後ろ向きなようで前向きな話

こんにちは。久しぶりに大学で記事を書いています、みうです。
日が暮れるのがだんだんと早くなってきたのを実感する季節ですね。18時過ぎでも真っ暗です。
今日も涼しくてもうやっと夏は過ぎ去ったかなあ…と。過ぎ去ると突然恋しくなる夏って何なんでしょうか。

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突然の後ろ向きすぎる発言で申し訳ないのですが、今日久しぶりに、突然、人間に対する不信感のようなものがよみがえってきてしまいました。
大閉塞していた頃の、あの孤独感のような何かです。

何のきっかけもなく突然それが戻ってきたというわけではなく、ある出来事があってそうなってしまったのですが、一度は(今の自分が知りうる限りの)天井にもいた事のある自分が再び下を見るというのは、なんだか「なす術なし」の気分で仕方ありません。

AがBに対してよくない振る舞いをした。
BはAを叱った。
私はBから直接そのことを聞かされ、
その後日、Aがそれを陰口として発しているのを、
私は人づてに、しかし私自身の目で確認する。

まあ、ありがちな構図なんですがね。

極論、人は意見や立場が対立する人の前でもお互いにいい顔をしようとするのは何故なのか、それは無意味なんじゃないか、とすら今考えています。

お互いがその場しのぎで妥協して、裏でああだこうだと叩く構図。
そしてまた私もその構図の一部なのかもしれません。そのつもりはないけれど、こうやって張本人達には見えない場所で憂さ晴らしをして。

なんだかもう飽き飽きですね。

私自身も見えないところで憂さ晴らしをしているという点では彼らとしていることは同じなのでなんとも言えないのですが、この人間関係の遠まわし加減が私はとても苦手です。

かといって「面と向かって全部言えばいいじゃん!」派の論者でもありません。それは、自分だったら、影で何も言わなくていいほどにまでその口論(?)の場で全てを話しきることができる自信がないからです。
話し合いが終わってから、何となくモヤっとした気持ちになって、その気持ちからまた新たなイライラが生まれたり、あるいはそのモヤモヤがすっと消えていったりします。
相手の目の前で話した後に「深く考え込む」のが癖である私にとっては、面と向かって全部言うなんてことは到底難しいのです(※もちろん他の方もそうだと思いますが、それにしたって私はあまりに深く考えすぎだと言われます)。

板挟み、とまでは言わないけれど、対立しあっている双方から各自の言い分をひたすらに聞かされるのはなかなか堪えますね…こういう時ってどうしたらいいんでしょうね。

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しかも厄介なのが、この板挟みもどきの構図で、過去に嫌な思い出があること。
主導者と指導者の意見の食い違い、同じ立場の人間同士の貶めあいを当事者以外の立場から見るのはそう久しぶりのことでもありません。
高校の部活でもう見飽きたんですよね。

今日、それに気がついた時、思わず涙がこぼれそうになりました。
どうして涙がわいたのか、何に対してこぼす寸前の涙だったのかは分かりませんが、とにかく胸が苦しくて、頭がぐっと締め付けられるようで。
トラウマ、なんでしょうね、きっと。

だとしたら、克服しないと。
逃げたらまた高校の時と同じになるような気がする。
逃げたら、いつまでも同じようなことで悩み続けて、こうやって苦しむような気がする。
だから、逃げてしまったら、勿体無い。

そう思えるくらいには、天井を見ておいてよかったなあと思います。


普段と比べるとかなり抽象的な話になってしまいましたが。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。