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ラブライブガチ恋曲厳選集3    ────君が抱きしめる恋がいとしい

私はラブライブガチ恋オタクだ。今は遥か初めて真姫ちゃんに出会ったその日から真姫ちゃんへ心を狂いに狂い散らかしている。
だがそれ以外にもラブライブには良質な生物と楽曲が存在している。それらに狂う自分もまた私である。

今回は3曲の紹介となる。本当は4曲の予定であったが各記事の火力が高すぎて自分で読みながら胸焼けがしてきたがためにこのような形になった。

始めよう、機は熟した。
タイミングは良き、告白しちゃうぞ。

何度でも初恋をしよう 【First Love Again】

明日は明日のキミにまた出会いたい
初めて出会ったあの日のトキメキ蘇る
明日も明後日も二人恋に落ちてゆく
何度でも初恋をしよう

First Love Again/天王寺璃奈

虹ヶ咲が誇るガチ恋モンスター璃奈ちゃんの化け物じみたガチ恋歌詞曲、これが最強でない訳がない。
かの神のMV【ツナガルコネクト】において突如として叩き込まれる璃奈ちゃんとのデートという存在しない記憶があるからこの歌詞にはものすごい鮮明な解像度が生まれている。
あちらは楽しいゲーセンデートであった。対してこちらはゲーセンデートなどではなく、夕暮れの帰り道である。
俺と璃奈ちゃんは二人で一緒に歩いて帰っている。この距離感である。もはやこの時点で世界は光で満ちている。更になんと、璃奈ちゃんはほんのりと落ち込んでいる。そんな彼女と2人で夕暮れの世界を歩いている。それが当たり前の世界【変わらない いつもの帰り道】

これが人生の救済でなくてなんなのだ。ああかくも世界は美しい。隣に璃奈ちゃんがいる、そんな当たり前のことだけが俺の幸せだったとしみじみ噛みしめるばかりだ。
更に言うまでもなくこの世界において俺は璃奈ちゃんにほんのり依存されているのが見て取れる。璃奈ちゃんの持っている本編中、特に1期において見せてくれた自分へのコンプレックス。それらに対するこちらからのアンサー【別にそれでいいじゃん】
そんなことを言ってあげられる関係性なのである。落ち込み曇る璃奈ちゃんに対して隣で別にいいじゃんて笑って言える関係性。これが人生のプレシャスでないのなら人生とは無価値である。

【初めて出会ったあの日のトキメキ蘇る】

こういった世界を広げる、妄想の余地を広げてくれる一言もまた非常に憎い。俺が璃奈ちゃんとどう出会い、どう仲良くなったのか。あるいは惹かれあったのか。そこを敢えて明瞭にしない。だが確実にトキメキが存在していたということは明確にする。
ここで「トキメキ」という虹ヶ咲ワードが使われていることも非常にポイントが高い。こういうところである、虹ヶ咲に対して信頼しか抱けない点は。

【見たことないような表情 いつも見せてくれる】
この歌詞もまた相手が璃奈ちゃんということを加味するとあまりにも力に満ち溢れていることは言うまでもない。そうだ、俺達には璃奈ちゃんボードがある。
(璃奈ちゃんが同好会に入らなかった世界線分岐として考えると)友達が多くなく、鏡を見ても表情の乏しい璃奈ちゃんに色んな表情を見せてあげられるのは俺(曲中におけるキミ)だけだ。
そういった点で璃奈ちゃんにとっての唯一無二である。自分にはできない、表情豊かに接してくれる俺に対して【明日も知らないキミに恋していられる】ときているわけだ。
そしてなぜ俺が笑えるのか、それは璃奈ちゃんが隣にいるから。彼女のことが好きだから。【明日も明後日も二人恋に落ちていく】

【何度でも初恋をしよう】

やはり極めつけはこのフレーズである。この言葉なくしてこの曲を語ることはできない。まずここから読みとれる最も大きな点が1つ。
【キミ】、即ち俺が璃奈ちゃんの初恋であったということ。そうでなければ【何度でも】と【初恋をしよう】という言葉は結びつかない。キミに初めて会いトキメキを感じたあの日、あの日のトキメキを初恋を呼ぶのであれば。我々は何度でも、何度でもな・ん・ど・で・も! 新鮮なトキメキを感じてその度に【あの日】のような【トキメキ】を感じる。
そうしてまた好きになる。【明日も知らない君に恋していられる】わけだ。「毎日恋に落ちる」でも「日に日に好きになる」でもない。【何度でも初恋をしよう】なのだ。ここにこそ宇宙の神秘というものは宿る。

それほどまでに璃奈ちゃんの中で初めて出会ったときのトキメキは強大なものであった、ということを見て取れる。トキメキは色褪せない、大切な思い出を忘れたくない。だから毎日初恋をしていつだって色褪せないトキメキを抱きしめていたい、そう願っているのだ。
あまりにも璃奈ちゃんがかわいすぎる。なんなのだこの生物は。そして、これが俺の彼女。人生の救済とはかようになされるものだ。

俺は、俺だけは知っている。隣を歩く少女の、心の笑顔を。顔を見なくたって笑顔が分かる。だから、そんな風に自分を悪く言わないでほしい。記憶がどうとかそんな話じゃないんだ。
俺だって、毎日新しい璃奈ちゃんに会えて嬉しい。その度に、トキメキが蘇るんだ。

────何度でも、初恋しような

We can call this a date now【Toy Doll】

Everyone wants their fun,
it's hard to trust somebody
But somehow when I'm with you I feel at ease
You're so funny when I tease you
But I won't let them see
Nobody else allowed but me Yeah

Toy Doll/ミア・テイラー

私は未だかつてこんなにも英語力のない自分を憎んだことはない。なぜならば、ミアちゃんと同じ目線、同じ立場で話すことが叶わないのだから。かつての私であればこの曲もその歌詞の意味を知ることなくなんてぶち上がる最強ナンバーなのだろうで済ましていたことであろう。
だが今は違う。世界にはグーグル翻訳がある、調べれば日本語訳歌詞などいかようにもたどり着ける。そうして歌詞の日本語訳を見て私の頬を一筋の希望が伝った。それは魂の救済、生きる糧。

この曲、ミアちゃんの爆裂最強モンスターガチ恋歌詞すぎる。その感動だけが心臓のポンプ足り得る。まさかこんなにも𝓟𝓵𝓪𝓽𝓲𝓷𝓾𝓶 𝓗𝓮𝓪𝓻𝓽な歌詞だとは。流石にステイツでは大学生なだけあってガチ恋レベルも甘酸っぱさだとかその辺の一歩先を行っている。

そう、この曲の強さとは一重にミアちゃんの「余裕」からくる距離感に尽きる。そしてこの余裕は大人ぶってるミアちゃんと、まだそんなことを本気で意識したりなどできない子供っぽさの両側面を持つ。これがこの曲を最強とする最大の要因だ。
言うまでもないことだが、ミアちゃんは立ち振舞を大人ぶっている。だがその反面、かすみん達よりも年下という年相応の子供らしさを持っている。そこにこそ両面性は成り立つ。

ミアちゃんの余裕はその無垢な少女らしさからきているものと捉える事ができる。まだ友達の延長線上のような関係、恋愛ではなく友情と同ベクトルの感情をこの歌詞から見て取る事ができる。
では一体なにがガチ恋曲なのだというと、そんなことは言うまでもない。ミアちゃんの捉え方がなんであろうと、傍から見たらいやもうミアちゃんて俺(私でありあなたでありキミでありベイビーちゃん)のこと大好きじゃん、と。そういうことだ。
ミアちゃんが余裕ぶっていて、よしんば実際に余裕であったとしてもこちらへのでかい好きの矢印は言い逃れできない。そこに本人の恋愛感情が加味されているか否かなど早いか遅いかの問題でしかない。

曲中全編通してこちらをからかってくるような態度は本編でのあまり関わりを持とうとしていなかったミアちゃんの姿を思えば、この時点で既にものすごい好感度の高さを見て取れる。
また、圧倒的な距離の近さも特筆せざるを得ない。まずそもそもあの𝓟𝓵𝓪𝓽𝓲𝓷𝓾𝓶 𝓗𝓮𝓪𝓻𝓽なミア・テイラーが2人で遊んでくれているという時点で熱いものが込み上げてくる。更に向こうの口からこれはデートと呼んでいいだろ、と。そう言ってきている。力とはかように振りかざす。
それでいてほのかな独占欲も見せてきているのが非常にいじらしい。【Nobody else allowed but me】ここである。
この辺りをざっくりと意訳すると「キミをからかうのは楽しい でもそんな顔を他人に見せるのはダメ。ボク以外には禁止」と、そんな感じだ。
これである。この子供っぽさと恋心を抱いていそうなバランスが神がかっている。嫉妬だとかそういうの抜きでシンプルに素でこんなことを言っていると捉えられる雰囲気がとても素晴らしい。

Day by day I laugh a little more
Cause my world is brighter than before And it's thanks to you
Hey now baby! (Hey!) Baby! (Hey!)

極めつけはここである。ざっくりと要約しよう。

【日に日に笑顔が増える
世界が前より輝いて見える
全部キミのおかげだよ ベイビーちゃん】

この部分からは多くのことが解釈可能となる。あのはんぺんと仲良くなろうと四苦八苦していたミアちゃんが、同好会のみんなと友達になるまでに壁のあったミアちゃんがだ。こんなことを言っている。
確定で俺のことが好きだ、そうしてこちらもまたミアちゃんのことを愛している。世界はこのようにして回っている。

重ねて、あえてどことなく大人っぽくカッコつけているような印象も覚える。
ミアちゃんの思う、大人っぽくかっこいい自分が投影されている。そんなイメージも湧いてくる。故に私はこれはミアちゃんの理想の自分を思い、描かれた歌詞なのではないかとも考える。
これが現実のミアちゃんであろうと彼女の想う理想の自分の話でもその本質に差異はない。ミア・テイラーは愛おしい、という本質だけはいつだってブレない。私は投影されていると考える派である。

【Toy Doll】という曲名から見て取れるようにミアちゃんからこちらへの好意は無邪気、あるいは無垢な要素を強く見て取れる。だからこそだ、これが恋愛においてのミアちゃんの素なのだと捉えることもまた光である。
友達作りだとかはんぺんの懐柔だとかそういったことは不得手であろう。だが俺は、我々は知っている。ミア・テイラーという生物は自分が本当に欲しい、したいと想うものに対してあまりに強く立ち向かえる生物であるということを。研ぎ澄まされたDNAが物語っている。
あるいはそういう意味ではこの曲の態度というか当たりの感じはミアからランジュへの態度に近しいものなのかもしれない。それでいてそこに歌への想いと侑ちゃんとの接し方を足したような。そんなハイブリッド態度。最強の名を関するには充分すぎる。
曲中における【you】即ちこちらへの感情のでかさを見て取るにはあまりにも容易というもの。

例えミアのその感情がまだ芽生えていない無自覚なものであっても、そうでなくても俺の気持ちは変わらない。【おままごと】はいつの日かリアルになる。奇跡は起こるって知っている。だから。

─────𝓗𝓮𝓻𝓮 𝔀𝓮 𝓰𝓸, 𝔀𝓮 𝓰𝓸, 𝔀𝓮 𝓰𝓸𝓽𝓽𝓪 𝓰𝓸

君が抱きしめる恋がいとしい 【近未来ハッピーエンド】

ひとりだけを 目が追いかけてる
周りに人がたくさんいても「ひとりだけ」
そんな恋を 今してるんだね
隠さなくてもいいんだよ 応援しちゃうよ全力で

近未来ハッピーエンド/CYaRon!

あまりにも輝きが過ぎている。更にこの曲は非常にメンバーが凄まじい。ここには無自覚系ガチ恋落とし3人が集っているわけだ。特に千歌ちゃんと曜ちゃんは非常にこの曲が似合う。もちろんルビィちゃんもだ。つまり全員だ。

まず、前提条件としてこの曲の解釈の話をする。この曲は恋愛の応援歌であるが本質はそこではない。いつだって言っている、大事なのは関係性であると。

即ち、素直に解釈をするのであれば視点の「私」が「君」の恋愛の成就を願う話となり、「私」と「君」と「君の好きな人」の3名が登場人物だ。
だがこの曲の歌詞を見て本当にそう思うのか? もしもそうであるならばガチ恋勢として三流以下と言わざるを得ない。

「君」の好きな人は「私」である。

これが答えだ。この認識を持つことにより歌詞の全てがガチ恋エナジーで満ち溢れる。そしてこの解釈が正史であるという前提で私は話を進める。
これが何を意味するか分かるか。そうだ、俺は千歌ちゃんあるいは曜ちゃんルビィちゃんに恋愛相談をする程度の仲の友人であるということだ。

かような観点で歌詞を眺めるとそれはもうもう熱いものが込み上がってくるであろう。【近未来ハッピーエンド】そのタイトルの意味するものがなにか、その意味も必然的に見えてくるであろう。
そうだ、最終的に「君」が「私」に告白してハッピーエンドを迎えるというわけだ。こういうことだ。
恋は知らないけれど大切な「君」に絶対幸せになってもらいたい、そんな恋に奮起する姿を見て恋に憧れを抱く。この圧倒的な力の奔流が見えるか。恋ってステキだね。

【君が抱きしめる恋がいとしい】

このフレーズは特に美しく力に溢れる言葉である。これはもはや生命の肯定と言っても過言ではない。「君」が抱きしめている恋、それそのものに対して愛しさを覚えているのだ。
恋への憧れや大切な友人の応援を単体で散りばめることは容易だ。だがこの歌詞からはそのどちらも等しく愛おしく美しいものであるという捉え方ができる。
「恋そのものがいとしい」でも「君の恋がいとしい」でもない。あくまでも【君の抱きしめる恋がいとしい】なのだ。ここに「抱きしめる」という言葉が入っているのがやはり非常に美しい。
これにより本当に「君」即ち俺であり私でありあなたは素敵な恋をしているということが分かる。そんな君の恋だからこそ、恋に憧れを抱けると。他の人の恋ではダメだったのだ。「私」がこんな風に【恋ってステキだね】となれるのは一重に【君の抱きしめる恋】だからだ。

このように「君」を通して恋そのものに惹かれていく様子が非常に脳へ染み渡る。だからこそ俺はこの後に「君」が「私」に告白する近未来を見ている。これがハッピーエンドの形だろうが。
そういった無自覚的な部分、まさか自分が愛しさと憧れを覚えた恋の相手が自分だったとは、と。そういった王道の力で太陽は輝いている。更に言えば「君」と「私」の関係性は幼馴染であればより良い。理由は歌っているメンバーを見れば語るに及ばない。

どうしても私の主観で見れば、歌詞の雰囲気から曜千歌のイメージで歌詞の「私」を再現しがちである。だがしかしだからこそルビィちぇん概念も忘れてはならない。がんばルビィだよ!って応援して欲しい以外の感情、この世に必要か?

総じて非常に話の流れ、ストーリーとしてのガチ恋完成度が高いと言える。1番から2番にかけて徐々に恋に対して興味を抱いていき、終盤には私もあんな風に恋をしてみたいと思うまでになる。
サンシャイン楽曲で描かれがちな少女らしさを存分に遺憾なく発揮している至高の一曲である。
それでいてメンバー選びも絶妙でありこういった力と技を兼ね備えたガチ恋曲に出会えると嬉しくて踊りだしたくなる。

ずっと、言えなかった。好きなのは、お前だと。無邪気な顔で俺の恋を応援してるなんて言われたら好きだなんて言える訳がない。それでもやっぱり、諦め切れない。ハッピーエンドを。

この恋────ぜったい叶える。

一緒にときめきを探そうよ

今回【少女以上の恋がしたい】も記述する予定であったが前述の通りこちらはその4に行ってもらうことにした。
それにまだまだラブライブには力溢れる曲が無限に存在している。私の戦いは終わらない。

今、私は恥ずかしながらラブライブサンシャインを履修している最中だ。そしてその神アニメパウワに胸を打たれて止まない最中である。故に私の進化は留まることを知らない。

更にこの度、なんと虹ヶ咲全員にソロのラブソング実装も決まり、ガチ恋勢には追い風強い環境が到来しつつある。
一体果たしてどんなラブソングの方向性でくるのか各メンバー本当に楽しみで仕方ない。各々の抱くラブソングのイメージ、あるいは追体験。それらを味わえることは幸福と呼ぶ他にない。本当にみんなのラブソングは楽しみだ。

ラブソングだけではない。恋、それそのものは美しい。だがどんな恋よりもなによりも美しいものがある。それがなにか、もう言うまでもない。
いつだってそうだ、大事なのは関係性なのだ。だから普通の恋ではない、本当にいとしいものはたった1つ。

─────君が抱きしめる恋がいとしい

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