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財布の紐を幾度も固結びした人

こんにちは。服飾ブランド店の入り口に立っている、白手袋をした人に臆しない日は来るのでしょうか、みうです。
今回は買い物に対する抵抗、節約についてお話したいと思います。

買い物は好き、むしろ大好き

買い物は好きです。服もアクセサリーも化粧品も、眺めるのが楽しいし、気に入ったものがあれば買います。新発売の食べ物だって美味しそうだなと思ったら買います。家族にお土産とか、友人にプレゼントとか、そういうのも大好きです。
服なんて季節の変わり目の度に暇があれば眺めて回ります。おかげで地元のお気に入りの2つのショップで、店員さんに顔を覚えられました。

昔から変わらないのが文房具の買い物。文房具コーナーに行けば数十分は潰せます。使い心地から見た目、実用性まで考えて、欲しいな、使ってみたいなと思ったら買います。買わなくても、「あ〜こんなのが人気なんだな」とか、「へ〜便利じゃん」とか、そういう感情になって満足感に浸ります。
昔は少ないお小遣いでペンをたくさん買ってノートを鮮やか(すぎるくらい)に彩っていたものです。

節倹の2文字の重み

高校生の時は、月ごとにお小遣いを父親からもらっていました。
休みの度に友達と遊びに行くような学生では全くなかったので(部活と課題で終わる週末を幾度過ごしたことか…)、服も必要最低限のものしかもっていませんでした。遠足や修学旅行が近く度に急いで服屋に走るのはもはや恒例行事でした。
交通費も部活の大会や遠征以外はほとんどかかりません。食事だって大概家でとりますから、食費も自分の財布から出す分はほぼゼロ。
何に使っていたかといえばおそらくヘアアクセサリーでしょう(制服だったので、日常の学校生活でできる一番身近な「おしゃれ」でした)。

大学生になってからお小遣いは出なくなるものだと思っていたのですが、なんと「生活費」という名目でお金をもらう生活は続いています。バイトもそれなりにしているのに…

この点、人生イージーモードが過ぎます。
イージーモードが過ぎるので、できるだけ自分が使う日用品くらいそのお金から出すようにはしています。

しかし、高校までそんな経済性の低い生活を送っていたからでしょう、異常なまでに節約思考が根強くなりました。

アンチ無駄遣い症候群、とでも名付けましょう。

何を持って無駄遣いとするかは完全に私の基準です(というかこの症候群自体勝手に作ったものですしね)。特徴的な症状を挙げると、以下の通りです。

・他で安価に(あるいは無料で)代替できる物があるのにわざわざ物を購入したり、労力を使ったりすることに対して強い抵抗を覚える

・自分が欲しいと思ったものは高価でも手を伸ばす

・値段のせいで他の安価な商品を代替して購入することはしない。値段のせいで買えないならその商品自体諦める

財布の紐を(無意識のうちに)繰り返し固結びしてしまったので日常での支出は必要最低限。時には持ち物も減ります。
でも、諸条件を勘案してもなお欲しいと思ったら、その紐をハサミでちょきんと切ってしまうのです。

それでは患者の日常を覗いてみましょう。財布の紐を縛りに縛ってしまった人間の姿です。

アンチ無駄遣い症候群患者の日常①:飲食

水筒は常備です。家で水を汲んだり、家で沸かす麦茶を入れたりして持ち歩きます。
ペットボトル1本買うのに、コンビニに120円も落としてられません。道すがら自動販売機で150円払うなんておそらくこの生涯で一度もやってませんし、おそらく今後も一生やりません。やったとしたらその日1日は気分がさぞ沈んでいることと思います。

食事もろくに外で食べられなくなってしまいました。最近の私は完全に外食難民です。コンビニのご飯って高い、って買う度に思っています。それでもそれ以上に簡便性が☆5ですし、普通に美味しいので頼ってしまいます(ただしおにぎりやサンドイッチは何だか苦手なので麺類人間になってしまっています)。
あいにく大学の周りに安くて美味しいお店が少ないのも影響しているかもしれません。学食も価格の割にボリュームが足りません。忙しさも重なった日には昼食を抜いてしまうことも最近増えてしまいました。

私が健康的かつ抵抗のない食事をとるにはもはや自炊の選択肢しかない…自炊…自炊しなくても朝7時前の電車に乗るような人間には厳しいのでは……?(そこは意志薄弱)

…料理の達人、母親に¥500/1食で交渉するか?栄養バランスも取れて食べ慣れた美味しいご飯で…ある程度食べたいものを食べられて…ハピネス……

(自炊しろ)(自立しろ)(ごめんなさい)

アンチ無駄遣い症候群患者の日常②:文房具

昔は大好きでよく買っていた文房具、ほぼ買わなくなりました。
そもそも文房具を使う機会が少なくなってしまったので、その変化もあるかとは思いますが、それにしたって購入量が少ない。

書き心地の好みからボールペンは昔から水性ばかり使っていました。今は、家には大量の油性ボールペン(会社や大学の名前入りのよくあるやつ)があるのでそれで間に合わせてしまいます。書き心地を求める気持ち<<<新しいペンを買うことに対する抵抗です。超えられない壁がそこにあります。

バイト先では必ずボールペンを使いますが、備え付けの物を借りて済ませることも多々あります。修正テープも然り。
自由に貸し出されてるから最大限活用しようという思考。荷物も減って一石二鳥(ペン1本ごとき…)。

アンチ無駄遣い症候群患者の日常③:服飾品

大好きな服飾品も最近はあまり買わなくなってしまいました。
それは、一目惚れした物しか買わない主義になったからだと思います。
しかも、一目惚れした物を即決で買うのではなく、一目惚れした上で吟味して買うか買わまいか決めるという…(それ一目惚れなのか?という疑問は私にもあります)。

アクセサリーなんて買い始めたらキリがありませんし、暇さえあればアクセサリー屋さんで延々と商品を見ているほど大好きなのですが、友人から1つ贈り物でネックレスをもらい、そして自分でもとても気に入ったデザインのイヤリングを1つ買った後から購買意欲はおさまりました。

服もあるからいいや、なんとかなるわでなんだかんだ全然買っていません。単にクローゼットが(着ない服もかかっていて)満杯なのでキャパを考えて買わないようにしよう、という考えもありますね。
ともかく、私服生活も2年目ともなれば今持っている服で何とかならないわけがないのです。

…クローゼット掃除したい。これだって、スペースの「無駄遣い」ですから。

アンチ無駄遣い症候群患者の日常④:電気

これはもはや末期のような気がします。

大学に行けば私の親が支払う学費から幾分か供出されているであろう電気が大量にあります。コンセント使い放題。それをどうして使わずしていられるのか、という謎の思考に最近陥っています。自分でもちょっと怖い。
PCやスマホ、ウォークマンに至るまで、充電はだいたい大学で済ませます。家でPCを使い倒して、大学に行って朝一番で充電。スマホも夕方まで大学で充電してそのまま帰宅すれば、次の朝まで余裕でもちます。

家にいる間も、夜遅くなったら電気を消してさっさと寝るようになりました。この間の日曜日なんて、台風に備える意味もあって22時半には消灯していました。おかげで翌日午前中の休講情報(23時過ぎに配信)を見逃して寝てしまうという失態を演じました。無駄な6時起床…。
朝早く起きたり、日中頑張ればいいやという思考で「暗くなったら寝る」という良い子の思考がなぜか齢20にして根付きました。それまでは日付が変わってからお風呂に入るとか、夜中の1時まで電気をつけているとか、頻繁にあったのに。まさしくこれは人間の神秘です。

冷暖房も、眠りにつくまで適温になっていれば、あとは寝苦し過ぎない温度ならいいや…という感じで夜は1時間だけタイマーをかけて寝ます。でも大抵眠りに落ちる前に「もういいや、ポチッ」でタイマーガン無視で切ります。朝方の予約もしないので、南に大窓がある私の部屋はだいたい10時くらいになると夏は灼熱になり、天然の目覚ましになります(遅い)。
日中はなるべく家族と同じ部屋で過ごして稼働台数を減らす、使わない機器のプラグは抜いておく…ただの節電ですねこれは。

目に見える明らかな「無駄」を省く

細かいところで節約するのが好きなのだと思います。自分にとっての無駄を省くというか。
自分にとっての無駄を省くことで、自分の単なる満足感が満たされるだけなのですが、それがいいのでしょう。
もちろん自炊したといって、そのお弁当の価格が0円というわけではないことも分かっています。家計から出る食費の一部に、光熱費、巡り巡って人件費という考えにも及びます。それでも価格以上に自分に効用があるものなのです。

でもまあ、ペン1本にこだわってしまう生活はやめたほうがいいかもしれませんね。あと、昼食を抜いちゃう生活も。はい。

財布の紐を幾度も固結びした結果、生活がちょっと不便になった

生活のちょっとした無駄を気にかけるようになりました。これ、節倹の対象だなあ、みたいな感じです。
例えば、コンビニのレジの横で売っているホットスナック。大学生になって初めてその禁忌の扉を開いてしまい、美味しさに気づいてしまってどうなることかと思っていたのですが、この精神のおかげでどうにかなりました。
これを食べずとも私は生きていられる。むしろ油っぽかったら体によくないかもしれない。家に帰れば美味しいご飯が待ってる。高いし。よし、買わない。といった具合でしょうか。

確かにそれはちょっとだけ不便な生活です。
例えば、鍋に残ったひじきの欠片をとるのに少し時間もかかります。服のバリエーションが単調なので、朝少し迷うこともあります。友人にタピオカを買おうと誘われた時に断りきれなかったあの敗北感だって、罹患していなければもっと和らいだはずのものでしょう。
それでもきっと、しばらく私は財布の紐が固い人間として生活していくのだと思いますが、「ちょっと」不便なだけなので私にとっては何も問題ありません。そのうち「めんどくさい症候群」にかかれば、ひじきの欠片も取らなくなるし、衝動買いも増えるし、今よりもっと惰性のままに暮らすのだろうと思います。


…と書いたところでちょうどスマホの充電が100%になったのは偶然でしょうか(ばっちり大学で充電しています)。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。