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光源とフィルム、僕と世界

映写機の光がフィルムを通して映し出される。
そこには世界が広がる。
どんな世界が広がっている?
どんな色?暗い?明るい?楽しい?辛い?怖い?好き?嫌い?
それは結局フィルム次第だろう。
光源はいつも変わらず同じ光を送り続けてる。
フィルムはそれを折り曲げ、世界を作る。

人間だって同じだろう。
ある事象は科学的に誰が見ても等しい。
同じ光を送り続けてることになる。
それを僕というフィルムを通して見てみる。
そこには僕がそう見る世界が広がっている。
あなたというフィルムを通しても。
あなたがそう見る世界が広がっているだけだ。
事象は変わらない。でも、広がる世界が違う。

価値観の違い。


フィルムが違うから価値観が等しくなることはない。
近いものはあるけど、同じはない。
価値観が違うことを嘆いても意味がないとわかってしまう。

じゃあどうしたらいい?
簡単だ。理解すればいい。
等しくならないということを理解する。
その人のフィルムを知る。それだけだ。

こんな英文がある。
We agree with disagree.
-同意しないということに同意する-
互いに違うということを認め合うのだ。

どうしてわからないんだ?こんなに良いのに。
わかってくれよ。あなたのためなんだ。
そんな言葉を言うのはもうやめよう。

野菜の好き嫌いだって同じだろう。
ピーマンは美味しい。
ピーマンが嫌い。
じゃああなたにはピーマンを出さないようにするね。
これでいいはずだろう。

世界はあなたが思うほど複雑にはできてない。
自分というフィルムがいかに複雑で、他者を寄せ付けなくて、自分勝手で。
そしていかに素敵で掛け替えのないものなのかを知ろうとして欲しい。
他者のフィルムがいかに複雑で、あなたを寄せ付けなくて、自分勝手で。
そしていかに素敵で尊重するべきなのかを知ろうとして欲しい。
今だと思う。今、知るべきだと思う。

向き合って欲しい。自分のフィルムに。
認めてあげられるようになりたい、あなたのフィルムを。

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