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失敗も、逃げたことも、共有させて。

「学生時代に困難を乗り越えたことを教えてください。」
「学生時代に挑戦したこと(結果を含む)を教えてください。」

就活をする中で、このようなエントリーシートの質問が多い。

企業は、こういう質問を通して学生の能力やキャラクターを知ろうとする。
目的に関しては、全く異論はない。
(これだけで20年間弱生きてきた一人の学生を知ることはほとんど不可能だとは思うけども。)


個人的に気になるのは、「乗り越えたこと」「(結果を含む)」というような部分だ。

もちろん「どう乗り越えたか」ということを知ることで、困難に対してどのようなアプローチをしたかを知ることができる。
「結果」を出すことで、どれだけ結果に対して執着を持ってやったのかや、その人の能力を判断できる。


ただ、それを全ての人に”前提”として、求めることに少し違和感を感じる。

人生、いろんなことがあると思う。少なくとも自分はそう感じている。
楽しいことよりも大変なこと・辛いことの方が多いようにも感じる。

そのような困難に対して、乗り越えられないまま時間が解決したりする、もしくはそこから逃げてしまったり、結果が出せずに失敗に終わることだって沢山あると思うのだ。

だから、乗り越えた・結果がでたという成功の部分ばかりをフォーカスするというのは、なんだか悲しいなと感じる。
成功体験の場面だけ見ようとすると、学生の「本来の姿」より「飾った姿」ばかり見えてしまう危険性があるように思えてくる。

成功体験そのものが悪いというのではなく、その部分”ばかり見る”ということがナンセンスなのでは、ということ。


自分自身、うまくいかないことを沢山経験したし、今だって沢山ある。
自分の弱い心に負けてしまって、失敗したこと。向き合えなかったこと。
自分は精一杯やったけど、それでも成果が出せなかったこと。
自分なりにはすごく頑張ったとしても、他の人からしてみれば「大したことない」と感じられることもある。

自分の中では、どの経験も振り返ってみれば全て意味があったと捉えているし、無駄じゃなかったのかもって思える。
うまくいかない時の方が学ぶことも多かったりする。

けど、エントリーシートはそんなこと求めていない。
もっとギラギラ輝いているところだけを見たいらしい。


もちろん、全ての企業がそういうわけじゃない。挫折経験も一つの質問として存在している。真摯に学生に向き合ってくれる人たちも沢山いる。

頑張らないことを是とはしていない。できるなら、困難を乗り越えた方がその先の素晴らしい景色を見ることができると思う。結果を出すこと、その途中の必死の努力も全部大事だと思う。何があっても負けないことは、それだけで幸福なことだと思う。


自分自身もしっかり、自分らしく頑張っていきます。
けど、自分の偏りすぎた尺度で相手の人格や生き方を決めつけたりすることはしないようにしていきたい。




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