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水泳と私

こんにちは。今日はジンベエザメに襲われる夢で起きました、みうです。
ジンベエザメって好きなんですけどね。今年の夏、のとじま水族館に行って見てきたんですけどね。

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平たいフォルムと大きなお口が素敵です。それなのに今日は食べられてしまいました。無念。
でも生きてるのでオッケーです。

さて、今回は私の水泳事情についてお話ししたいと思います。

水泳は苦手

小学生の頃からそこまで運動が得意ではありませんでした。走るのも遅いし、まず運動が嫌いでした。運動会の徒競走とか死ぬほど嫌いでした。
4年間ほどテニスをやっていましたが、あくまで習い事でやっているくらいでした。

中でも水泳は本当に苦手でした。人間は陸上で活動するんだから水の中で泳ぐ必要なんてないじゃん!とか勝手に思っていましたし…。

小中高と水泳の授業があったので、その遍歴を少しだけ辿ってみます。



小学生の頃は典型的な泳げない子でした。25mを立たずに泳ぎきることができたのは確か3年生くらいのことです。

私が通っていた小学校では、いくつかレベル分けがされていて、水泳帽に色付きのマジックテープを貼ってそのレベルを判別するというシステムがありました。
例えば緑1本でクロールで15mとか…そんな感じだった気がします。
ただしそのレベルによって何が変わるというわけではなく、単純に先生側が面倒を見る程度が変わるだけでした。

私はクロールが泳げなかったので(息継ぎすると溺れる)、周りの友達のマジックテープの色が変わっていくのを見ながらずっと黄色のマジックテープを帽子に貼り付けていました。

中学生になると、なんとかクロールは泳げるようになりましたが、平泳ぎをすると必ず足の裏がつるというのが怖くて水泳への恐怖心は消えませんでした。

羞恥心の勝利

高校生にもなると、私は「泳げない自分」をどうにか変えたいと思うようになりました。
小学生の頃のような、明らかなレベル分けはされていなかったのですが、泳げない自分がただただ恥ずかしかったのです。
というのも一応私は勉強はそこそこできる方で、友人からも勉強の頼りにされていたので、そんな自分にできないことがあるのを放っておく、そしてそれをクラスメイトに晒し上げることが許せなかったのです。
なんとか苦手を克服したいと決意しました。得意とまで言わなくていい、苦手でなくしたい、と。

ということで私は小中時代水泳の授業で無双していた友人に頼み込み、高1、2の夏休みに市民プールで練習に付き合ってもらいました。泳げない姿を一般人の前に晒し上げることにはやはり恥ずかしさもありましたが、それ以上に友人のあの手この手の指導とその姿勢に励まされ、おかげで綺麗なフォームで泳ぐことの大切さを体感することができました。

そしてもう一つ、高校での補講が私を変えました。
プールの授業は欠席すると見学(レポートも提出)+補講となり、休んだ理由に関わらず400mを後日泳ぐことになっていました。つまりは欠席するたびにどんどん泳ぐ量が増えていく、と。

当時の自分にとっては400mなんて泳いだこともない距離だったうえ、一番疲れにくい泳法であるという平泳ぎでは泳げなかったのでマジの地獄でした。
この補講でやっと、平泳ぎをちゃんと練習して泳げるようになろう、と思えました。だってそれじゃないと翌日全身筋肉痛が確定するのですから…。まあ平泳ぎで泳いだところで筋肉痛になることには変わりないんですがね。

そう考えると、400mの補講は平泳ぎを練習するには絶好の機会でした。
時間を気にせずゆっくり練習できました。脚や腕の動きを一つひとつ確認しながら、あれこれ試しているうちに25mクリアしているのですから、こんな美味しい話はありません。

そんなこんなで、私はなんとか高校在学中に平泳ぎへの恐怖心も克服することができました。

最終結果

最後に泳いだのは高3の夏なのでかれこれ2年以上前になってしまいますが、最終的には4泳法全て泳げるようになりましたし、個人メドレー(各25m)もギリギリ泳げるようになりました。
これを小学生時代の自分が聞いたら疑ってやまないでしょう。何と言ってもバタ足25mが限界だったのですから…。

そして何より、今、泳ぎたいという気持ちが生まれているのが一番の成長だと思います。毛嫌いしていたものをまたやりたい、楽しいと思えることは我ながらよく成長したものだなと思います。

今は圧倒的に運動不足なので、そこをどうにかする目的で泳ぎたいものですね。水泳って普通に考えて消費カロリー高いし…あっでも水着ないわ……


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。