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突然の富士登山

2日目の朝アゲイン。
朝ごはんを食べに、コテージの隣にあったカフェに入ったら
ティーチャーともう一人が先に入っていた。

メニューをGoogle翻訳で訳してどれにするかをみんなでワイワイしていた時
不意にティーチャーが一人、「ヌードル食べたいから部屋に帰る」
と言って、誰も険悪なムードにもならず、
「あ、はーい」って見送って、引き続きメニューを検討していた。

いつだって自分軸

何気ないことだけど、
カフェまで来ていたら、その中から何が食べたいか考えたりしないだろうか。
そして食べたいものがなくても、みんなと一緒だから、といって部屋に戻る選択や
わざわざ外国に来ているのに、自国のカップヌードルを食べるという選択を
私だったらしなかったであろう。


でも、それだけみんなに合わせていた自分に気がついた。
同時に、
その子はいつでも自分に聞いているのだ、と分かった。

「今」何が食べたいか
「今」どうしたいか

その一個一個を
他人の目線とかジャッジをなくして、忠実に従っている。

友達がどう、とか
せっかく旅行に来たし、とか関係なく
今自分の体や心が欲しているものに忠実に従っているのだ。


閃きに即行動

朝ごはんをみんなで食べているときに、ふと
富士五合目って、スカイライン以外から行けないのかな?
なんか須走口とかって聞いたことあるんだけど、あそこは五合目ってないのか?

と突然閃いて調べてみた。
すると、須走口・御殿場口・富士宮口があるではないか!!
(これでも静岡県民w 富士山に対して無知すぎて恥ずかしいw)

それを仲間に言ったら、食べ終わりそうな朝食をさっさと終わらせ
「今すぐ行こう!」と即行動。

すぐさまコテージに戻り、
カップ麺片手のティーチャーに伝えた。

普段はそれぞれ自由に、そしてゆったりしている人たちなのに
それはそれは速攻で荷物をまとめていた。


きっとアイディアが閃いた時は即行動するのだろう。

突然の登山@富士山

そして御殿場口から念願の富士五合目についた!
彼女たちを下ろし、私は仕事に向かう予定だったが…

なんと富士五合目、通行禁止看板がデカデカと書かれているではないか!
(後で知ったけど、山開きしてないと、どこからの口も通行禁止らしい)

焦る私を横目に、通行禁止看板の横からひょいっと抜道で山登りを開始し始めるティーチャー。

それ見て、さらに焦る私。
え?通行禁止ってダメじゃない!??
中国人だから許されるとかあり?いや、ないよね?
てゆかみんな登っちゃったら、車にある荷物どーすんの!?
バスを待つって言っても、1時間に1本来るか来ないかだし、こんな寒いところに歩きもせずに荷物番用に誰かが置いていかれるのはあんまりだし…

一気に思考全開モードで
チーンと出た結論は

私が仕事休めば良くないか?

ということ。
なぜ閃かなかったんだろう、今まで!
速攻で会社の人に連絡をし(初めて行う仕事だったけど)
初っ端からドタキャンをし、急いでティーチャーたちの後を追った。


もちろん、山に登るだなんて思っていなかった(車から降りて様子を見に来ただけの格好)ので
水も防寒具も何もない状態(車にはあったのにw)

そこからかれこれ2時間くらいは登っただろうか。


もう仕事もキャンセルし、行くとこまで行ってる私は
どこまでもついて行こうと覚悟するw


登っては、誰かが座って瞑想しだすから
みんなも近くで瞑想。

私は富士山に寝転がり、いつの間にか眠っていた。


標高は高くて寒いけれど、地表は温かくて
そして太陽も曇り空の中時々顔を出してくれたから
究極に寒くはなかった。



こうしてのんびり
そして行けるところまで登って
瞑想して…

ずっと同じようなことをしているのに
そしてずっと急勾配を登っているのに
誰一人として疲れた表情やエネルギーを出していなくて
むしろスキップしだす人とかもいた。笑


この人たちのご機嫌レベルはすごいと思う。
何があっても、嫌な風に捉えず、受け止めている感じ。
その上で、楽しんでいる。


目的は「楽しむこと・経験すること」

富士山を下山しているときに
一人の子に
「今回の日本の旅の目的は何?」と聞いた。

もしも旅の目的が富士山だったとしたら、別の口を再度案内したほうがいいかな、と思ったから。

そしたら返って来た答えが
「楽しむため!」

「人生を楽しむために、色々な経験をしに来たんです」

とのこと。


もう、それに尽きる。

私は昔から、こと海外に行きたいと言うと
「何しに行くの?」
と必ず聞かれた。

私は海外という未知の世界や文化の中で、どんな体験ができるか、自分がどう感じるかを見てみたい、という気持ちがずっとあった。

だけど、その国のこれが学びたくて・見たくて行きたい、というものがなかった。


だから、大学生の時に、アメリカの大学に編入をしようとした時に
「何しに行くの?そこでしか学べないことなの?」
と言われた言葉で、
私はハッキリとした目的がないと、海外に行っちゃダメなんだ、と思い諦めたことをたまに後悔する。

日本の大学に行くときは
「どこの大学?」くらいしか聞かないのに
海外の大学となると
「なんでわざわざ海外なの?何しに行くの?そこでしか学べないの?」
と攻め立てるように聞かれるのがずっと不思議だったし
でもそれに対抗できるそれらしい「目的」がなかった。

ただただ、海外に行って生活してみたい、
自分がその中でどう感じるか見てみたいし、ほかの国の人の価値観に触れたい、文化を知りたい、というものだった。


「経験してみたい」
ただそれだけでも立派な理由だし
それ以上でもそれ以下でもない。


ここもそうだけど、もっと自分を信じてあげたい、と思った。
その感覚でいいよ、と自分にOKを出してあげたいんだ、と気がついた。



明日へ続く…♡

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