリングがどうのなど些事に過ぎない。ただただ、氷川日菜という大切な存在だけが愛おしい。ああ、あなたに逢いたいな。

この感情をたった一言で表すとすれば、その答えはもう明白だな。それだけが俺日菜のスタートであり永遠だから。この言葉の美しさだけで世界は回っている。

─────【やっぱコレっ るるるんっ】

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