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【呪術廻戦】アニメ勢の俺がパパ黒沼に叩き落とされたあのシーン、外道の魅せ方100点満点

私は【呪術廻戦】が好きだ。原作は未読のアニメ勢である。1期のアニメを見てから2期が来るのもとてもとても楽しみにしていた。1番好きなキャラは恵ちゃん、だった。

【懐玉ー弐ー】それから【懐玉ー参ー】の視聴により私は恵が一番好き"だった"と言い換えねばならなくなった。そう、もっと好きなキャラとの出会いを果たしてしまったからだ。

この男である。もうファーストコンタクトからして好きの波動を感じていた。そして性癖センサーの通り、この男はもう私の中の好きを捏ねて捏ねて固めたような生物であった。まだ2話分しか出番がないのに、これからどれだけ出るのかも分からない。だがパパ黒沼へ叩き込まれた事実だけは不変。
私の青はこの男とでなければ澄み渡らない。

取り急ぎアニメ2期3話時点までのここ好き部分を全て叩き込み、今後更なる燃料があればここに追記していくという形を取る。

「懐玉−肆−」の見出しまでが「懐玉−参−」時点までの感想。そこから先は追記となる。つまりはそういうこと。

相手の目線に合わせた上で無視する

私の大きな性癖に「自身を悪と認識していない悪」という属性がある。
これは言葉通りの意味「悪だと思わず悪を成している」というものはもちろんとして「善悪の意識関係なく、素で悪い行動が取る」ということも含まれる。そしてその悪は非人道的、外道であればあればあるほど好ましく、利己的であればあるほどに美しさを得る。

パパ黒はその両方をすでに行っている、ということはアニメ勢でも分かることだ。悪びれる所作もなく、それが悪だとも思っていなさそうなところだ。
それは食事における行儀の悪さや素行の悪さから滲み出ている。

私が最も好きなパパ黒のシーン、沼に落ちた瞬間。それは【懐玉ー弐ー】の食堂でラーメンを持ったおっちゃんとぶつかった直後である。

そう、ぶつかり声をかけられた後だ。ちゃんと声をかけられたら無視することなく、目線を合わせた上で何の相手もしないで去るあのシーンだ。

あそこにこそ私の考える理想的な邪悪が存在する。ちゃんと相手を無視しないことを選んだ上で無視しているのだ。目線を合わせている、というのが最大のポイントだ。
脅すのでも攻撃するでもなく見下ろすでもなく、相手の目線に合わせた上でその存在と尊厳を否定する。これが一番強く深く脳に染み渡った。
あのシーンでのパパ黒の感情には非常に気持ちのいい考察の余地がある、それは彼のことを知れば知るほど解像度の高い考察を可能とするだろう。

例え本心として見下していようと脅していようとなんだろうと、一度目線を相手に落として合わせているというのが圧倒的に凄まじい。敢えて相手に目線を落として合わせるだけで、上下関係を構築したのだから。
競艇場の食堂という同じ空間で同じレースを見て同じ場所で飯を食う同族であるが、パパ黒はあのおっさんに目線をあわせてあげることであの2人の間でどちらが上かをそれだけで分からせてきたのだ。

これが何を意味するのか、それはパパ黒がクズ達の中でもとびきり上に位置するクズだということを意味している。あの場で異質なパワーバランスを見せた男は掃き溜めの中で頂点に位置している、そんな揶揄表現であると読み取れた。
呪術師界に生きる人達の間、とかではない。あくまでもあの場、人間達の中でだ。つまり人としてとびきりクズ、という表現に等しい。

これが本当に最高で性癖を刺激に刺激されまくり狂った。圧倒的な力を持っているのに安易に暴力に訴えない、力だけで解決しない。それが逆に恐ろしさを生んでいる。
【懐玉ー参ー】における彼の戦法と同じではないか。フィジカルギフテッドという人間の中でも上澄みの身体能力を駆使するのにそれ一辺倒ではない。絡め手も使うから質が悪い。
私はそんな描写をあのラーメン一連の流れから見て取れた。しかもあの辺は聞けばアニオリらしいではないか、あまりにもアニメスタッフの理解度が鮮烈すぎる。あんな描写されたら勝てんて。

そしてこれである。原作者直々の器大きかったIFだ。これもまた最高に最高だ。
元ネタであるスモーカーのアイスは子供が大人の足にぶつかる、という展開の為に「ズボンがアイスを食った」という表現が通るわけだ。
おっさん2人で「サンダルがラーメン食った」はどっちかが邪悪じゃないと成り立たない関係性なんだよ。ぶつかってラーメンこぼすまではまあ分かる。でもそこから先のサンダルにラーメン食わせるのは悪意があるか食べ物を踏むことに抵抗がないと不可能なんだよ。
こういうところである。ネタ絵とはいえ関係性の歪さとその邪悪ぶりを隠しきれていない。

私は最初、競艇場で前の席に足をかけているところでわざと横柄な態度を取っているのかなど考えた。だがそれは食堂のシーンで掻き消された。
こいつはシンプルに素行の悪い外道だ、そう気がついたとき頬を伝っていたのは出会えた喜びだった。

頭の良い外道という恐怖

パパ黒のここ好きポイントとして大きいもの、それは様々な描写から伺える合理性と脳筋能力に反した頭の良さである。
五条との戦闘の際、圧倒的な脳筋能力に驕ることなく入念な下準備をしていたことが明らかになった。

懸賞金を使うことによる人海戦術、金による戦力集めは人望や元々の所持戦力を必要としない。
それは裏を返せばパパ黒にはそういった使えるものがないのではないか、という考察へと繋がる。だとしたら金で戦力を集めることは非常に合理的だ。こういうところなんよ。

それらを捨て駒を利用して、五条と戦うステージまで用意出来ている。そして肝心の戦法もとりあえず闇討ちによる急所を一撃で狙うというどこまでも合理的なものだ。
あの時点でも五条は相当強かったはずだろうがそれを戦術により撃破している。フィジカルギフテッドをものすごい身体能力だけではなく、呪力を感知されないという特性で持って最大限利用しているのが最高であった。めっちゃはやかったし。

そういった能力と呪具による圧巻の暴力性に合理的な狡猾さが相まっているのも非常性癖を刺激され泡を吹いていた。

五条を倒した後、理子ちゃんを撃った直後の夏油との会話「なんでお前がここにいる」に対して咄嗟にその質問の意図を理解する頭の回転の速さにもゾクッとした。それでいてシームレスに煽りに入り夏油を逆上させるあの展開もパパ黒の頭の良さを感じざるを得なかった。
それは理子ちゃんを撃つ時、ものすごい良いタイミングだったのは合理的に夏油の油断する瞬間を測っていたのだろうと思える裏付けにもなる。そしてあそこもまた「偽のゴール」の1つであった、ということも。
あのシーンは自身に呪力がないから感知されない特性を最大限活かした上で更に銃で殺すという己の体を最大に利用していてとても良かった。

良かった、本当に。私の沼はパパ黒で。理子ちゃんだなんだが好きだったらあの演出達は耐えられている自信がない。俺はパパ黒沼だから耐えられた、むしろ美味しかったまである。

外道を好きになるという呪い

さてパパ黒だけに限った話ではないが、この手の外道を好きになると大抵ろくな事にならない。基本的にはやはり最初、好きになった時点から既に死別を覚悟するのが基本となる。
私は原作を読んでいないし先の展開も知らないので戦々恐々としている。しかしそれと同じくらい楽しみである。

そう、外道好きにとって好きなキャラの死もまた楽しみの1つである。どう死ぬのか、そこに報いはあるのは、人間性に変化はあるのか。そういった興味は尽きない。怖いのは死んでしまうと燃料がこなくなってしまうこと、それだけ。

これを書いている時点では夏油とのバトルがどうなるのかも予想できないしそれから先も分からない、アニメ1期にパパ黒出てきてなかったような気がするこの朧な記憶はそういうことを意味しているのかとも思う。
そしてあの外道と恵の関係も非常に気になるところだ。そして恵みの母、つまりママ黒がどんな人なのかも。
「揺るがない人間性があればそれ以上は何も求めない」という恵の女性のタイプとどんな対比が成されているのか。楽しみは尽きない。
原作勢の諸君はぜひそんな私の姿を見て愉悦に浸ってほしい。

今後も燃料追加如何でどんどんここへパパ黒のここ好きポイントを追記して書き足していきたい。

これが最後の追加にならないことを、俺の青が澄み続けてくれることを祈って。

「懐玉−肆−」 どこまでも俺の性癖だった

ここにいるということはそういうことだ。そうだ、そういうことだ。これで終わりなのかとあまりにもあっけない。だがこのあっけなさこそが美しい。だから追記をしに来た。
名残惜しく心が苦しくはあるが不満はない。この無常さとやるせなさが今は心地よい。

五条の覚醒として必要な話であり、その圧倒的な強さを際立たせる為に重要な役割と話であった。だがそれ以上に甚爾が瞬殺されるということにこそ意味があると読み取ることが出来た。

死を間際にして感じた「違和感」とはいつもの自分でない違和感。そして、捨てたはずのものを手にしていたということ。それは捨てていなかったと言い換えても問題はない。
現代最強の術師を否定したくなった。自身を否定した世界の頂点に立つ存在をねじ伏せることで初めて自分を肯定できる。
その願望はそのまま、今まで呪力のなかった自分を肯定することができていなかったことを意味する。そのせいで禪院家から良くない扱いを受けていたことも分かった。

何よりも、何よりもだ。甚爾は最後の最後、死ぬまでそのコンプレックスを心の中に抱えたままだったことが分かる。あるいはコンプレックスという人間らしさ、それこそが彼の言った「捨てた」ものであったのかも知れない。
コンプレックスを抱え、拗らせたまま生きたのではない。それらを捨てて自分も他人も尊ぶことのない生き方を選んでいた、ということが非常に熱く性癖に刺さり散らかした。
なぜならばそれは最後まで捨てたはずのコンプレックスを捨てられていなかったことを意味しているからだ。ずっと呪力のない自分というものに縛られて生きてきたことが分かったから。

呪力がない自分のことを「透明人間」と称していたのも非常に悲しい皮肉であることが分かる。
それに夏油へ言った自身が「呪力のない猿」という言葉。術師からしたら呪力がないということは人間未満の存在であるということ。だから自分を猿と言っている。
これらの話からはやはりそのコンプレックスを捨てられていないことが伺える。

捨てたつもりでいたがそれでも心のどこかでは捨てられていなかった。だから呪力がないということを最大限活用する戦法を良しとしたのだろう。合理的であり、なによりも呪力のない自分を肯定できる。
だからこそ覚醒した五条を前に逃げることができなかった。最強である五条を倒せば世界でもう誰も自分を否定できない。逆に言えば本当の意味で自分で自分を肯定することができる。

その自分を肯定するための戦い、捨てたと思っていたはずのものを捨てられていなかった。それこそが違和感の元凶であると私は考察する。
自分を肯定するためにいつもの自分を曲げた。それは諦めていた自分を捨てるということ。だがそれ自体がもう負けていた。一度人の道から外れた男が再び人の道を歩むことは出来ない。
他人を踏みにじり容易く命を奪ってきたから同じようにあっけなく殺される。因果応報、その一言で済ませられる話ではないがこの言葉が相応しい。

あるいは甚爾が呪力もなく弱い人間であったらどれだけ楽であったろうか。だが彼は爆裂に強かった、術師殺しという異名を持ち覚醒した五条に出会うまで殺されていなかったことがそれを証明している。
今まで自分より強い存在がいなかったことが不幸であり幸運でもある。力でねじ伏せる生き方を選べるからだ。事実彼はその力で術師殺しとして稼いで生きてきたことが分かる。
だからこそ、殺しで生きてきたからだ。簡単に他人の命を奪うから、自分よりも強い存在からも命をあっさりと奪われる。
それが五条戦の全てである。

自身の空いた体を掴もうとするけど何も掴めない。それこそが捨てたものであり、取り戻せなかったもの。なにかがあると思い、手を伸ばすもそこにはなにも残っていない。掴もうとしたということは、本当に捨てきれていなかったということ。それが彼の人生であると分かるあの演出の美しさには感服した。

私はコンプレックスを拗らせた生物が大好物だ。だからこの凝縮さたコンプレックス爆弾演出にはもう涙が止まらなかった。やはり自分の性癖センサーはいつだって正しい。もう恐らく出番はないのだろうがここだけで私は生きていける。

正直色々と明かされておらず不明瞭な部分はある。何よりも気になるのはなぜ「恵」という名前をつけたのかということ。
自身がフィジカル以外に全く恵まれなかったから、なにか恵まれていると思ったからこそ息子にそんな名前をつけたのか。それとも恵まれてほしいと願ったのか。だったらなぜそんな息子の名前すら忘れていたのか。疑問は尽きない。
恵とどんな接し方をしていたのかも気になるが恵の学校でシメたあのエピソードを見るにパパ黒のバイオレンス遺伝子はしっかり継がれていることがわかりほっこりする。
またママ黒がどんな人であったのかというのも気になる点だ。

それから限界関係性オタクとして外せないものはあの仲介役の人との関係だ。
「お前と関わるのは仕事か地獄でだけって決めてんだよ」
あの人のこの言葉、限界関係性オタクの琴線を刺激するにはあまりにも充分すぎる。絶妙にビジネスライクに仲が良くそれでいてどこか壁がある。
地獄で関わる、ということは自分も甚爾と同じ類の地獄へ堕ちる人間であると自覚しているから出る言葉だ。本当にどんな出会いとふれあいを経た関係性なのか気になって仕方がない。

歪ながらも仲介役の人のような仲間がいて、忘れていながらも息子がいる。いろんなことを思い出し、捨てたつもりでいた。それでも最後、残ったのは自分だけだった。死ぬときはやはり一人だった。

最初から最後までノンストップで甚爾は私の性癖に即した生物であった。これから果たしてどんな感情でファミチキを食べている彼を眺めればよいのだろうか。
人間みを出しながらもやはり最後までド外道であることに陰りは見えなかったのも非常に好印象だ。
そしてギャンブル下手男な描写はあったが最後の最後、五条に恵を任せるという一世一代の賭けには成功しているのがとてもオシャレポイント高くて好感である。

総じて本当に素晴らしい存在であった。私の青は確実に甚爾と共にのみ存在していた。だからこそ涙が止まらない、あまりにも早すぎるお別れにだ。もっとサンダルにラーメン食わせているところを見たかった。
名残惜しい、だからこそあっさりと締めよう。そのほうがらしいだろう。

ということでハイお疲れ、解散解散。ってね。

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