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私たちの意識は、結局物理法則に従っているだけなのか?

「今、この宇宙の物理法則が、このペンを勝手に走らせています」と言ったら変に思われるかもしれません。

0. 導入

先日、大学のキャンパスの向かいにある定食屋さんで先輩とランチを食べたんですね。その時、先輩は

「うーん、今日は何となく、チキン南蛮定食にしようかな」

と言ったのですが、注文した後にメニューを片付けると、メニューの下には
「チキン南蛮定食、本日50円引き!」の張り紙が。それを見た先輩はガッカリした様子で、

「意識してなかったけど、確かに俺はメニューを見る前にこの張り紙を見た…見たんだよ。こういうことがある度に、自分には自由意志ってないんだなってガッカリする」

と言いました。張り紙が無意識に目に入って、その潜在意識に意思決定を支配された、ということですね。

そこで、ちょうど工学部で脳神経科学をかじっていたのもあり、理論物理のお話が好きなのもあり、ここで自由意志・決定論の科学における議論について、整理してみたくなりました。

物理素人なりに頑張りますね。理論物理が専門の方は暖かく見守っていただきたいです。

最初の方は物理による決定論解釈の歴史を長々と述べているので、気になる方は「3. じゃあ、やっと自由意志」まで飛ばしてください。

1. まず、古典力学と決定論

自由意志とは何かを議論する前に、理論物理学の文脈で主張される決定論とは何かについて整理しておきます。

中学物理で習うように、一般にニュートンやガリレイによって打ち立てられてきた古典力学においては、ニュートンの三法則*と呼ばれる原理が存在し、基本的にはこの三原理を用いることで、あらゆる力学現象を追跡できます。

* 慣性の法則、運動の法則(ma=F)、作用・反作用の法則

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例えば質点とみなしたボールに重力のみがかかる、上のような理想的な状態を考えます。

t = 0, x = x0において手をボールからそっと離した(v0 = 0)として、時刻tにおけるボールの位置は、初期条件と運動方程式、微分積分を用いて次のように計算できます(高校物理、説明は省きます)。

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くどい式変形をしましたが、こうしてボールの位置は完全に時間追跡できることになります。あらゆる古典力学の問題は、このように以下のプロセスで解決できます。

1. 物体にかかる力を全て見極める
2. 初期状態を明らかにする
3. 運動方程式を数学で解いて時間追跡する(あるいは力学的エネルギーで解く)

物理の理論体系を記述する言語は数学であり、人間が築き上げたものである数学によってこの世界の現象を解析し再現性を獲得できるというのは、最も感激的な神秘の一つです。古典力学で用いる数学はほとんど微分・積分(微分方程式)ですが、物理現象のうち解析的に解ける(人間の手で式変形により解くこと)のは稀で、一般的にはコンピュータによる数値計算を必要とします。

さて、ボールの例で見たのは、x = x0 においてボールから手をそっと離したならは、ボールは、先ほどの式の形で見たような落ち方を必然的にする、ということでした。あの式の形に従う以外に、どんな他の未来もあり得ないのです。

基本的にはどんな複雑な物理現象であれ、現象に関与するあらゆる物質の初期状態と、それらに作用する力が分かれば、あとは数学を解くことにより、その後の様子は任意の時間について理論上は予測できるわけです。このように古典力学は、"ある時刻の系の状態が与えられれば、それ以後あるいは以前の系の状態が必然的かつ一意的に決定する" という因果律を支持します。

これは、この世界全体に対しても同様のことが言えます。

この世に存在するあらゆる物質の状態を把握し、この世の物理法則を完全に把握している存在(ラプラスの悪魔)を仮定すれば、この宇宙の次の状態が(そして帰納的には永遠の未来までが)完全に予測でき、「決定」していることになる — これを古典力学における決定論と呼びます。こうして、あらゆる自然現象は物体の機械的な運動に還元されて説明されるようになり、機械論的自然観が確立されることになりました。

2. 古典力学的決定論の崩壊

先ほどまでに見た古典力学は、地球上で起きるマクロな現象を記述するには十分でした。しかし1920年代半ば頃から、光や原子を研究し始めると、あまり注目してこなかったミクロなスケールの世界における物理現象は、これまでの常識とは遥かにかけ離れた不思議な挙動をすることが分かりました。こうして原子や素粒子など、微視的(ミクロ)な世界の現象を扱う理論体系として構築されたのが量子力学です。

19世紀末になると、これまで(ヤングの干渉の実験から)「波」とみなされていた光について、ある奇妙な現象が見つかりました。それは「光電効果」といい、「金属に光をあてると、金属中の電子が光からエネルギーをもらって外に飛び出す」という現象です。この現象は光が波ではなく粒でないと説明がつかず、アインシュタインは、1905年に発表した論文にて「光量子仮説」と呼ばれる理論を提唱し、光は粒子ともみなせる(=光子)としました(この論文でアインシュタインはノーベル物理学賞を受賞)。

そこから、アインシュタインの光量子仮説に影響を受けたフランスの物理学者、ド・ブロイは、1923年に「電子などの素粒子は波と粒子の二面性を持つ」と仮定し、既存の原子モデルが持っていた電子のエネルギーに関する矛盾を解決します。これを礎に、オーストリアの物理学者シュレディンガーは、原子において電子の波の形状(=電子軌道)を時間追跡するためのシュレディンガー方程式を構築しました。

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シュレディンガー方程式

そこから、微視的なスケールにおける電子や原子などの粒子の振る舞いに関して、奇妙な現象が次々と発見されます。

例えば、電子の二重スリット実験。下の図のように、電子銃を使って、粒であるはずの電子を、二つのスリットの先にあるスクリーンをめがけて発射していきます。電子が単純な粒子なら、スクリーン上にはスリットの真後のみに電子の跡が残るでしょう。ところが、銃を連続して発射すると、スクリーンには干渉縞(シマシマ模様)が表れるのです。干渉縞は、電子が波であるという証拠です。

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イメージソース: Wikipedia)

となると、一つの粒子として発射した電子がどちらのスリットを通ったのかを観測するために、*両方のスリットにセンサを設置して確かめてみたくなりますよね。

すると、なんと、先ほどまで干渉縞を作っていた電子が、今度は粒子になって、スリットの真後ろにしか跡を残さなくなるのです。このように、量子は「観測すると波が収縮して粒子になる」という重要な性質を持ち、これを「波動の収縮」と呼びます(*実は片方のスリットにセンサを置くだけでも波は収縮する)。

波動の収縮については、「観測を行う人間の意識が関与している」などの説も提唱されましたが、現在メジャーなコペンハーゲン解釈においては、「観測」とは「ミクロな粒子がマクロな痕跡を作り出すこと、すなわち膨大な数の粒子に対して元に戻すことができない影響を与えること」とされ、これが波動の収縮を起こすとされています。

また、もう一つ量子の不思議な性質として、不確定性原理があります。これは狭義には、量子の「位置」と「運動量(質量×速度)」は同時に決定できない、という法則を指します。ただ、この法則に関しては誤解も多いようで、僕自身も正しく理解しているのか自信がないので、興味のある方は是非調べて見てください。

このように、量子的な世界における現象は、古典力学の常識を大きく破るものであり、同時に、「不確定」「確率的」といった量子現象の性質は、古典力学によって確立された決定論に疑問を提示しました。ラプラスの悪魔でも、未来は予測できない。自ら量子力学の発端を作ったはずのアインシュタインでさえ、決定論の支持者であったことから、「神はサイコロを振らない」といって量子力学の不確実性を批判したのは有名です。

しかし、ここから考えたいのは、「じゃあ、それでも自由意志は存在するのか?」という問題です。物理学と脳科学が交差する美しい場所ですね。

3. じゃあ、やっと自由意志

生体現象としての脳活動*は、神経細胞(ニューロン)、イオンチャネル等の活動に帰属することができ、究極的に突き詰めれば電子や原子、さらには素粒子一つ一つの運動に寄与することができます。

*今や昆虫の脳くらいだったら、京コンピュータなどの超並列スパコンを使って完全なリアルタイムシミュレーションが出来るそうです(論文リンク)。

だとすれば、「我思うゆえに我あり」と言ったデカルトの発言も虚しく、そう思う「意識」ですらも、素粒子の一つ一つの運動に寄与でき、それらの運動はこの世界の物理法則に支配されていることを否定できません(唯物論)。

自由意志の存在を危機的状況に陥れた有名な実験として、ベンジャミン・リベットの実験というのがあります。

被験者には、ボタンを押したいときにいつでも押すように言います。ただし、「ボタンを押したい」と思ったときの、時計の針の目盛りを伝えるように言います。その際の衝撃的な実験結果がこちらです。

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イメージソース:The Information Philosopher

被験者がボタンを押す約0.2秒前に「ボタンを押したい」という意識が発生しているのですが、なんとその約0.3秒前には、すでに無意識下で「ボタンを押す」ための脳活動が始まっていることが計測されました。WIRED.jpでも触れられていますね。

この実験は決定論の支持者により、「意識」は幻想であるとの根拠にされましたが、リベット自身は、意識的な決定から実際に行為を行うまでの0.2秒間の間に、我々に行為をキャンセルする自由意志が与えられている、と主張しました。「自由意志」の存在が危うくなると、哲学上、倫理的に振る舞う動機を失い、人間がモラルに反する動向を示す危険性が高くなります。

4. 自由意志の救済はできるか?

じゃあ、決定論的な世界観に縛られない自由意志はいかにして定義できるか?という問題ですが、量子力学の不確定性/確率性に由来して、人間の意識は系が持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方もあり、これを量子脳理論と呼ぶそうです。この理論はほぼ、自由意志の救済目的でしょう。

確かに、生命現象の本質を辿ると、不確実性やゆらぎに行きつくのは有名です。ゆらぎは生命システムの普遍的特性であり、遺伝子発現、細胞分裂周期、細胞内振動、長期記憶の形成、細胞寿命、一卵性双生児の指紋、クローン猫の模様などは「確率性」を持ちます。また、神経活動を司るイオンチャネルの開閉も確率性を持つことが知られています。

人工で意識を作ることがまだできていない理由の一つとして、コンピュータをはじめとする工学システムが決定論的挙動をするのに対して、生命システムは確率的挙動を持ち、高いノイズ耐性、汎化性、適応性を持つことが言われています。生命システムは、遺伝的に同一な細胞集団でも個々の細胞の振る舞いは異なるのに、全体としては安定に機能する、そんな神秘を持っています。

だから、脳内の量子現象に「意識」が介在する — 確かに分からなくもない気がします。意識が「確率」を左右させることができる、と。

5. 僕の意見

結論から言うと、僕は量子力学を含めた決定論・唯物論を支持しています。つまり、「物理法則の枠外にある何か」としての自由意志は信じていません。

まず、ベンジャミン・リベットによる自由意志の主張について。

この実験の結果をよく見つめないと分かりませんが、「キャンセルする自由意志」とは実に人間的で、非対称的である気がします。「行為をキャンセルするための脳活動」ですらも無意識下で始まっていて、それが信号として検出できていないだけであったり(別の脳部位を測定していたなど)。だから僕は、この0.2秒間における自由意志についてはそんなに信じていません。

次に、量子脳理論について。これも実はそんなに信じられません。意識が量子現象をコントロールする力を持つとして、一体、現象をコントロールする主体であるその意識は何で出来ているの?と考えてしまうからです。ダークマターでしょうか?あるいは量子における確率性が「自由意志」を生成するとして、AIに真のランダムネスを導入すれば、それが「意志」になるでしょうか?確率的挙動をするからと言って、それが物理法則を超えた神秘的な何かによる主体的選択であるということにはなりません。

僕は決定論をそれなりに受け入れられるというか、意識が物理法則に支配されているとわかったところで、人間は「意識」「自由意志」を感じるようにプログラムされていると思うので、人生を相変わらず楽しめる気がします。意志が物理法則に支配されているからといって、自暴自棄になろうとも思いません。自由意志がないことに絶望できるほど、脳がその深淵な問題に思考を張り巡らすことができないというか、やっぱり体は自由意志が存在しないことを受け入れられない、ということなんでしょうか。物理法則と合体しながらも、自由を感じながら生きることが出来る、ということにむしろ感動します。だって、我々の心は物理法則に支配されている可能性があるとは到底思えないくらい、豊かで、「自由」です。

僕は個人的には、人間が創り出した数学という言語でこの世界の現象を理解できるのはものすごい神秘だと思います。ただ一方で、「宇宙が理解できるのは、観測の主体が人間だから。数学の対象は、人間が直接的ないしは間接的に観測できる現象に限られているから」というある種の人間原理をどこかで信じているのもあり、宇宙は本当は「一意に定まる法則」を持っているんじゃなくて、「無限通りの法則」を持っているんじゃないかな、と思っています。そのうちたまたま一つの法則で記述された宇宙に我々人間が住んでいて、その宇宙を観測しているから数学によって世界を理解できるのではないでしょうか?

これまで多くの数学者・物理学者たちは、「法則を定めた神」を導入して、宇宙の法則の一意性を解釈してきました。何かをお願いして助けてくれる神様、という意味ではなく、万物創造の神として、という意味です。また、キリスト教における物理学では、「最後の審判まで、神が定めたルールによって世界が動く」、そして「神が定めたルールはきっと美しいはずだ」という仮定のもとに、理論の構築が進められたと高校の時に聞いたことがあります。

何れにせよ、好奇心をワクワクさせられるテーマですね。

6. お礼

ここまで長く読んでくださった皆さん、ありがとうございました。知識が不足しているところなどは、遠慮なくコメントでご教授願います。それかTwitterのDMでこっそりと教えていただければ。

最後に、このテーマに関する良書や参考文献をいくつか紹介して終わりにしたいと思います。

村山斉さんに代わって、最近、世界の物理学研究の権威であるカブリ数物連携宇宙研究機構の機構長になった大栗博司先生と、脳科学で有名な池谷裕二先生の、自由意志に関する対談内容がここに掲載されており、非常に興味深いです。

統合情報理論を導入して、意識の定量化を試みたという点で重要だと思います

自由意志についてこれまでになく分かりやすくまとめてあるブログ

あのシュレディンガーが著した生命に関する考察の名著。

工学部マインドで脳科学に挑戦できる良書、割と普通に専門書です。

追記:note公開後、友人からの勧めで教えていただきました。こちらも心の哲学をはじめとして、自由意志について深く論じているそうです。読んでみます。


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