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できることは必ずある / Myanmar’s Voices

はじめまして、Myanmar’s Voicesのりなと申します。大学4年生で、外国語学部でロシア語を専攻しています。

突然ですが、私たちMyanmar’s Voices(以下MV)の活動は3月をもって終わります。それに際し、グループの中では集大成として「ミャンマーに対する思い」をテーマに毎週投稿していこうという話になりました。
第1週目は私から始まります。


(ここから常体になります)
クーデター勃発から3年経ったミャンマー。報道はどんどん減少し、現地で民主化を今も叫び続ける人々の声も届くのは難しくなってきている。

MVではミャンマーの情勢や人々の声、文化などの情報を伝えることで、まずはミャンマーの現状に「気づいてもらう」、「知ってもらう」という入り口の部分を目的にしてきた。

そもそもこの活動を始めたきっかけは何なのか、また活動の中でどのようなことを感じていたのか、振り返りながら書いて、自分の中の思いを整理していこうと思う。

そもそもMyanmar’s Voices (以下MV)の活動を始めたきっかけは、3年前にミャンマーでクーデターが起きたとき、ミャンマー現地に友人を持つ友達に、ミャンマーのクーデターが起きてからの出来事を時系列にまとめる活動をしないかと誘いがあったことだ。
彼女はMVの現メンバーの一人で、ミャンマー現地の友人のSNSからクーデターの状況を知ったとのこと。

それまでミャンマーについてよく知らなかった私は、新しい地域を知ることへの興味と、混迷する情勢の中で私にもできることがあればやってみたいと思い、話を引き受けた。

ニュースを調べる程に、あまりにも理不尽で残酷な状況を知った。

民主化のために立ち向かい、拘束され、殺された人々

ただ外で遊んでいただけで殺された子供

国軍によって村一帯が燃やされ、森に逃げることを余儀なくされた家族

学校の教育の機会が奪われた子供たち

仕事を放棄せざるを得ない人々

国軍に生活を脅かされ、家から出られない人々

ニュースを聞くたびに、憤りと悲しみでいっぱいになった。

2021/3/3 軍勢力と市民が対抗した(Myanmar Now)
2021 抵抗のシンボルの三本指を掲げた
市民のプロテスト(The Guardian)
2021/10/29 Thantlangの町が国軍に
よって爆撃された (Myanmar Now)
2021/4/2 実弾の発砲により多くの人亡くなる中
で行われた無人の静かな抵抗(The Irrawaddy)


私にはミャンマー人の友達がいた。彼はいつも思いやりが深く、自分が大変な状況にいながらも、「いつも頑張っているから」と体調や健康など私の心配してくれたり、人の幸せを願うような優しい子だった。

だけど、国軍が釈放された多くの囚人が彼の家の前を通り、彼が怯えていたとき、私はただ「無事でいて」と言葉をかけるしかできなかった。彼の友達が撃たれて亡くなったときも、何も言うことができず、かろうじて出た言葉も、全て空虚に思われた。

なんでこんな優しい子が苦しく、辛い思いをしなければならないのかと思った。彼だけでなく、罪のないミャンマー人がなぜ自由を、命を奪われなければならないのか。日に日に亡くなっていく人々は国軍にとってただ積み重なっていく数字でしかないのか。

私には何ができるのか。遠い国のミャンマーに対してできることはなく、無力でしかないのか。


できることは必ずある


そんなことはない。私たちの世代には、SNSという武器がある。SNSを通して、世界にミャンマーの現状を周りに伝えることができる。ミャンマーの人々は今も命がけで路上でデモを行ったり、声を上げ続けている。それを拾い上げ、広めていくことが私たちに今できることである。

そう思って、MV ではクーデターに関するニュースのまとめの発信を行ってきた。まずは、周りの人に一人でも多く「ミャンマーの状況に気づいてもらい」、関心のきっかけを作ることが大事であると考えた。そして、事実を伝えていくことで、その入り口を作り出していけたらと思った。

また、発信することで、ミャンマーがただ「クーデターが起こる危険な国」というイメージを作ってしまわないよう、文化投稿も重要な位置付けとしてきた。政治の前に、ミャンマーが固有の美しい文化を持つ素敵な国であることを多くの人にも知ってもらいたいたかったから。

「ミャンマーの詳細な情報を知ることができた」という言葉から、ミャンマーを知る些細なきっかけや情報源になれているのだと実感した。

また、民主化のために闘うミャンマー人を知ってもらうためのイベントに参加し、少しであるがスピーカーとしてミャンマーの現状を伝えたり、在日ミャンマー人の人々とともに反軍事デモに参加し、民主化を求めるスローガンを叫ぶことなども行った。これらを通して、ミャンマーを支援するネットワークを広げることができた。

結局、私たちにはできることはたくさんある。決して無力なんかじゃない。小さなことでもいい、私たちにできることを、少しずつ積み重ねる。それがミャンマーの支援に繋がっていると信じている。

MVの活動が終わっても、私個人でもミャンマーと関わり続けて、できることは続けていきたい。いつか、ミャンマーに足を踏み入れることも私の夢である。このクーデターを機にではあるが、知り合ったミャンマーの人々に会えるように。穏やかな人々が暮らすと言われるミャンマー。一刻も早く平和が訪れますように。

ミャンマーだけでなく、ウクライナやパレスチナ、今も紛争が続く地域など、誰しもがいきなり遠い地の関わりのない国に関心を持ち、人々に思いを馳せるのは難しい。だけど、そこにいるのは、私たちと同じ人間で、同じ命。私たちに大切な人がいるように、彼らにも大切な人がいる。

関心を持つこと、耳を傾けること、心を寄せること、それが平和に繋がるヒントだと思う。そして、何かを感じたなら、ぜひアクションを起こしてほしい。それが集まれば大きな力になり得る。


最後に


これまでMVの投稿を見てくださった方、ありがとうございました。少しでも、ミャンマーを知るきっかけになっていたらと思います。
今、「ミャンマーに対して、何かしたいが、何ができるのか」と考えている方もいらっしゃると思います。それに対して、何かのヒントになればと思い、今私たちがミャンマーにできることを考えて書いてみたので、見ていただけたらなと思います。

また、MVはミャンマー人や私たちが作ったアートワークを保存しています。民主化の叫びがクリエイティブという手段で表現されています。ポスターから、人々の抵抗の意思や、アートも軍政への重要な対抗手段であることが読み取れると思います。下記からダウンロード可能なので、ミャンマーへの支援の思いとして、シェアしていただけたら嬉しいです。


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