老害について考えた

前回の少子高齢化の記事から時間が空いてしまった。
この間に何をしていたかと言えば、色々やっていた。

自宅で作業をしたり振込をしたり連絡をしたりライブをやったりしていた

だがこれはアクティブな活動方面をピックアップして書いているのでフェアではない。
人が普段あえて言わない方面のみピックアップしてみよう。

お風呂に入ったりご飯を食べたりベッドで寝たり一服したりコーヒーを飲んだりYouTubeを見たりしていた

なんと。
ここだけ拾うと世間で言う「何もしてなかった」の部類に入るではないか。
いやいや、色々していた!
それなりに忙しくしていたのだ!

誰かに何か言われたわけでもないのに一人で興奮してしまった。

さても今回のお題は「老害」だ。
世間では年長者が横柄に振る舞う様を総じて「老害」と呼んでいる。
これは食害(野生動物が作物などを食べてしまう)や塩害((海の塩によって何かがダメになってしまう)などの「○害」に準えてこう呼ばれているのだろう。

さてまずは「老害」の「老」について考えてみよう。
この場合の老は「老いている者」を指す。

85歳。

一般的に言って老いている。
だが92歳が85歳に向かって「老害だ」とは言わない。
もし言う場合は世間一般の視点をもってしてその言葉を使う程度だろう。

「あいつはあんな事やってたら若者から老害だって言われてしまうよのう」

的なアレだ。
だとしたら、やはり基本的には老害イコール「自分より老いた者がもたらす害」といったところか。

そうなって来ると、三歳児は二歳児に比べて老いた者なので二歳児の
「あいついつも『アンパンマンのパン工場』のおもちゃを独占しやがって老害め」
という言説は成立する事となる。
とどのつまりは「自分より年上のものがもたらす害」は全て老害といった考え方は出来る。

一方で「古い価値観を基準にしているので若者にもそれを強要する」という意味合いもありそうだ。
待てよ。本当に古い価値観=悪と言い切れるのか?
ここはあえて老いた者を基準に考えてみよう。

「今まではこうやっていたのに、今はコンピーターとやらで簡単に出来るらしい。今時の若いのは苦労を知らないから技術が身につかない。そんなわけのわからない現代のものを使わずにわしらの頃のやり方に合わせろ!」

おお。我ながら良い参考文が出来た。

老いた者基準だった場合「ワケわからん最新の技術をわしらに覚えろと言って来る。今までこのやり方で良かったのに」となるだろうか。
この目線で言うならば、老いた者にとって若者は「若害(じゃくがい)」となる。何しろ自分のわからない事を押し付けて来るのだから。

おっと。ちょっと見えて来た。

どちらにも「価値観を相手に押し付ける」と言う行為が関わって来る。

確かに同い年で年収が高い方が「お前の年収って何?俺の時給?」的な事を言ったり「そんなに働いて稼いでもお金で幸せになれるわけではない」と言ってみたり。この場合は「同害(どうがい)」になるのだろうか。

こうなって来ると、若者は老人が害だし老人は若者が害だし、となって対立構造のみが残る事になる。

さてはこの話、年齢は関係ないな…?

本来は「老人は若者のやり方を認め、若者は老人から学ぶ」のが良いのだろう。
昔からのやり方には先人の知恵が詰まっていたりするし、現代のやり方は効率やスピード感がブラッシュアップしている。
そこをお互いに認め合っていく事が大事である。

だがどうだろう。
やはり老いた者は往々にして古き悪しき慣習を重んじ、新しいものを軽視したり拒否したりする。
自分が理解出来ないものが怖いのだろう。
そして若き者はとにかく効率化、古い物を軽視したり拒否したりする。
自分が理解出来ないものが怖いのだろう。

結果どのルートを通ってもお互いが理解しようと努力しあう姿勢が大事なのではないか、と言う結論になってしまう。
なんだか当たり前だなぁ。

作業の合間の休憩にこのテキストを書いているが、思った以上に広がらなかった事にどっと疲れが出てしまった。

ともあれ、若者は老いた者を敬え!老いた者の言う事を聞け!
新しいものはわけわからんからとにかくダメだ!理由はない!
俺は年上だ!黙ってろ!

一服して風呂入って休憩したら寝よう。
今日は忙しいなぁ。

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