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刀剣乱舞ONLINEにおける「本歌」と「本科」 〜山姥切国広、昭和からの記憶しか持っていない説〜

 刀剣乱舞ゲーム内での「本歌」と「本科」の使い分けについてクソめんどオタクの呟きを投稿したところ、「「本科」が使われ始めたのは昭和から」という旨の反応を頂きました。
 「本科」の歴史の浅さに驚き、よし調べてみっか! と漁ったこと、考えたことをまとめてみました。これはそういう記事です。
 あくまでも、ググって辞書と出典(ソース)を見つけてそれを引っ張ってきて並べただけの、考察とは到底言えないものです。ですが、これが誰かの新たな考察のきっかけになれれば幸いに思います。

※当記事には、山姥切国広の手紙および山姥切長義の一部セリフのバレが含まれます。
※当記事は可能な限り資料ベースでの提示と整理をするものです。
※当記事では山姥切伝承の変異について、一切の考察をするものではありません。
※その他あらゆる解釈を否定するものではないと同時に、あらゆる地雷に配慮するものでもありません。



前提

 『刀剣乱舞ONLINE』原作ゲーム内において、「本歌」と「本科」は明確に使い分けられています。
 山姥切国広の手紙において「本科」。

写しの俺が、本科の存在感を食ってしまったようなものだ。

『刀剣乱舞ONLINE』山姥切国広 手紙 二通目より引用

俺が山姥を斬ったという伝説、本科が山姥を斬ったという伝説、そのどちらも存在しているんだ。

『刀剣乱舞ONLINE』山姥切国広 手紙 三通目より引用

 山姥切長義の聚楽第初回報酬入手セリフ・その他入手セリフ・刀帳において「本歌」。
 該当箇所は全て同じ言い回しになっています。

俺こそが長義が打った本歌、山姥切。

『刀剣乱舞ONLINE』山姥切長義 各種入手セリフ・刀帳より引用

 まずは一般的に使われる「本歌」の意味からおさらいしましょう。「本歌取り」という和歌の表現技法があります。優れた作品の要素を意図的に取り入れる技法で、パロディやオマージュ、リスペクト作と言うと分かりやすいかと思います。

 こと刀剣乱舞におけるふたつの山姥切(以下伯仲と称します)界隈では「「本歌取り」が語源」と言われがちですが、「本歌取り」の言葉自体は後世のもので、古くからパロディ作品に対するオリジナル作品を指して「本歌」と称していたそうです。(なので語源とするのは厳密には誤りと言えるでしょう。)
 この概念は和歌に限らず、日本の芸術分野では、パロディ作品を「写し」、そのオリジナル作品を「本歌」と言い、広く知られているようです。元々私は陶芸や水墨画にこの概念があることを知っており、また当記事を書くにあたって調べていたところ、花道にもあると知って驚きました。
 刀剣の世界においては、優れた刀剣をお手本にした刀(写し)を打つに際して、元となった刀剣を「本歌」と称しています。

 次に、一般的に使われる「本科」の意味をおさらいします。
 もっぱら学校教育課程の用語に終始しており、「本歌」に通ずるところは見当たりません。

 この記事では、後述しますが「本歌」と「本科」は同じものを指すものとして扱いますので、いったんこれは忘れちゃってください。

余談
 ご指摘をいただきましたので、Wikipediaも軽く検索してきました。私個人の考えですが、Wikipediaは玉石混淆の度合いが激しく、こういった調査においてあまり信用をしておりません。以下は話半分で受け取り、話半分で書いております点、ご留意くださると幸いです。
 「本歌」の項目なし、「本歌取」は和歌に終始。
 「写し」の項目では「本科は誤用」とありますが、その根拠(出典)がなく、記事のみでは信憑性に乏しいと考えますが…、状況的に誤用である、程度には考えていいでしょう。当記事はあくまで使われ始めた時期に焦点を当てるものでありますので、それが誤用であったかどうかはひとまず置いておきたいと思います。

 どちらの記事も最終更新が年単位ですし出典に乏しいですが、ふんわり概要を把握するにはじゅうぶんだと思います。


刀剣界の「本歌」と「本科」

 では刀剣界における「本歌」と「本科」の違いとは?
 結論から言うと、違いはありません。現代では全く同じ意味として扱われています。名刀幻想辞典さんのページが分かりやすいと思います。

 しかし原作ゲーム内ではっきりと使い分けがされている以上、そこに意味を見出したくなるのがオタクの性。そこで今回こねくり回すのが、「本科」が使われ始めた時期というわけです。
 当記事のきっかけとなった、「「本科」が使われ始めたのは昭和から」というおはなし。これに関しての出典ですが、Google先生の手の届く範囲内には見当たらなかったものの、出典自体は判明しました。綴虚堂セツカ氏の自費出版『水晶ノ粉ヲ以テ-国広研究の変遷から本丸の彼らを考える-』です。こちらは終売されたため、再編集版の『水晶ノ粉ヲ以テ 刀工堀川国広にまつわる認識の変化を追う』をご紹介します。(が、こちらも完売ステータスです。)

刀工国広に関する諸説は、今も有効なものから古すぎるものまで各種が入り乱れています。 この本では明治から現代までの「諸説」を、ある程度有効なもの、古すぎるもの、諸説と呼ぶのも微妙な風説の類いに分類・整理しました。 また、具体的な刀剣作品の評価・言説の変化も追いかけています。

『水晶ノ粉ヲ以テ 刀工堀川国広にまつわる認識の変化を追う』BOOTH商品説明より引用

 『水晶ノ粉ヲ以テ 刀工堀川国広にまつわる認識の変化を追う』は自費出版によるまとめ本で、後述する『徳川美術館 金鯱叢書 第47輯「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討』でも信頼できる情報として扱われています。
 当該書籍は先述の通り完売されたため、自分で確認することはかなわなかったのですが、mtk氏のpixiv『山姥切達についての個人的解釈~考察風~』にて以下の記述が確認できました。(孫引きとなってしまうことをお許し下さい。)

国広考察の非公式ファンブック(綴虚堂 セツカ著「水晶ノ粉ヲ以テ ー国広研究の変遷から本丸の彼らを考えるー」)に、「昭和の刀剣本に限っては、通常「本科」が用いられている」、という記述がありましたので、

pixiv『山姥切達についての個人的解釈~考察風~』より引用

 またmtk氏ご自身の調査によって、確認できる中で「本科」が用いられた最古の文献も判明しており、

つまり、1900年代ごろから使われ始めた言葉なのではないか?

pixiv『山姥切達についての個人的解釈~考察風~』より引用

 とmtk氏は考えられたようです。

 対して「本歌」は和歌の歴史と共にある古い言葉であり、刀剣界以外の芸術分野では「本歌」と表記します。
 「本歌取り」の意味合いで「本科」と表記するのは、少なくともGoogle先生の手の届く範囲では、刀剣界以外にないようです。検索してみた感想としても、かなり異質な表記だと感じました。


昭和の刀剣界

 では昭和ごろの刀剣界でなにがあったのか。この疑問に「山姥切国広」を足せば、容易に推測ができます。
 伯仲オタクにとっての問題児『日本刀大鑑』の刊行(全7巻・昭和41〜47年)。これでしょう、と私は思うのです。
 これは本間順治・佐藤貫一両氏刀剣研究の重鎮が編纂した、事実上の刀剣評価の定本とされている書籍です。ちなみに全7巻のうち『新刀篇一』のみ無料でpdfが公開されているのですが、なんとこれに山姥切国広が掲載されています。

 当該書籍のふたつの山姥切に関する問題点に関して、『徳川美術館 金鯱叢書 第47輯「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討』に詳細が解説されています。

 これは2019年5月に徳川美術館で行われた特別講座を一部修正・加筆してまとめたもので、pdfが無料で公開されています。定説、つまり原作ゲームで採用されている説と食い違うことが書かれておりますが、そこを含め非常に興味深い論文ですので、伯仲のオタクはぜひ(是が非でもの意)読んでください。
 この論文中で、本作長義(以下58字略)および山姥切国広の経歴が細かに紹介されています。この中から当記事で必要な点のみを、簡潔に挙げます。

  1. 山姥切国広が初めて世間に紹介されたのは昭和3年(1928年)に内田疎天・加島勲両氏が刊行した『新刀名作集』によるもので、当時山姥切国広は行方不明で、焼失したものとされていた。

  2. 本間順治・佐藤貫一両氏が代表を務める財団法人が編纂した『國廣大鍳』が昭和29年(1954年)に刊行された際も、焼失説は揺らいでいなかった。

  3. 佐藤貫一(寒山)氏著『寒山刀話』によると、昭和35年(1960年)に本間順治氏によって山姥切国広の現存が確認され、以後本間順治・佐藤貫一両氏によって積極的に紹介された。

  4. 昭和41年(1966年)に本間順治・佐藤貫一両氏の監修で『日本刀大鑑 新刀篇一』が刊行された。

 各項目について、山姥切伝説の変異含め詳細は取扱いませんので、ぜひ(是が非でもの意)元のpdfを読んでください。
 上に挙げた4点はつまり、山姥切国広が刀剣界にデビューした時期がそもそも昭和になってからということです。


国広くん、記憶がはっきりしているのは昭和から…?

 刀剣界で「本科」が使われ始めたとされるのが昭和、山姥切国広がお披露目されたのも昭和。
 つまり、『刀剣乱舞ONLINE』の刀剣男士 山姥切国広は、昭和以降の記憶しか持っておらず、したがって彼にとって馴染み深い昭和以降の表記である「本科」を使用しているのだと、私はそう考えます。

 さすがにもうちょっとだけ補足します。
 「デビューした時期が昭和」と書きましたが、存在自体は遅くとも大正9年(1920年)には確認されています。上に挙げた『新刀名作集』および『國廣大鍳』に掲載された押形がそれです。

大正九年(一九二◯)十月二十五日に刀剣研究科・杉原祥造氏が拝見した際にとった押形が掲載され、

『徳川美術館 金鯱叢書 第47輯「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討』より引用

 とはいえ当時の知名度は皆無だったと思われます。
 大正14年(1925年)、室津鯨太郎著『刀剣雑話』では國廣の足跡を辿る際の考察として、布袋国広と本作長義(以下58字略)を挙げ、以下のように書かれています。

此の二つの刀は其銘振に於て國廣の銘である事は一點の疑もありません。其他に好材料がありませんから、右の二つの刀に依て私は研究を進めて行くの他はありません。

『刀剣雑話』二、足利学校其他の考察より引用

 著者である室津鯨太郎(川口陟)氏は、本阿弥家に師事し、多数の刀剣本を出版した人で、つまり刀剣にめちゃくちゃ詳しい人ということです。
 そんな人が大正14年時点で山姥切国広の存在を知らなかった(國廣の足跡を追うのに布袋国広と本作長義(以下58字略)以外に「好材料がありません」としている)のです。まして大正12年(1923年)の関東大震災で失われたとされていた刀なのですから。
 それが昭和3年(1928年)、『新刀名作集』に押形が掲載され、再発見を経て、昭和41年(1966年)の『日本刀大鑑 新刀篇一』で急激に知名度が上がったわけです。
 ですから「デビューした時期が昭和」。
 また、押形がとられた大正9年(1920年)というのも、上で言及した、「本科」が用いられた最古の文献との齟齬は少ないと思います。(これに関してはさすがに偶然でしょうけども。)

 以上が、山姥切国広が昭和以降の記憶しか持っていないと考える根拠です。
 もし他にも、昭和以降に認知が広まった刀剣が実装されているならば、その刀剣男士も「本科」を使うのかもしれません。私はちょっとそこまで調べる気力はないのですが、新刀・新々刀が推しの審神者さんはちょっくら経歴を調べてみると楽しいかもですね。
 そんなわけで、現在手の届く範囲で昭和ごろの刀剣本のテキストを漁っていたりします。ひとまず『日本刀大鑑 新刀篇一』のテキストに「本歌」および「本科」の文字は見当たりませんでしたが、ざっとさらっただけなので見落としの可能性は大いにあります。
 今後も可能な範囲で書籍を漁っていきたいなという意欲は強いです。頑張るぞい。


おわりに

 そもそもは厄介オタクの「マンバチャンは「本科」、チョギチャンは「本歌」を、原作ゲーム内で!! 使っているんです!!!」というクソめんど主張から始まった旅でしたが、結果として多数の価値ある読み物に出会えまして、個人的に満足しています。睡眠時間は消えました。サンキュー。
 ひとつ懸念点を挙げるなら、そもそもただの表記揺れである…という可能性ですかね。山姥切国広【極】の実装で手紙のテキストに「本科」と書いたものの、ユーザーから「本歌取りの「本歌」なので誤字では?」などの指摘があり、山姥切長義実装時には「本歌」とした、という説です。しかし刀剣乱舞は誤字修正の実績を持ちますので(例:うまんい!)、この説の場合、伴って手紙の「本科」も「本歌」に修正しているだろうと考えられます。したがって、やはり意図的に使い分けている説を、私は推します。

 拙文ここまで読んでくださったこと、深く感謝いたします。
 誤字・脱字・誤用などのご指摘はいつでも大歓迎です。
 また、当記事のテーマである「「本科」が刀剣界で使われるようになった時期」に関する情報提供なども、喜んでお受けします。ただし申し訳ありませんがその際、全ての書籍を入手して確認したり、図書館等で現物を確認したり出来るかの保証は致しかねることは、どうかご了承ください。