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テレビと認知症

ふだんテレビを見ない。この茶番が始まるまでは、Eテレの一部をちょっと見ていたが、それも全く見なくなった。元日に姑がつけていた「芸能人格付けチェック!」をちらっと見たら、台本があって、そのとおりにやっているのがありありと見えて(ヤラセ)、とても不快だった。去年はそこまで思わなかったと思う、とあとで娘に言ったら、心が荒んでからそう見えるんだと言われた(笑)

自宅に帰ってきて、実家に電話した。1日中テレビにおもりをしてもらっている父が、液体を打ったかとまた聞いてくる。「前にも言ったじゃない、この話はしないって」と言ってもまだ食い下がってくる。あんまりしつこいから「おじいちゃんに、なんで私の健康情報を報告せなあかんの?」ときつめに言った。「素っ気ないな」と父は言った。

父はまた、姑が打たないのは私の差し金だと信じている。姑はそう決めていたけれど、一声ほしかったから私に意見を聞いただけだと何度か説明したのだけれど、頭に残らないらしい。

一昨年の秋、父は認知症に認定してもらって、行政サービスが受けられると喜んでいた。タダほど怖いものってないのに。母や近くに住む妹に、認知症の薬の添付文書を見せ、サリンと似たような作用機序であることも伝えたが、「どこに行っても同じ処方ですよ」と医者が言うからと私の話は却下された。私と同じ過ちをやっていると思ったけれど、もう、それ以上言うのをやめた。

母は薬のおかげで父がよくなったと言っている。電話口だけだが、私には、父が悪化したとしか思えない。もし、そう言ったら、それは歳だし、病状が進んだからで、薬のおかげでこの程度で済んでいると説明されるだろう。実家の手伝いもしない私には反論する資格はない。認知症の検査につれて行ったのは公務員の妹。弟も”認知症が進んだ”父に優しい息子だ。実家の面々は液体を皆打っている。

この先、不幸が訪れようが、共通するストーリーがあることが円満の秘訣だ。私は親不孝だと言われても、このストーリーにはつきあわない。私無しで完結してほしいと思う。

一方、姑の弟(おじさん)の奥さん(おばさん)が認知症だ。1日中テレビを見ているそうだ。薬を絶対に飲まないから、困った人だと非難されている。最近、おじさんも同じ事を繰り返し言うからヤバいとおじさんの息子が言う。それを聞いて、糖質過多で毎日12剤を口に放り込む姑が深くうなずく。「私はそんなことにはならない!」と思っているのが見て取れた。姑だって同じことを何度も言っている。薬を飲まず、1日1食の高齢者未満の私も同じことを何度も言っている。

この人たちから、「テレビ」「認知症」という虚構を取り去ったら、どんな世界が広がるのだろうか。

虚構の外にいる私にとっての”顧客”はこういう人たちだ。
虚構を完全無視して奉仕する。

虚構を完全無視するということは、虚構に振り回されて生み出された感情を無視するということだ。嬉しいも悲しいも辛いも腹が立つも・・・感情に寄り添わない。

虚構の中にいる人に奉仕すると言うが、その人のためというより、虚構に振り回される人間の愚かさと戦うことが目的だ。その結果として”顧客”が喜んでくれたらそれでいい。

私は、自分がバカであることが、長い間、コンプレックスだった。人生の後半に入って、人間の愚かさと戦うって、我ながら笑える。

この時代を生きる一人として、将来への禍根を少しでも減らそうと思えば、そうなる。私は子育てが終わったから、対象者(顧客)が高齢者ということになるけれど、あくまで次世代のためだ。だから、高齢者に喜んでもらうのは二の次になる。彼らもまた、時代の被害者だし、同朋として見捨てるわけにはいかないしね。



(タイトル画像:アムロ・カンチ・パワハラ これは3S政策だ!!! | ショージ・サエキのブログ (ameblo.jp) より)


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